第15話 横取り


「フィオナ嬢。どこへ行こうとしている?」


 フィオナの前に、背の高い男性が立ち塞がっていた。

 髪は黒く、衣装も全身黒尽くめだ。その中で目元と顔の右半分を覆う金色の仮面だけが浮きあがって見える。

 服装だけを見ると、こういう場ではありふれた姿だ。


 だが見えている目は、特徴的に白かった。

 右の口元が仮面にかくれて傷跡は見えないが、体型からもローグラン侯爵であるのは間違いないだろう。

 優雅な眉を不機嫌そうに動かしたフィオナは、男の横を通り抜けようとする。しかしその前にローグラン侯爵が立ち位置を変え、思わず足を止めたフィオナの手首をつかんだ。


「人の少ないところへ不用心に一人で歩くべきではない。あなたは、こういう場にいるには美しすぎるのだから」

「あら、私はあちらの……片目の仮面の女性と話がしたいだけですわよ?」

「……女性?」


 仮面の男は振り返る。

 ほとんど影になっている柱のところに若い女性と、ねっとりと手を握っている男がいることを確認したようだ。

 しかし、呆れたように小さく息を吐いた。


「あなたはそれだけのつもりかもしれない。だが、あの場で何があっているかはわかっているのか? あれはボース侯爵だ。あの男があなたに目をつければ面倒なことになる。フィオナ嬢であることに気付かずに、話がしたいと言いだしたらどうするつもりだ?」

「……話をすればいいのかしら?」


 フィオナは首を傾げる。

 やっと追いついたシリルは、姉の言葉に頭痛を覚えつつ、捕まえてくれた男に表面だけの笑みを向けた。


「これは、ローグラン侯爵……おっと、そうお呼びしない方がいいですか? それはともかく、姉を止めていただいて助かりました」

「シリル君か。しっかり姉君を見張りたまえ。身分を伏せたこの場では一人にすると危険だぞ。……いや、気付かないふりをされる方が危険だな。どちらにしろフィオナ嬢は素直すぎる」

「お恥ずかしい。一瞬の隙に逃げられてしまいました」


 頭上で交わされる二人の言葉を聞きながら、フィオナは一人不機嫌だった。

 優秀な人材を見つけたから勧誘しに行こうとしただけなのに、弟が口うるさすぎる。

 それに、この腹が立つ男はフィオナの手首を握ったままだ。手を引こうとしているのに、がっしりと掴まれて逃げられない。


 何度も手を引き抜こうと試みるフィオナの動きに、ローグラン侯爵はやっと表情を緩めた。

 つまり、今まで張り詰めた表情だったらしい。フィオナはようやくそう気づいたが、周囲をちらりと見たローグラン侯爵は軽く腰を屈めてフィオナの手の甲へ口付けの形をとる。

 フィオナの美しい眉が、ピクリと動いた。


「……ローグラン侯爵。私、あなたに手を触ることを許した覚えはありませんわよ?」

「おや、そうだったかな。先日、あなたに許してもらったと思うが。それに、こうでもしなければあの男の邪魔をしに行ってしまうだろう?」

「当然です。彼女の才能が欲しいですから」

「才能?」

「きっとご存じでしょうけれど、私が所有しているグージル領は、水路開発が急務ですのよ。ですから、水路設計の専門家であるあの女性を勧誘したいだけです!」

「……シリル君。そうなのか?」

「まあ、そうみたいです」


 ローグラン侯爵は、シリルに確認を取る。

 姉の不満そうな表情は気にしないようにして、シリルは大きく頷いた。

 ローグラン侯爵はフィオナの手を取ったまま、ボース侯爵が口説いている現場をもう一度振り返った。

 そして……おもむろにフィオナの手を離すと、スタスタとそちらへ向かってしまった。



「あれ? ローグラン侯爵は何をするつもりなんだろう?」

「……まさか、彼女を横取りするつもりなのかしら? 愛人候補でも専門家としてでも、横取りされたくは……!」

「あ、気持ちはわかるけど、もうちょっと見守ろうよ。……ねえ、君もそう思うよね? エリオット?!」

「いやー、あの大物侯爵が動いてしまったのなら、フィオナ嬢は諦めるべきかもしれませんよ? 何というか、エグい手を使うやり手という話ですから。そうだよね、シリル?」


 ローグラン侯爵がいなくなった途端に、赤い羽でふさふさの仮面男がスルッとフィオナの隣に来ている。

 シリルは牽制を込めて言葉を投げかけたつもりだったのに、エリオットにまじめに返されてしまった。

 一瞬言葉を失ったシリルは、チラチラと姉フィオナを気にしながら、曖昧で虚ろな微笑みを浮かべた。


「ローグラン侯爵がやり手ということは知っているよ。骨身に染みたというか」

「あれ、そうなんだ。まさか、シリルが出し抜かれたなんてことは……えっ、そうなのか?!」

「ははは、実はそうなんだ。父上ともども、もう笑うしかないんだよ。ということで、姉さん。残念だけど、ジュリア嬢のことは諦めて…………え?」


 シリルは言葉を途切らせる。

 その視線の先を見たエリオットは「うわ、またあの人が来るのかっ?!」とつぶやいて、そろりそろりと離れていく。

 弟と友人の会話に気を取られていたフィオナは、首を傾げながら振り返る。弟が見たものを確認した途端、表情を消してパラリと扇子を開いた。



 黒尽くめに金色の仮面をつけた男が――ローグラン侯爵が、また戻ってきている。

 それだけなら、エリオットのようにさり気なく逃げればいいだけだ。逃げるという表現が嫌なら、一時退避すればいい。

 だが、フィオナは扇子の影で目を少しだけ大きくする。ローグラン侯爵は一人ではなかった。広い背に隠れるようにうつむき気味の若い女性が続いている。

 シリルも微笑みを張り付けながら、わずかに眉を動かした。


「……あの侯爵、なぜ彼女を連れてきたんだろう」

「やっぱり横取りされたのかしら?」

「そうかもしれないけど、わざわざ自慢しに来るかなぁ?」

「もしかして、彼女はすでにあの男の愛人か恋人だったのかしら。それとも婚約者候補だったとか?」

「…………そんな話は聞いたことがないな」


 シリルは感情の薄い声でつぶやく。

 姉と一緒の時に見せる呑気な顔とは別人のような、カーバイン公爵の後継者らしい冷徹な顔になる。

 姉弟の元に来たローグラン侯爵は、まずフィオナに丁寧に礼をした。以前と同じく、騎士そのもののような動作だった。

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