第4話 カーバイン公爵家の認識
「……本当に失敗したわね。好きな人ができた時のことを決めておくべきだったのに。愛人に迎えてもいいし、結婚できる相手なら婚約はやめようと伝えていなかったのが悔やまれるわ」
「えっ、姉さん、またそういう方向に行ってるの?」
シリルは驚いた顔で振り返る。
大きく見開いた目は感情豊かだ。それを羨ましいともいつつ、フィオナは静かに言葉を続けた。
「カイルは運命の相手と出会ったんでしょう? だったら、そう言ってくれればよかったのよ。私と婚約した人が『運命の相手』に出会うのなんて、別に初めてのことではないから」
「まあ、そうだけど」
「これで何回目になるのかしら」
「王太子殿下ご夫妻も円満だから、それを含めれば……やっぱり七回全部かなぁ」
フィオナはあくまで真剣だ。
つられたように、シリルも真顔で指を折って数えてしまう。
しかしぼんやりと天井を見上げていたカーバイン公爵は、苛立ちを思い出したように表情を改めて端整な口元を歪めた。
「王太子殿下は数えていいかもしれんが、カボルト伯爵のバカ息子は入れるべきではないな。あれは仕込みだった」
「まあ、仕込みだったんでしょうけど……あの夫婦、とても仲睦まじいと評判ですよ?」
「それでも仕込みは仕込みだ! それに辺境伯の馬鹿息子も、火のないところに無理矢理に付け火されたようなものだから、含めるべきではない」
「えっと、それは……どちらの話ですか?」
「どちらもだっ!」
カーバイン公爵が感情的に吐き捨てた。
しかし、カーバイン公爵とシリルの会話は緊張感に乏しい。母エミリアも、お茶を飲みながらため息をついている。
フィオナの婚約が解消されることが決まったばかりなのに、家族全員の反応が薄い。家族間の愛情が薄いわけではない。それなりに憤慨もしている。ただ……緊張感が圧倒的に足りていないだけだ。
(でも、仕方がないわよね)
フィオナ自身も、屈辱を感じて怒り心頭、なんてことはない。
こうやって婚約が壊れてしまうのは初めてではない。婚約者に「運命の相手」ともいうべき女性が現れて、婚約どころではなくなってしまうのも慣れている。
父カーバイン公爵が「仕込み」と表現したように、出会いがある男によって演出されたものであろうと、フィオナの婚約者たちは運命の恋をした。
敢えて言うなら、母の友人であるハブーレス伯爵夫人に、本当に全く気にしていないのだとわかってもらうのは大変そうだな、と困っているくらいだ。
今ごろ、貴族たちの間で今夜の噂が凄まじいスピードで広がっているだろう。数日後には驚くような尾鰭がついているかもしれない。
そんなことを考えていたフィオナは、ふと中庭での出来事を思い出してしまった。
夜闇に溶け込むような黒髪に、猛獣のような白緑の目。
丁寧な物腰なのに、小馬鹿にしたような男の言葉が脳裏を過ぎった。
『通算七回目の婚約破棄、おめでとう』
低く甘い声なのに、選んだ言葉がよりによってそれだった。
急に怒りがふつふつと蘇り、フィオナは手にしていた扇子をやや乱暴に閉じる。
途端に、室内が静まり返った。
父カーバイン公爵が振り返っている。
暢気そうな公爵夫人エミリアも、口元に運んでいたカップをそのままに目を大きくしている。
いち早く状況を察したシリルは、そろりと姉の前へと移動した。
「えっと、姉さん、何かあったの?」
「……あの男にお祝いを言われたわ。『婚約破棄おめでとう』ですって!」
「うわぁ。ちなみに、その男というのは……」
「ローグラン侯爵に決まっているでしょうっ!」
フィオナはじろりと弟を睨み、激しい口調で答えた。
その迫力に思わず一歩退いたシリルは、年相応より少し幼く見える困り顔になった。
「あー……やっぱりあの人かぁ……。ということは、もしかして今回も……」
「待ちなさい。あの男が暗躍したとしても、カイルは不実な青年ではないぞ。彼の誠意を疑うことは許されまい」
「いや、でもですね、婚約者ではない人に恋をしたと懺悔してしまうのは……あれ、誠実なのかな?」
「ローザに似て、とてもいい子ですものね」
シリルはまた首を傾げ、カーバイン公爵夫妻はカイルを擁護する。
しかし、ローグラン侯爵については、三人ともそれ以上の追求をしようとはしない。
……彼らも、考えなかったわけではないのだ。
今回も、あの男が「また」何かやったのではないか、と。
四人目の婚約者に長年の想い人がいると警告したのは、当時爵位をついだばかりのローグラン侯爵だった。
五人目、六人目の婚約者が政略的に都合のよすぎる「運命の相手」と出会ったのは、ローグラン侯爵が直接の繋がりがなかった家と家の間を仲介したためと言われている。
ローグラン侯爵のせいで、フィオナの婚約者が三人も「運命の相手」と結婚をした。偶然とは言い難い。
ローグラン侯爵は、意図的にフィオナの縁談を壊した。もしかしたら、三人目の婚約の時も何かしたのかもしれない。
これまでの婚約が壊れたのは、フィオナのせいではない。相手の女性たちも、きっと悪くない。過去の婚約者たちも、今回のカイルも悪くない。ただ出会ってしまっただけ。恋をしてしまっただけだ。
しかし、その「出会い」そのものが仕組まれたものだったら?
カイルの心を動かすために厳選した相手と、仕組まれたと気付かずに出会ってしまったら……それは誰が悪いことになるのだろうか。
「……もちろん、あの男が悪いに決まっているわ!」
フィオナは、ぎりりと歯噛みする。
そんな姉からシリルはさりげなく目を逸らし、父親に視線で許可を求めてから、カイルが送ってきた慰謝料のリストを破り捨てた。
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