天高く……

本編

 九月も頭を過ぎると、空が青さを増すと共に高く澄み渡り始める。まだまだ夏の暑さはしぶとくそこら中にしがみ付いているが、長くなり始めた影が示すように徐々に秋の気配も忍び寄りつつある。

 部活中の生徒の掛け声が響く中、チャイムが時間の区切りを告げた。確か三年の授業終了のチャイムだろう。大学受験が控えた三年は里たち二年生よりも授業数が多い。最も十月に入ると自由登校に切り替わるので全体で見ると少ないとも言える。だからと言って、羨ましいとは思わないが……。

 受験勉強に専念する為の自由登校であるし、来年は我が身だ。些か気が重い。

 窓の桟に肘を突いた里は深く溜め息を吐いた。吐いたついでに、顔を上げ景色に見る。

 元々が城跡だった高台の上にある校舎から景色を見ると彼方の山々までは驚くほどくっきりと見える。そこから視線を下に降ろすと、まず東西に幹線道路が走る御雲の町並みが広がる。

 緑の多い町並みだ。そこかしこに公園や雑木林がある。その中でも一際広い春には花見の場所となる桜森から更に視線を下に降ろすと白嶺学園寮がある。隣接する初等部と中等部の校舎やグラウンドに続くケヤキ並木の坂道に沿っていくと高等部の正門そして、グラウンドに行き着く。左にずらせば何年か前に建て替えられたばかりのクラブ棟が鎮座し、右に向けると大学部のグラウンドと校舎が見える。

 更には、物理的にここからは見る事は出来ないのだが、廊下側には裏山がある。将来的にはいろいろと設備を増築するつもりらしいが今の所、特に手が入れられる事もなく色々な意味で生徒達のいい遊び場所になっている。

……ま、いつも通りか。

 一通り景色を眺めると特に興味を引くものもなかったので、里は空を見上げた。文字通り吸い込まれそうなくらいに高い空が目に入る。

「はぁ~~、まさしく天高く女子肥ゆっうぎゃっ」

 感慨を込めて呟きかけた科白は全部は紡がれず、金属同士が打ち合わされる高い音と里本人の悲鳴に遮られた。

「っいってぇ~。誰だ、こら」

 当方に迎撃の用意ありとばかりに勢いよく振り返る。

「こらこら、本来の意味も考えずにそういう不穏当な表現はしない様に」

 ちょっと離れた場所に澄ました顔の川上の姿があった。特筆するべきは右手にあるメタリックな輝きのハリセンか。長さ五十cm程度のそれが見る間に名刺サイズに勝手に折りたたまれていく。実に器用だ。

「あ~、一つ聞いていいか。それなんだ?」

 勢いが抜かれたと言うのか、何処かに飛んで行った里は川上に問う。

 問われた川上はと言えば、落ち着いた様子で小さくなった元ハリセンを制服の内ポケットに仕舞いこみ、それからおもむろに口を開いた。

「姉貴が出入りしている研究室で扱っている新素材。『形状記憶金属紙』だったかな。確か、金属と紙の両方の性質を兼ね備えて、かつ条件付けによって二種類の形状を覚えさせる事が出来るとか何とか。面白そうだったんで借りて来た」

……いくつか不穏当な単語があったような気がするんだけど?

 里は黙り込む。で、川上の科白を改めて反芻する。やはりかなり不穏当な単語が混じっている。

「なあ、川上?」

「なんだい」

「一応念のため聞いておこうと思うんだが、それって一般的に機密って言わないか?」

「言うかもしれないね」

 近年稀に見る強烈な目眩を感じる。同時にこういう奴だよな、こいつは。と再確認もした。結論。今更驚くには値しない。

「そうか。大事になる前に返却して来いよ」

「ん? ああ、わかった。帰ったら姉貴に返しとくよ」

 分かっているのだか分かっていないのだかな川上の返事に今度こそこめかみを押さえて顔を顰めた。手早く深呼吸繰り返し気分を入れ替える。

「そうしとけ。で、帰ったんじゃなかったのか。まさか、わざわざ俺に突っ込みいれる為だけに戻って来たとか言わないだろうな」

「よくわかったね、って。冗談だよ。いや実際帰るつもりだったんだけど下駄箱で成田さんに会ってさ。今の今迄話し込んでたんだ。んでお誘い受けてさ。明後日創立記念日だから暇でしょう、明日徹夜で遊ぼうだそうだ」

 ちなみに成田さんとは二年先輩の女性だ。現在隣りの敷地の大学で学生をしているが、高校在学中から幾つも逸話をもつ豪快なまでのゲーマーでもある。

 数え始めるときりがないが、部費でアフターバーナーの大型筐体を購入しようとしたり、空き教室を一つプレイルームに改造したりと、とにかくとんでもない。それをいつも止めていたのが生徒会の役員達なのだが、彼女自身がその一員だったのだからなんと言うべきか、だろう。

 側で見ている分にはなかなかに面白い見世物ではあったと思う。往々にして巻き込まれていた事は敢えて思い出さない事にしてだが。

「それはまた、お疲れ様。しっかし、わざわざ待ってたのかあのお人は。携帯に連絡入れるなりメールくれるなりすれば良いのに。まったく。俺はOK。どうせ返事はしといてくれたんだろ?」

「まあ、ね。返事も何も決定事項だったみたいだけど」

「あの人らしいというか……。ん、でも明後日って俺らは休みでも成さんはそうじゃないだろ、確か大学の方は記念日違うはずだし」

「自主休講、だってさ」

 少し考え浮かんだ至極もっともな疑問への答えは。

……サボりかいっ。




「で……」

「で?」

「徹夜で遊ぶってなにで?」

「見事に流したね」

「やかまし。あの人相手にまじめに考えてたらこっちの身がもたんわい」

 すっかり忘れてたよ、と呟いて溜め息。

「ガーディアンヒーローズ、エンドレスでどう? だって」

 ふと単語が記憶に引っかかる。引っかかるのだが、表層までは上がってこない。

……なんだっけな?

「宇宙人が勝負を挑んでくる奴だっけ? 私に勝ったら何でも願いを叶えるって言って」

 取り敢えず思いついたのは、モニターの中で挑戦を告げるマッチョな宇宙人。

「違う。それは『バトルマスター』。確かに対戦は出来るけどSFだってそれは」

「てぇと、あれだな。『止めて!! お兄ちゃん!! その人は……私たちのお母さんなのよ』だな」

 肯定の代わりに盛大な吐息が聞こえる。

「なんだよ」

「いや、確かに好きだけどね。コルディ」

「じゃあ、いいじゃん」

「だから、それは『バトルファンタジー』だって。『ガーディアンヒーローズ』じゃないだろ。何処まで本気だ、それ」

「……」

「一発叩き込もうか?」

「心から遠慮させて頂きます。……じゃあ、あれだな。『世界はわたしのモノ』ぐあっ」

「それは『プリティファイター』だ。格ゲーしかあってねぇ。叩くぞ!!」

 瞬時に取り出した特製ハリセンを片手に川上が言う。殆ど叫びだ。

「目一杯叩いてから言わないで欲しい……。星が散って、お花畑が見えたぞ」

 目に涙を溜めて訴える。首を左右に動かすと少し軋むような感じがする。医者に見てもらった方が良いかもしれない、と思う。

「しゃあないだろ。成さんの好きそうなゲームがこの順番でしか思いつかなかったんだから」

 なるほど、という表情を作り、それから川上がゆっくりと微笑む。

「なら、思い出せるようにもう一度行こうか。ショック療法というものが幸いにも世間にはあるし」

「いやいい、止めてお願い。思い出した。今はっきり思い出したから。ほら、あれだ。通行人で対戦できる、『行くのだぁ~』な人が出てくる奴だろ」

 沈黙。その時里には確かに真っ白な翼の小さな天使が静々と自分達の間を横切っていくのが見えた。

……あれ……違ったかな?

 ふっと不安に襲われて伺うように川上を見る。

「こら、一寸待て、答えたろ。あってるだろおい!!」

 斜め四十五度に固定されて今にも振り下ろされようとしているハリセンが夕日を鈍く反射していた。小刻みに震えているのはこのまま振り下ろすべきかどうか、川上が多少葛藤しているからだろうが、それもどれほどもつ事か。すぐに結論が出されて勢いよく振り下ろされるのが脳裏に浮かぶ。

 確かに以前突っ込みはハリセンにしてくれと叫んだ覚えがあるが、金属製は反則ではなかろうかと、思う。

……何とかしないと、本気で死ねそうだ。

 冗談抜きで生命の危機を感じる。

「あ~~、ほら! さっき『天高く馬肥ゆる秋』の本来の意味がどうこう言ってたろ。あれ教えてくれないか!!」

 とにかく捲くし立てる。川上に考える隙を与えてはいけない。別の方向に興味を引きそのまま押し切る!!

 挙手したままで様子を伺う。川上が肩を落とし、やれやれという表情をする。持ち上げていた腕を下ろし手首だけでハリセンを一振りした。どういった仕組みなのか、見る間に50cm近いハリセンが折りたたまれていく。さすがは最新技術というべきなのかどうなのか。

「もともと中国北西部の諺なんだけれどね。天高く……は分かるよな。そっちが言おうとしたそのまま、空気が澄んで空が高く見えるって事。問題は馬肥ゆるの部分だね。どういう事だと思う?」

「馬が丸々太って健康そうだ」

「……そだね。その通りだね」

 芝居がかった風に川上がこめかみを押さえる。ちょっとまずいかもしれない、里は思う。

「そうだけど、その健康そうな馬で何をするか考えろよ」

「皐月賞を狙う……じゃないよな。万馬券を……俺が悪かった。降参する。だから、頼む」

 見逃してくれっと叫ぶと、今度は教室の中を天使が横切った。十人くらいしか残っていなかったクラスメート全員が黙って里と川上の方に注目する。合わせて川上が一際大きな溜め息を吐く。「ああ」という納得を含んだクラスメートの誰かの声と共に音が戻った。

「何か、ものすごく複雑な気分なんだけど、これって俺の気のせいかな?」

「気のせいだと思えるんなら俺はお前をある意味心から尊敬するね」

「そんな……、照れるぜ」

「あーはいはい。勝手に照れてろ。説明続ける。騎馬民族はね、健康になった馬に乗って略奪を行うんだよ」

「ん?」

「要するにさ、収穫の秋になると、収穫物を狙って騎馬民族が攻めてくるから警戒しろ、って言う意味なんだよ、元々」

……なるほどねぇ、そういう意味でしたか。ぴったりすぎて笑えないな……。

 里は視界の端に空を入れ、僅かに苦笑。

「さっすが川上。良く知ってるな、そういう事。これからはお前の事を雑学王と呼んであげよう」

「呼ばんでいいっ。それから紙にも書くな、紙飛行機にして飛ばすのもなし。ついでに新聞部に持ち込むのも当然駄目だから」

 完膚なきまでに色々封じられて里はすねてみせる。

「信用ないのな、俺」

「信用されているとでも思ってたのかい?」

「まあ、それなりに」

「それはせめて否定しないでおいてあげるよ……」

「後半の沈黙が白々しいうえに、微妙に痛いんですが」

「まあ、なんで付き合ってるのかわからないけれど、付き合いも長いしねぇ……」

 どういう理屈かよく分からないが、そういう事らしい。と無理矢理納得してふと思う。

「何年になるかね?」

 指折り数えてみる。中学の時からだから……。

「4年と半年か」

「だと思うけど……あっ」

「いきなりなんだ? 川上、びっくりするだろ」

「悪い。いや、ほら中学の入試の時、あの時じゃなかったけ。会ったの」

……入試、入試。確か一月で。

「あ~~、あん時か、あの雪降ったえらく寒かった」

「そうそう」

 そこで二人して顔を見合わせる。どちらとともなく、あはははと乾いた笑いを洩らし。

「類友だな」

「類友だね」

 と、取り敢えずの友情をお互いの肩を叩き合って確認しあった。その時まだ教室に残っていた女子三人組が無言で視線を逸らしたのは秘密である。

 それはともかく。

「用も済んだし、帰るよ。里は?」

「ん。もちっとぼぉっとしてから帰ろうかと思うが……。そうだ」

 声を潜めて手招きする。

「あれからどうだ? 雨」

 今初めて思い出したというように尋ねる。

「おかげさまで、不思議な事に話した所為か楽になってさ。大降りでなければそんなに怖くなくなったよ。でもなんでそんな事を」

「いや、ここんとこ晴れ続きでお前が脅えている所を見なかったからどうなったかなぁと。悪かった、前言撤回するからハリセンを横に構えるのは止めてくれ」

「問答無用。星になれぇ~」

 後日、新聞部がこの日校舎に響き渡った謎の怪(快)音に関する特集を組んだが、結局は謎のままだった様である。




「痛ててててて。川上の奴、本気でぶん殴りやがった」

 本気でギリギリ音がし始めた首をさすりながら、帰りに医者に行こうと誓う。

 さすがに川上も介抱もせずに一人で帰ってしまった。それでも、明日になればまた馬鹿話に興じる事になるだろう、多分。言ってみれば、そういう付き合いだ。今回は少々からかい過ぎた気もするが、得たものもそれなりだったので良いとするか、という気分だ。

「ま、見えなくなったって言うんなら幸いだよな」

 一人肯き、それから窓からそっくり返るような感じで空を見上げ、上に向かって呟く。

「そんな物欲しそうな顔をすんなよ。こっちだって食われてやる気なんざ更々ないんだからさ」

 当然のように答えはない。ただ、遠くで雷が鳴った、ような気もした。

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