少女アンと白い船

あかりんりん

少女アンと白い船

だだっ広い草原の中に、木で造られた家が1軒あった。

それはもうかなりの年期が入っているようで、所々が腐っていて、新しい木で補修したのがハッキリ分かる部分も多くあった。

その隣には農具を収納している同じく木製の倉庫もあったが、同様に所々が腐って傷んでいたが補修された形跡は見つけられず、中にある農具はどれも錆びつき、クワやカマなどは先が刃こぼれしていて、大きくてキレイな形のクモの巣がたくさん張られていた。

この倉庫はもう何年も使われていないことが分かる。


そこは風が吹くとササーッと草木の音が聞こえるほど、とても静かで寂しい場所だった。

何の名前か分からない小さな花が無造作にたくさん咲いていて、その花の蜜を吸うために様々な色の蝶々もたくさん飛んでいて、他の昆虫もたくさん生息していた。

バッタが草を食べ、そのバッタをカマキリが捕食するべく狙っていた。

空にはトンビが風に乗りながらゆっくり飛んでいて、木の上には2羽のカラスが止まって、何やら相談をしているかのように見えた。


そんな壮大な大地に太陽が昇り始めた頃、この地の静寂を破るかのように、大きなしわがれた罵声が聞こえた。それは男の人の声だった。


「おい!アン!早く来い!」


男は太った体で無精ひげを生やしていたが、ただ伸びてしまっているような手入れされていないヒゲで、昨日食べたであろうパンのカスが所々に付着していた。

傾いた古びたベッドから、明らかに不機嫌な顔つきで怒鳴った。


倉庫から小さな声が聞こえる。それはアンと呼ばれる女の子のか弱い声だった。


「はい・・・」


アンは肌の白い小さな女の子で、体中痩せていて骨が浮き出て、髪はショートになっていたがバサバサで、まるで切れ味の悪いカマか何かで無理やり切ったようだった。

アンは藁のベッドから起きて、小走りで倉庫を出て家の方に向かった。

藁のベッドはとてもベッドをは言えない、ただの藁を敷いて藁を被せただけの物だった。


アンは裸足なので足の裏が痛いはずだが、いつしか気にならなくなっていた。

男の前に到着するや否や、アンは男の拳で顔を殴られた。


「呼ばれたら返事ぐらいしろ!」


そう怒鳴られながら何度も顔や体を殴られたり蹴られたりしたが、アンは泣く事は無かった。

アンは泣き方を忘れてしまったのかもしれない。あるいは、泣き方を知らないのかもしれない。

アンの記憶では、ずっと昔からここにいるような気もしたし、もしかしたら別の場所で両親と暖かい家庭にいたのかもしれない。

時々そんな夢のようなことを思い浮かべながら、目を腫らして男の朝食のパンと水を無言で用意していた。


小さくちぎられたパンの端っこ2つと水をもらい、いつも通り外に出る。

パンはとても固くて、歯もボロボロだったアンは嚙み切れないため、ペロペロと舐めて唾液でパンが柔らかくなるのを待つしかなかった。

ふと、アンは壮大な空を見上げる。トンビと2羽のカラスがこちらを見ている。

アンは少し柔らかくなったパンをちぎって、草原に向かって思いっきり投げた。

やせ細った筋力の無いアンが放ったパンは力なく落ちそうになったが、風に飛ばされてヒラヒラと飛んでいった。

それをトンビが先に取った。近くにカラスもいたが、本能的にトンビに勝てないことを分かっているのか、近くで見つめるだけだった。

トンビはパンを加えて遠くへ飛んで行った。

残りのパンも近くに放った。

アンはパンから離れて座っていると、警戒していたカラス2羽がパンに近寄り、つついて二つに分けた後、お互い一口で丸のみにし、やがてどこかへ仲良く飛んで行った。


アンは思った。

「夫婦なのかな・・・それか姉妹かな・・・良いなぁ、私もどこかへ飛んで行きたい・・・」

アンは草原のベッドに横たわり、目を瞑った。


アンは夢を見た。

それはとても楽しい夢だった。

ベッドの上でお父さんとお母さんに挟まれて座って、お母さんが読んでくれる絵本を見ながらワクワクしていた。

その絵本は宝物を探して大海原へ冒険する海賊クックの物語だった。

キャプテン・クックは背も低く力も弱かったがチェスだけは誰よりも強く、仲間がたくさんいて、赤ワインが大好物だった。


ある時、クックと仲間たちは嵐や荒波を乗り越えて、やっとの思いで宝物があるという噂の洞窟を見つけて中に入っていったが、ずっと後ろから別の海賊トマスにつけられていたことに気が付かなかった。

でも何度もピンチになった時も、いつも仲間が助けてくれた。

実は早くから追ってのトマスに気が付いていた仲間のアン・ボニーが小型の船に乗っていて、トマスの船の後ろからつけていたのだ。

女性海賊であるアン・ボニーが華麗な奇襲攻撃をかけて怯んだ隙を、キャプテン・クックは見逃さなかった。


「総員!かかれー!」


トマスの仲間は慌てふためくことしか出来ず、気が付けばトマスもアン・ボニーに捕まっていた。


「ま、参った~。総員、戦い止め~!」


力無くトマスがそう言い放つと、キャプテン・クックはニコッと笑顔になり、たいまつに火を付けて洞窟の奥へと進んだ。

すると、遠くて暗くても分かるほどピカピカとした財宝がたくさん、無造作に置かれてあった。

それらの財宝はどこかの国の女王が処刑される際に、信頼できる部下に持ち出させたものだった。

その女王はいつか子に財宝を残そうと考えていたが、子も同じく処刑されてしまい、持ち出した部下もその後自ら命を絶ったため、そのままにされていたのだ。

キャプテン・クックは数多くの財宝の中から一つだけ取り出し、それをアン・ボニーへ見せる。


「この指輪が欲しかったんだ!俺と結婚してくれ!アン・ボニー!」


「えぇーっ!」


海賊たちに大きなざわめきが聞こえた後、アン・ボニーが笑顔で頷くまではそれほど時間はかからなかった。

財宝の中にあった何年も保管されていた赤ワインでキャプテン・クックの仲間たちは乾杯し、物語は終わった。


「私も大きくなったら、海賊になる!それでキャプテン・クックを助けるんだ!」


目を輝かせながらドキドキが止まらない小さな女の子のアンは、たまたま同じ名前のアン・ボニーになりきりながらそう言った。


「え?昨日までは花屋さん、その前がケーキ屋さん、今度は海賊かい?ハハハッ」


お父さんが笑いながらそう言うと、アンは顔を赤くして答える。


「お父さんのいじわる!全部なるんだから良いの!」


その後、両親からのハグとキスを受けたアンは、まだ興奮が収まらないまま、温かい布団でキャプテン・クックの冒険を頭の中で反芻していた。


そしてまた、不機嫌でしわがれた怒鳴り声が聞こえてアンは夢から覚める。

その声はまるで自分よりも大きなカエルが鳴いているようだった。とても苦痛だった。


「おい!アン!どこにいる!仕事をしろ!」


気が付けばアンは走り出していた。

このだだっ広い草原をただやみくもに走っていた。なぜか目には涙が溢れていた。

泣いたのはいつぶりだっただろうか。


「私も泣けるんだ」


そんなことを考えながら、この先に何があるか分からない林の中へ入って行った。

林の中は昼なのに薄暗く、だれも通ったことが無いため道と呼ばれる道も無かった。

草木や地面の石や岩で手足は傷だらけだったが、もう戻れない一心でただ前に足を進めた。

朝食も食べていないので力が出なかったが、途中にあった川の水をたくさん飲むと、なんだか力が湧いてきたように感じた。


川をつたって下流へ歩き、もう何時間歩いただろうか、おそらく夕方になったしまった辺りはもっと暗くなった。

何か希望や目的がある訳でも無いし、このまま果てるのも良いなと考えていた頃、ふと、あのカエルのような声の男のことを思い出した。

私が居なくなって、あいつはどうしているだろうか。まさか悲しむはずはないから、最初は怒っただろう。

でも怒ったところで、わざわざ私を探してこんな林の奥まで来るはずが無い。

そんなことを考えてフラフラと力なく歩いていると、林が終わって明かりが見えてきて、林を抜けるとだだっ広い草原があった。

でもそこは自分の知っている草原では無かった。

道路があり、農業用であろう車が何台が止まっていた。その近くに明かりのついている家も何軒か見えた。


アンはその家を目指して歩いたが、またあいつと同じような男が居て、同じように怒鳴られたり殴られたりするかもしれないが、そうなればなったで諦めがつく。

キャプテン・クックもアン・ボニーも仲間たちも、そして温かい家庭も、全ては私が作り出した偽物だ。


アンは明かりのついた家のドアをノックする。


「は~い。ちょっと待っててね~、すぐ行きますからね~」


中からゆっくりな年配の女性の声が聞こえた。

ガチャリとドアが開き、腰が曲がってアンより少し背の高いおばあさんがエプロン姿で、驚いた顔でアンを見ていた。

その反応は当たり前でもある。

薄暗くなった夕方、急に小さな女の子が裸足でボロボロの恰好で、顔から血を流しながら現れたのである。


「まぁ!これは大変!さぁさぁ早くおあがりなさい!おとうさん!おとうさん!ちょっと来てください!」


おばあさんがそう言うと、バタバタと慌ててやってきた見るからに農作業の恰好をしたおじいさんがいた。

アンはベッドに横たわり、傷の手当を受けた。

目から出ていたのは涙だけでなく血も混ざっていたこと、全身から血が出ていたこと、足の裏は擦り切れ、爪が剥がれていたことを今更ながら知った。

不思議と痛みは無かった。


「大変!血が止まらないわ!おとうさん!お医者様を呼んできてください!」


おばあさんがそう言うと、おじいさんが勢いよく家のドアを開けて出ていった。

懸命におばあさんが布でアンの体中の傷口から溢れ出てくる血を抑えながら、アンは今にも消えそうな声で言った。


「お月様・・・とても・・・キレイ・・・」


アンは窓から見える月を見ながら、まるで初めて月を見たような気がした。

いつものボロボロの倉庫の隙間から見える月よりも、今日の月は歪んでなく真ん丸で、とても大きく、とても輝いているように見えた。

アンはそのまま目を瞑った。


何時間ぐらい眠っただろうか。いや、もしかしたら何日も眠ったかもしれない。

おそらく初めての温かいベッドはまるで、あの時に見た夢の中の自分になった気がした。


目が覚めると、アンは船着き場に居て、目の前に大きな白い船が止まっていた。

白い服を着た人たちが、順番にその白い船に乗船していた。

その白い服の人たちは、おじいさんやおばあさん、中年の男女やアンよりも小さな子供達もいたし、兵士だったのか屈強そうな男たちもいた。

中には乳飲み子をかかえた母親と思える人もいた。


アンも白い服を着ていて、誘われるようにその白い船に向かった。

気持ちはアン・ボニーになりきっている。

あの船でこれから旅に出るんだ。

たくさんの仲間たちと出会い、ドキドキとワクワクの大冒険に出発するんだ。


アンが乗り込む際、絵本でも見たことがあるような想像通りの天使から、楽譜と歌詞が書かれた紙を渡された。

その後たくさんの白い服を着た人を乗せた白い船は静かに出発し、船着き場で天使が聖歌を歌っていた。

その聖歌は初めて聞く曲だったが、まるで昔から知っていたように、なぜかアンも歌うことが出来た。


海は落ち着いていてとても静かだった。

波の音が聞こえ、空には月と星がキラキラと輝いていた。


しばらく経って船着き場も見えなくなった時、白い船は宙に進み始めた。

どうやら月を目指しているようだった。

白い服を着た人たちはみな、笑顔で月を見ていた。

乳飲み子が月を指さしながらキャッキャッと笑っていた。


やがて白い船と白い服の人たちは静かに消えていき、アンも小さな星になった。


以上です。

最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。

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