第11話 アイビー 2/2
その日の夕方、やけに店の前が騒がしいと思ったら警察が来ていた。
「どうしたんですか?」
二人組の警察の片割れが俺に話しかけてくる。
「ミシェルさんですか? ヘデラという女性をご存知でしょうか? 今朝は白いドレスを着ていたかもしれません」
警察が見せてきたのはヘデラの似顔絵。
「え……えぇ。真っ白なドレスを着ていましたよ。それが何か?」
「彼女は亡くなりました。王立劇場の楽屋で」
「は……はぁ!?」
俺の声を聞きつけたアンナも接客を中断して慌ててやってきた。
「どうされたのですか?」
「あ……アンナ……ヘデラさんが亡くなったって……」
アンナは眉一つ動かさずに「そうですか」とだけ述べるに留める。
「少しお話を伺わせて頂いても?」
「え……えぇ」
アンナの先導で応接室に警察の二人を案内。
ソファに腰掛けるなり胸ポケットから手帳を取り出した。
「ヘデラ・ラペルラ。25歳、女性。今日の正午過ぎに王立劇場で自死しました。花束にナイフを隠して持ち込み、クリスティーナ・フィッツジェラルドの楽屋に侵入。彼女の目の前で、笑いながらいきなり自分の胸にナイフを突き立てたそうです。クリスティーナさんには怪我はなかったようです。本当にいきなり楽屋に入ってきて、目の前で、ということでした」
警察は手帳に書かれたメモを読み上げる。
「そっ……そんな……」
「お手数ですがこちらに来たときのことを少しお伺いしても?」
「かしこまりました。ヘデラ様は先週の木曜日の午後にいらっしゃいました――」
アンナは何の紙も見ず、淡々と事実のみを話し続ける。脚色も主観も入れず、ただありのままを。
警察もアンナの話し方に違和感を覚えたようだが、捜査をする上ではむしろ助かる話し方だろう。
いくつかの質問をアンナにして、回答を手帳に書き留めると、警察は「ありがとうございました」と言って立ち上がる。
「あの……一体何があったんですか?」
警察はアンナをちらっと見て俺の方を向く。捜査協力の見返りに話をしてくれるのだろうか。
「捜査中ですので詳細は……ただ、以前よりクリスティーナ・フィッツジェラルドにつきまとっている女性がいると相談を受けていました。ヘデラがその人なのかは分かりませんが、ヘデラもまた彼女の熱狂的なファンだったようです。それでは」
熱狂的なファンだったら、目の前で自死をするのか? 俺達の花束はナイフを隠すためだけに必要だったのか? わざわざそのためだけに、自身がよろめくほどの大きさが必要だったか?
ヘデラに聞くことは叶わない。
警察を見送ったあとも、店頭に出る気にならずソファに一人で腰掛ける。
先週、ここにきた時にはもう決心していたのか? どうやれば止められたんだ?
グルグルと答えの出ない堂々巡りを繰り返していると、店頭に出たはずのアンナがすぐに戻ってきた。
「店はいいのか?」
「本日はもう閉めました」
アンナは淡々とそう言う。それが俺への気遣いなのか、自分ひとりで接客するのが面倒だからなのか、どちらにせよありがたい。
「そうか……ありがとな」
「意外です。怒られると思いました。勝手に閉めるな、と」
「そんなことしないよ」
「ヘデラ様、一体何があったのでしょうか?」
「分かんねぇよ……」
ヘデラが大きな花束を持って王立劇場の楽屋へ入る光景を思い浮かべる。
ガードマンも大きな花束をよろよろしながら持っているヘデラを無理やり止めてまで身体検査はしないだろう。
そして彼女はクリスティーナがいる楽屋へ。
花束の中からナイフを取り出してクリスティーナを見ながら、切っ先を自分の胸に突き立てた。
真っ白なドレスは鮮血で赤く染まり、傍らにはヘデラの体格とほぼ同じサイズの大きな花束がある。
ヘデラの花言葉は『永遠の愛』。いや、それだけじゃない。『死んでも離れない』という意味もある。
『私は大きな花束を渡したいんです! 他の人よりも大きくて……目立てる花束を! 花は添え物だと分かっています。私は……私の気持ちを伝えたいんです!』
花を注文しに来た際の必死さは納得の行く花束を完成させたいからじゃない。花は添え物。アイビーは引き立て役。あくまでその光景の中心はヘデラだ。
「まじ……まじかよ……」
「どうされたのですか?」
「いっ……いや……まさかな」
「聞かせてください。私は人間を理解したいんです。なぜ愛する人の前で自死を選んだのか。その理由が知りたいのです」
「多分……分からないと思うぞ。俺だって分かんないんだからな」
アンナはそれでも話せという風に頷く。
「アイビーには『死んでも離れない』って意味もあるんだ。つまり、彼女は死んでもなお、死ぬことで彼女の記憶に残り続けようとした」
アンナは既に理解が及ばないようで、真顔のまま固まってしまった。
「記憶というのは残り続けるものではないのですか?」
「お前は記憶力がいいからな……普通は忘れるんだよ」
機械人形だからなのだろうけど、警察にも披露したようにアンナは誰がいつ来たか正確に記憶している。
「とにかく、何百人もファンが来るような人はいちいち個人のことを覚えていられない。ヘデラはそれを分かっているから目立つように大きな花束を注文したんだと思っていた」
「思っていた?」
「それだけじゃヘデラは足りないと思ったんだろうな。だから強烈なインパクトを残すために目の前で死ぬことにした。血に染まった真っ白なドレス、日常生活じゃまず見ることはない大きさの花束。そんな光景はさぞかし印象的で脳に焼き付くだろうさ」
それこそアイビーの蔦のように、クリスティーナの脳裏に絡みつくのだろう。死ぬまで忘れられない、歪な形で残ってしまう記憶。
「そこまでして『歌姫』の記憶に残りたかったのですか? 一体なぜ?」
「俺達には理解出来ないよ。でもそういう人もいるんだろうさ。自分の愛する人に振り向いてもらうためなら何でもする。それだけが生き甲斐って人がさ」
「本当に分かりません……」
アンナは首を横に振り、ソファに腰掛ける。さすがにこれはアンナには難しすぎるだろう。ついこの間のように、四葉のクローバーを友人のために集めるのとは訳が違う。
一つ確かなことがある。それは彼女の気持ちの大きさだ。
確かに花束と気持ちは比例させられないのだろう。彼女の気持ちは、花束どころか花畑にしても収まらないほどに大きかったのだから。
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