第10話 アイビー 1/2
今日も今日とて切れ目のない来客が続く。
アンナと二人で店内を走り回るのも一段落。お茶を飲む余裕すらなかった。
昼時を迎え、客足がまばらになってきたのでやっとお茶を蒸らし始めたタイミングで一人の女性がやってきた。
黒髪に黒いドレスに黒いピアス。呪いでもかけられそうなビジュアルではあるが、アンナは臆せずにその人へ近寄っていく。
「あのぉ……アイビーはありますか?」
消え入りそうな声でその女性はアンナに尋ねた。
「はい、ございます。何本ほどご所望でしょうか?」
「たくさん。両手で抱えるのがやっとなくらい欲しいの」
「かしこまり――」
「ちょ……ちょっと待った」
アンナが注文を受けようとしたところで止めに入る。
「アイビーはこんな感じの長いツルの植物です。主役を目立たせるための装飾に使うにはとても綺麗ですが単体だと少し見栄えが悪くなるかと……」
「あ……そうなんですね……でも、これがいいんです」
どうやらこの女性はアイビーにかなりの思い入れがあるようだ。
「もしよかったら中でお話を聞きますよ。アイビーが気に入った背景なんか聞ければ、それに沿った花束をご用意出来ますから」
女性は「ありがとうございます」と小さな声で言って、店内の応接室へ歩き始めたのだった。
◆
俺とアンナで飲む予定だった紅茶は3等分されてカップに注がれ、各人の前に置かれた。
「ヘデラといいます。ミシェルさん、アンナさん……『歌姫』はご存知ですか?」
「存じ上げません」
「俺もだな……」
アンナも俺も仕事以外では劇場には足を運ばないので芸能には疎い。
「クリスティーナ・フィッツジェラルド。王立劇場で人気ナンバーワンの女優で歌手です。私はその人のファンで、今度の公演のお祝いに花束を贈りたくて……」
「なるほど。それで『永遠の愛』というわけですか」
アンナはアイビーの花言葉と彼女の発言を紐づけて理解したようだ。人気ナンバーワンの人ともなれば星の数ほど花束を受け取っているはず。そんな人に刺さるオンリーワンの花束を所望しているのだろう。
「アイビーをメインにするなら花束として持ち歩いて受け渡すよりは花瓶もセットにしてお届けするのもいいかもしれませんね。重たいので当日私達で劇場までお届けしますよ」
「いっ……いえ! 持ち歩ける花束がいいんです! それで私の愛を表現できるように……あの人に覚えてもらえるように……実際には私の愛は収まりきらないんですけど、両手でギリギリ収まるくらいの大きさにしたいんです」
ヘデラのこだわりはかなり強いらしい。別に無理して花瓶にしなくてもいいし、ここは素直にヘデラの意見を採用することにした。
俺が頷いてヘデラの意見に同調しようとしたところで、アンナが横から口を挟む。
「ヘデラ様、お相手は人気の女優とのこと。恐らく大量の花束を受け取ることでしょう。体格は同じくらいと仮定すると、人間一人でやっとの大きさはお相手からしても迷惑になるのではないでしょうか?」
「めっ……迷惑!?」
ヘデラの顔がキッと険しくなる。そりゃそうだろう。
自分が気持ちを込めて用意する花束を「迷惑」とバッサリ切られるのだから。しかも花屋の店員に。
「あ……あぁ、ヘデラさん、すみません。こいつはこういう物の言い方しか出来ないんです。言いたかったのは……『持ち歩くのに不便しないサイズがヘデラさんにとっても安全です』かと。な! アンナ! そうだよな!?」
俺の有無を言わせない圧にアンナは欠片ももめげない。
「そんな趣旨ではありません。気持ちというのは大きさに比例するものなのでしょうか? という問いです」
それは一理ある。あるのだけれど、客のオーダーなのだからそれも無碍にできない。アンナぁ……分かってくれぇ……。
「とにかく! 私は大きな花束を渡したいんです! 他の人よりも大きくて……目立てる花束を! 花は添え物だと分かっています。私は……私の気持ちを伝えたいんです!」
ヘデラの狙いはやはり他の人が渡す花束との差別化。それを大きさに見出したのであればそうすべきだろう。それに花束だけで伝わることは限られている。きちんと言葉にして、この花束を選んだ理由だって本人の中にはあるはずだ。
「分かりました。アンナと体格は同じくらいですから……それでギリギリ持てるくらいのサイズにしておきます。結構値は張りますけど大丈夫ですか?」
「あっ……ありがとうございます! お金はここに!」
ヘデラは机に額をこすりつけそうな勢いで頭を下げる。
お金は全額前払い。気前はいいのだが、そこまでその『歌姫』に入れ込めるのが羨ましい反面怖くもある。
店を出て、背筋をピンと伸ばして歩くヘデラの背中を見送りながら、アンナは俺の腕を突く。
「気持ちと大きさは比例するのですか?」
アンナはまだ納得がいっていないようだ。
「大きさは金額にも比例する。金をかけるってことはそれだけ気持ちもあるってことだよ」
俺は金額と気持ちを重ねることは好きではない。好きではないが、世の中にはそういう人が一定数いることもまた事実。そういう価値観を否定はできない。
「本来目に見えないものを可視化するための手段ということですね。よく分かりました」
アンナはまだ納得しきっていない様子で店の奥へ引っ込んでいった。
◆
受け取りの日、即ちクリスティーナ・フィッツジェラルドのコンサートの日、ヘデラは真っ白なドレスを着て花束を受け取りにやってきた。
花束を持つとヘデラが主役に見えてしまう派手さだが、王立劇場ともなるとそれなりのドレスコードを求められるものなのだろう。
「わぁ! すごく綺麗! ありがとうございます!」
ヘデラはよろめきながら花束を受け取る。
「だっ、大丈夫ですか? 良かったら劇場まで持っていきますよ」
「いいえ。大丈夫です」
ヘデラはしっかりとした受け答えと、裏腹に大きな花束を抱えてよろめきながら劇場の方へ歩いていった。
「ヘデラ様、いくらなんでもあれは大きすぎたのではないでしょうか……」
よろめく背中を見ながらアンナが心配そうに声を漏らす。
「アンナの体幹がしっかりしすぎてたんだな……」
アンナの作り主は本当に腕が良い職人だったのだろう。アンナは人間がよろめくような大きさの花束をピタリと静止して持っていたのだから。
「アンナの作り主はどんな人なんだろうな」
「分かりません。名前は背中に刻まれているはずですが……」
俺はこの街の元締めのような人からアンナを預かっているだけ。アンナがどこから来て、どんなことをしていたのかはまるで知らない。
「そのうち教えてくれるのか?」
「……さてと。ハサミの手入れをしてきます」
アンナは俺の言葉を無視して店の奥へ引っ込んでいってしまった。
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