そしてメガネは神になった

なかみゅ

第1話 兎神の掌


 私は神である。神、その言葉を聞くと人は、何か絶対的に善い者や崇高な存在を連想するかもしれない。 

だが、私が「神」という言葉を使う時、それはただ全知全能の存在者を指すのであってそれ以上の意味は無い。

 私は初めから神だったわけではない。私は元々、生物の細胞に潜り込みその機能を侵して繁殖するウィルス、一個のインフルエンザウイルスであった。大きさは一ミリメートルの百万分の一ほどで、半透明の毛玉のような姿をしていた。

私が誕生したのは一人の宿主の体内だった。すでに人間の細胞に侵入した私の仲間が分裂することで私は誕生したのである。私は増殖を繰り返し、宿主の体をボロボロにしつつ種の繁栄に貢献していく気概に満ちていた。

 しかし宿主の体で我々のもたらす病気はすでに発症していた。それが私の運の尽きだった、いや、そのおかげで神になれたのだから幸運だったというべきか。宿主の人間は近年開発されたインフルエンザの新しい特効薬、アウトエンプティ―エンザを服用していたのだ。その圧倒的な抗力に私は生まれて間もなく滅ぼされたのである。享秒38秒の短いウィ生だった(ウィルス生の略)。

 同じ体(世界)に残っていた私の同胞が全て殲滅されるのにもそれからたいした時間はかからなかった。

 私はあまりにも短いウィ生に死んでも死にきれず幽霊となって彷徨った。一度は怨念の力で宿主だった人間を呪い殺そうともしてみたのだが、それはスケールが違いすぎて土台無理な話だった。

 人間の霊に例えれば、自らの呪いで太陽を地球に落として全生命を滅ぼそうとするようなものである。私にできるのはせいぜい白血球数匹を呪い殺すくらいのものだった。

 幽霊の体は物体をすり抜けるので新たに宿主を見つけることはできなかった。更に空気中やすり抜けた人間の体内で出会った仲間たちには私の姿が見えず、もはや存在していないのと同等の無意味な日々を過ごしていた。

 ウィルス一個体の寿命は元々短いから、幽霊になるほどの未練をこの世に残すことはほとんどないのである。私のような存在は例外であり、たいていの連中はとっとと生まれ変わってしまう。

 そんな空虚で陰鬱な時を過ごす中で最早この世に対する未練も薄れ、霊体としてある私の体も消えかけていた時、自らを神と名乗るその白いウサギは現れたのである――――――


 私はその日、いつものように都会の人込みの中を惰性で漂っていた。

 すると、突然周りの景色が一変した。都会の喧騒は消え去り、見わたす限り雲と青空しか見えない。雲海は大地のような壮大さで下方に敷き詰められどこまでも続いている。私は一瞬、ついに自分も天に召されたのかと錯覚した。ここは天国だろうか。

 しかし果てしなく広がる白の景色には、一つだけこの場にそぐわない場違いとも思える存在がいた。

 それは白いウサギだった。一面の真っ白に埋もれて見過ごしてしまいそうだったが、確かにウサギだった。私の目前で雲の上に座していた。見た目にはただのウサギだった。おとぎ話のように服も来ていなければ二足歩行で歩いたりもしていないただの白いウサギ。それがこの広大な雲の大地を柔らかくへこませて一匹だけちょこんと座っている。

 ウサギは唐突に私に話しかけた。

「やあ、こんにちは! 僕が君を連れてきたのさ」

 ウサギが話しかけてきたことにも驚いたが、それよりもこのウサギが喋った内容の方に仰天していた。

「何を言っているんだ? お前は誰だ?」

「ん? 僕は神様だよ?」

 ウサギは平然とした調子で言う。神様? と思ったが、私は幽霊なので普通の生き物には見えないはずである。というか私と同じでも極小のウィルスである私を肉眼で視認することはまず不可能なはずだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

 そんな視認難易度超絶レベルな私を相手に普通に話しかけてくる時点でこのウサギは神と言えるのかもしれない。

 いきなり謎の場所に連れて来られしかもそこにいた喋るウサギは自分を神と名乗る。訳が分からないがとりあえず今の状況を受け入れてみる。すると次に気になるのはこのウサギは何の用があって私をここに連れてきたのかということだった。それをウサギに聞いてみると、

「うん、ちょっと君に神様の位を譲ろうと思って」 

「……はい?」

 とんでもなく軽い調子でとんでもないことを言うこのウサギの言葉に私の思考は凍結する。

 ……数秒の沈黙の後、

「いやいやいや、神様の位ってそんな簡単に手放しちゃっていいんですか!? ていうか神様の位を譲るなんてできるんですか?」

「君馬鹿? 何でもできるから神様なんじゃないか」

 ウサギは即答である。そして私は気付かぬうちに敬語で喋ってしまっていた。

「は、はあ……。でもせっかく何でもできる神様なのになんでそれを誰かに譲ってしまおうなんて思ったんですか?」

 好奇心が湧いてきたので率直に聞いてみた。

「それはね、もう存在するのに飽きたからだよ」

「……」

 言葉が出なかった。一体どんな経験をしたらこんな境地に至るのだろうか? 

しかし、なぜ私なのだろう。神の後継者に私を選ぶのにはなにか理由があるのだろうか? もしかして私に神の資質のようなものでもあるのだろうかなどとよくわからない期待をよせながら、

「どうして私を選んだのですか?」

 と聞いてみるとウサギは、

「ん~? 何となく?」 

と言って私の期待を打ち砕いたのだった。 

 ……このウサギ、適当すぎないか? 神様ってこんなに適当でいいのか?

いや、そもそも本当に信用できるのかこのウサギ? などと我が心中では疑いの念を強くしていることにはお構いなくウサギは話を進めた。

「じゃあさっそく、君に神の証となる全知全能の力を渡そうか」

 何やら黄金の輝きを放つ光球がウサギの鼻先に現れた。眩しい輝きが雲海を照らして辺りを染める。下から見上げればきっと天上から金の光が降り注いでいるようだろう。だがそんな思いに浸っている場合ではないとハッとする。

「ちょ……ちょっと待つんだ……。私はまだ神になるなんて一言も……」

 私は冷や汗だらだらで焦りながら叫ぶ。

「いやいや、君に拒否権とかないから。えいっ!」

 全く取り合わずに言い放つと同時、黄金の光球が私めがけて放たれた。

「ええええええぇっ!?」

 私はウサギのこの強行にますます疑念を強くしたというか完全に目前の生物(?)を恐怖の対象と再認識し、とりあえず全力で光の球から逃げる。

 しかし私は極小のウィルス。迫りくる光球は私にしてみれば太陽みたいなものだ。落ちてくる太陽から逃亡するという無謀極まりない挑戦。そしてあの黄金球に触れたらどうなるのかわかったものではない。

「うおおおおおぉっ!!」

 叫びながら私は光球の横へそれようと貧弱な移動能力を振り絞って死ぬ気で頑張る。もう死んでいる身ではあるのだが。しかし奮闘の甲斐あってなんとか光球を避けることができたようだ。黄金色に輝く球はそのまま青い青い空の彼方まで飛んで行って見えなくなった。

「ゼェ……、ゼェ……」

 死力を使い果たした私にはもう動く力など残されていなかった。

「なんで避けちゃうかな。せっかく君に華を持たせてあげようと思ったのに……」

「え? ……ッ!」

 振り返るとすぐ後ろまでウサギが迫っていた。私の身は震えたが、ウサギの今の台詞が少し気になった。華を持たせる?

「今のはちょっとした演出だよ。あの光の球に触れると、君の体は黄金色に輝いて周りに金の光の粉が舞うのさ」

 ウサギは私の心を読んだように説明する。なんだその茶番は? と叫びたくなる私だったが、

「本命は……」

 という声が聞こえるとともに頭上に振り上げられたウサギの巨人のような片腕(繰り返すが私は極小のウィルスなのである)を見上げて思考が中断される。

「おい! 何をする気だ!? 落ち着け!! やめ……」

「こっちさ!!」

 ウサギの巨人のような片腕が私に向けて振り下ろされる。

「ギャアアあああああっ!?」

 私に逃げる力は残されていない。パニック状態だった。

「この手に触れたら全知全能の力は継承され、晴れて君は神様だ!」

 巨大な腕の影で徐々に暗くなりつつある視界の中、私は思う。私の命運もここまでか。幽霊になってまでこの世に留まり続けたが、ついに本当の終わりが来たようだ。

「それじゃあ神様ライフを満喫してね~」

 ウサギの適当な言葉が響くなか、私の目の前は真っ暗になった。

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