第2話 春

僕は、都会の方から空気の綺麗な田舎へ引っ越してきた。僕が軽く、喘息があるからだ。運動も激しすぎなければ大丈夫だとお医者さんにも言われたのに、お母さんもお父さんも僕が少しでもよくなるように。と、田舎の方に引っ越してきた。

僕は大丈夫だと言ったのに。気にしてくれなくて、いいのに。と思うが、二人が僕を大切にしてくれているからだろう。

お父さんの運転する車の窓から小さな古い神社が見えた。他の人にとったら、どこにでもありそうな神社だろう。でも、なぜか僕にはとても魅力的に見えた。大きな紅い鳥居の奥から桜がちらりと一瞬見えた。

「お母さん、お母さん。あの神社、後で行っていい?」

「神社?お参り行きたいの?」

うんと僕は答えた。僕はお参りに行くわけじゃないけど、何とか誤魔化して許可をもらった。

「着いたぞ。ここが新しい家だ。」

お父さんが運転席から降りて言った。少し古そうな和風な家だった。僕は都会の方ではなかなか見ない造りの家に興味を持った。でも、今は神社だ。家なら、後でいくらでも探検できる。荷物を下ろし始めている二人をよそに僕は爪先を神社がある方へ向ける。

「お母さん!お父さん!神社行ってくるね!」

「気を付けてね。あまり走っちゃだめよ。」

「転ぶなよ。」

「うん!」

僕はお母さん達の言いつけを守り、走らずに神社を目指して歩いた。周りを見渡してみると、田んぼが多く家は連なっていた。

僕はまだ神社が見えないくらいの所で大きな岩を見つけた。危ないだろうか。結構高そうだな。と思ったが、しかし、僕は好奇心に負けてよじ登った。

そこは村が見渡せた。村は山に守られるように囲まれていて、田んぼが広がっていて、小川が流れ、小さな家が連なり、僕は初めて見る世界だった。

こんなに山に囲まれ、近くに土手もなしに小川が流れているのに、土砂崩れや地震、洪水の時はどうするのだろうかと純粋にそう思った。

確かに、自然が多くて都会にいた時より呼吸がしやすかった。

細い山道を登って行くと、石段があった。石段は所々で苔が生えている部分もあった。ずいぶん昔からここにあるのだろう。石段の所でちらほらと倒れている鳥居を見つけた。ずっと前に倒れてしまったのか、蔦が絡み、苔も生えていた。こっちであっているだろう。石段の周りは林で僕の冒険心をくすぐるにはいい材料だった。普通は皆、怖い。不気味だ。と思うかもしれない。そして、そのまま温かい家へ逃げる様に帰るかもしれない。でも、僕にはとても美しく見える。林の葉を風がサワサワと揺らす。太陽の光が葉に当たり、葉が緑色のキラキラした宝石のように輝く。近くに小川があるのか、水の流れる音が聞こえる。きっと、この上を登った上にある神社もとても綺麗で神秘的なんだろう。僕の胸に好奇心が更に広がった。

僕が石段に足を置くと、風が背中を押した。僕は風に身を任せ、石段を駆けあがった。

着いた先はとても不思議な所だった。駆け上がったせいで少し息が苦しかったが、神社は車から見たように小さくて、少し古びていた。社の近くに立派な枝垂桜があった。僕は見事な枝垂桜に魅了された。枝垂桜の傍に一人、小柄な少年がいた。彼はそのまま枝垂桜の奥へ消えてしまいそうだった。僕は急いで彼に声をかけた。

「待って!」

思ったより大きな声が出て、彼は小さな肩を揺らしてこちらを振り向いた。

 彼は誰と言った。僕は慌てて雨宮翔と、僕の名前を言った。

「―そう。」

彼は呟き枝垂桜の木の幹を撫でた。彼はすごく綺麗で今にも桜に攫われて消えてしまいそうな程、儚かった。

 君は?と僕が尋ねると彼は、僕に名前を聞かれて驚いたのか僕をまじまじ見た。彼が僕を見た時、彼の姿がよく見えた。彼は月の様に太陽の光に反射してキラキラと輝く金髪で、大きく開いた瞳は彼岸花の様な赤で綺麗だった。

 彼はとても言いずらそうだった。もしかしたら、自分の名前が嫌いなのかもしれない。それだったらと、僕は呟いた。

「―咲夜。」

 僕が考えた名前を口に出すと、彼はとても驚いた顔をして僕を見た。

「うん。君の名前。君の瞳に彼岸花が咲いているみたいなのと、月みたいな髪色だから。」

「そう、ありがとう。」

咲夜は、枝垂桜の下で花が咲くような笑顔をふわりと咲かせた。僕は咲夜が消えてしまいそうな気がした。

「ねぇ。咲夜、僕と友達になってよ。僕、ここに引っ越して来たばかりなんだ。」

「―私でいいのか?。」

咲夜は不安そうに僕の顔を覗き込んで言った。僕は咲夜だからいいんだと、咲夜の手を取って言った。

「今日はもう遅いよ。家に帰った方がいい。さぁ、明日も来ていいから。」

明日も来ていいと咲夜に丸め込まれてしまい、僕は渋々家に帰るために石段を一段だけ降りた。僕が振り返ると、咲夜は右手を上げ軽く振ってくれた。僕もそれに応えるべく、右手を大きく振った。僕はお母さん達に友達ができた事を早く教えたくてしょうがなかった。

ただいま!と僕が玄関で声を上げるとお帰りと声が聞こえた。

「もうご飯できているよ。手を洗っておいで。」

僕は返事をして、手を洗い食卓に着いた。二人はご飯を用意して帰って来る僕を待っていてくれた。

「ねぇ!僕ね、友達ができたんだ。」

 僕が自慢げに話すと、二人はもう?と驚いていた。お父さんは椅子に座って、僕の頭を大きな手で撫でてくれた。お母さんは僕によかったねと笑ってくれた。三人で談笑をしながら温かい夕食を食べた。

僕は明日から行く学校に心を躍らせながら準備を急いだ。支度を終わらせ、ベッドに飛び込んだ。咲夜は今頃何しているんだろう。と、僕は咲夜の事を考えながら布団を被り直し、眠りに着いた。


遠くで鳴く鳥の声に僕は朝、起こされた。

窓を開け、伸びを一つした。ここの空気は都会にいた頃よりずっと呼吸がしやすい。まるでここにいたら、僕の喘息が治るかのように。こんな治るかわからない喘息なんかに振り回されるのは面白くない。だったら、僕はその体質と上手く付き合っていけばいい。

下からお母さんの声がする。

下に降りて、お母さんが作ってくれた朝ごはんを食べる。

おはよう。とお母さんが僕に言った。

お母さんに朝ごはんを頬に詰め込みながら「おはよう」と、挨拶をした。そしたら、食べてから喋りなさいと怒られたので、はーいと間延びした返事をして顔を洗いに行った。リュックを持って、僕は家を飛び出した。

 行ってきーす!と、僕が玄関で言うと、お母さんは、いってらっしゃいと僕に手を振りながら言った。

学校は前通っていた所よりも小さく、少し古い感じの校舎だった。人数も前の学校より少ないようだった。でも、皆仲が良さそうで僕も早く混ざりたいと思った。

「こんにちは!雨宮翔です!」

僕が挨拶をすると、先生が喘息持ちだということを付け足した。これからクラスメイトになる皆は何か珍しい物を見るような目で僕を見て、ぼそぼそとコソコソと皆だけが話していた。なんだかすごく場違いな気がして肩身が狭く感じた。先生に席を指定され静かに、なるべく音を立てないように席に着いた。隣の人に話しかけても、嫌な気持ちにさせてしまうだろうと、僕は学ランのジャケットをぎゅっと握って下を俯きながら先生の話を流す様に聞いていた。ホームルームが終わって先生が教室を出ていくと、皆クラスの一角に集まった。僕も話せるかもという期待を胸に近づいた。

「ねぇ!僕も混ぜてよ。何話してるの?」

僕が話しかけた途端、皆蜘蛛の子を散らす様にいなくなった。僕は何か気に障るような事をしてしまっただろうか。

僕は、しょうがないから自分の席に戻って本を開いた。本を読んでいたら、開いていた窓から入った桜の花びらが本のページに挟まった。花びらは透き通るような桜色をしていた。窓の外を見ると、咲夜のいる神社の鳥居と枝垂桜がちらっと見えた。学校が終わったら、咲夜に会いに行こう。咲夜に何かお土産を持っていこうか。お母さんに昨日食べたお稲荷さんでも貰っていこう。

咲夜の事を考えていたら、先生が教室へ入って来た。授業は全部、前の所で習った所だった。新しいクラスメイトと一緒に授業を受けた後、まっすぐ家に帰った。

 玄関の扉を開け、僕の声が家に響く。

「お帰り。学校どうだった?」

お母さんは靴を脱いでいる僕に学校は楽しかった?と聞いて来た。僕が楽しかったよと笑うと、安堵の息をついた。

「お母さん、お稲荷さんまだ残っていたよね?」

「残っているけど、どうしたの?」

お母さんに食べるのかと聞かれた。僕は友達に持っていくと言った。お稲荷さんが好きだって聞いたから、お母さんのお稲荷さんを食べてほしいんだ。と慌てて付け足した。少し見苦しい後付けだったかもしれない。お母さんは笑いながら、お皿に乗っけてラップをかけて僕に持たせてくれた。部屋に急いで入ってリュックを床に投げつける。バサバサと教科書がリュックから雪崩の様に出できた音がしたが、無視して家を出る。

「ありがと!お母さん。じゃあ、行ってくるね!」

「気を付けてね!あまり走っちゃだめよ!」

僕は神社まで歩いて行った。石段の所に行けば、背中に風を受けた。咲夜が神社の中からまるでおいでと言っているようで、その風に背中を預けて石段を駆け上がった。咲夜は昨日のように桜の木の下で立っていた。昨日と違うのは咲夜が僕の事を迎え入れる様にこちらを向いて立って待っていた。僕は咲夜に手を振りながら近づいた。

「咲夜!今日はお土産があるよ!」

「土産?そう、楽しみだ!」

咲夜は僕に近寄った。僕はそんな咲夜の顔の前にお皿を入れた袋を出した。

「はい!お土産!咲夜ってお稲荷さん好き?」

「お稲荷さん?食べた事ないな。」

咲夜はお稲荷さんを食べた事がないようで、首を小さく傾げていた。袋に顔を少し近づけて形のいい鼻を小さく動かす。少ししょっぱい匂いがしたのか、綺麗な顔をちょっぴとだけ歪めた。

「まぁ。美味しいから食べてみて!」

咲夜は僕に勧められたお稲荷さんを手に取って首を傾げてから目をぎゅっと瞑って勢いよく口に入れた。食べた途端、咲夜の周りに花が舞った気がする。それから耳と尻尾が生えていればブンブン振っている様な気がする。咲夜は彼岸花のような瞳をこれでもかと言う程見開いて、頬を桜のような色に染め、咲夜は自身の小さな口に何回も運んで嬉しそうにお稲荷さんを全部食べた。僕はそんな咲夜を見て頬が緩んだ。

「旨かった!翔。また気が向いたらでいい。私に持ってきてくれないか?」

咲夜は少し僕に遠慮がちに言った。僕はそんな咲夜が動物のように思えてしまった。

咲夜のさらさらした綺麗な金髪を撫でて、勿論と頷いた。咲夜は少し驚いたように目を見開いてから、気持ちよさそうに目を細めて笑った。

この日は、咲夜と桜の木の下に座って話をした。咲夜はその間、ずっと僕の話を楽しそうに聞いてくれた。夕日が沈みかけた時、咲夜に暗くなるから。と、家に帰るように言われた。鳥居の前で咲夜に手を振って帰路に着いた。


明日は、クラスの皆にもっと沢山めげずに話しかけようと思いながら、自分の部屋でベッドに潜り込んだ。

朝。またベッドから出られずにしていたらお母さんに怒られた。お母さんが用意してくれていた朝ごはんを食べて昨日の様に家を飛び出した。

後ろのお母さんからのいってらっしゃいを背に学校へ足を運んだ。


「おはよう!」

何グループかに分かれているクラスメイト達に挨拶をして、話題に入れてもらおうと、話しかけた。だけど、皆僕を避ける様にトイレに行ったり、先生に呼ばれているからといなくなった。僕は昨日と変わらず席で気配を消す様に本を読んだ。

皆が道具を持って教室から出て行ってしまった。僕はどうすればいいのかオロオロしていると、クラスメイトの二人が話しかけてくれた。

「ね、ねぇ。翔君、次移動教室だから、一緒に行かない?」

 話しかけてくれた女子の後ろの男子は置いてくぞ。と一言言った。

「―うん!」

僕は二人と並んで特別教室へ行った。二人は、岡本翠と志川渚と言った。渚と翠は幼馴染らしい。

渚は誰とでも話せて人気者でクラスの真ん中の男子だ。そして、翠は渚の隣で長い濡羽色の綺麗な髪を揺らして上品に笑っている女子だ。二人は、僕にこの村の事を教えてくれた。この通っている学校の事も。

僕は、神社の事をこの村に住んでいて詳しいであろう二人に聞こうと思った。でも、なぜだろうか。口をいざ開いて聞こうとするとなぜだか、話しちゃいけない気がしたのは。 

「翔?早く行こうぜ?」

「どこか痛い?体調悪かったら、保健室行こう?」

二人は心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。僕は新しくできた友達を心配させるのは、気が引けた。急いで笑顔を作って二人の手を取って特別教室の方へ駆けて行った。二人は突然手を引かれて驚いていたが、楽しかったのか声を上げて笑っていた。僕も二人につられて笑った。

二人はあの後からも僕に気を配ってくれて、お昼休みに一緒に話そうと招かれた。僕はそのまま渚と翠の隣に座って皆と話すのはとても楽しかった。楽しい時間こそあっという間だ。すぐにお昼休みは終わって授業に入った。先生が入って来た時は皆ブーイングで、もう授業かよ。また話そうね。と、皆が声をかけてくれた。授業中に頬が緩まない様に頬を軽く叩いた。

午後の授業も終われば皆、ぞろぞろと部活に行ったり、遊ぶ約束をして帰って行ったり、皆様々で帰って行った。あの二人は僕と帰る方向が違うので、校門の前で別れ、渚と翠がこっちを振り返って言った。

「バイバイ!また明日ね!」

二人は僕に向って手を振って笑っていた。僕も二人に手を上げ、大きく振った。

「また明日!」

二人と別れて僕は咲夜のいる神社へと足を運んだ。咲夜は鳥居の下で僕を出迎えてくれた。

「学校お疲れ様。学校、馴染めたか?」

咲夜はおっとりとした口調のまま僕に聞いてきた。僕は驚いた。咲夜に学校から帰ってすぐな事がばれているじゃないか。なぜだろうと僕が首を捻っていると、咲夜はカラカラと笑って言った。

「翔。君、気が付いていないの?君はまだ学校の制服のままだ。よほど、急いで来たんだね。」

そう言って、僕が急いで神社に来た事を想像したのかクスクスと笑っていた。僕は咲夜に言われて自分の服を見てみると、本当に学校の制服だった。僕が確認して本当だった事に驚いていると、咲夜はまたもや僕を見てお腹を抱えて笑っていた。最後に、こんなに笑ったのは久しぶりだ。と、言っていた。僕は咲夜が楽しそうに笑ってくれているならいいかと解決させた。

僕はまだこの言葉の本当の意味を理解できていなかった。どうして理解できなかったのだろうか。それは、僕が馬鹿だったからかもしれない。咲夜がごまかすのがとても上手だったからかもしれない。でも本当は、気が付いていたかもしれない。理解できていても、脳が勝手に理解をするなと止めていたかもしれない。誰もあんな結末を想像できるわけない。本当に、いつだって神様は残酷だ。

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