見てもいないものを真実だと語るのは尚早すぎる

しらす丼

見てもいないものを真実だと語るのは尚早すぎる

 誰かの発した言葉が『真実』になるわけじゃない。

 自分の目で見て、初めてそれが自分の中で『真実』になるんじゃないかと私は思う。

 これは、そんな気付きのお話だ。




「けっこう悲惨な事故だったんだってね」


 まだ蒸し暑さが残る初秋の候。仕事を終えて帰宅した私に、なんの前振りもなく母はそう言った。


「え? 何の話?」


「ほら、そこの通りで公務員の人が轢かれて亡くなったじゃない」


 母は私の後方(おそらく件の事故現場)を指差し、憐憫れんびんな視線を送る。


「マジ? 何も知らない」


 私が言うと母は目を丸くして、これよこれ! と言いながらスマートフォンを素早く操作し、私の顔の前にその画面をつきつけてきた。


「ここ、見覚えない?」


「……え!? 本当にすぐそこの道じゃん!!」


「怖いよねー。お父さんとかポケモンをやりにいく時に通る道だから、気をつけてよって感じ」


 頬に手を当てながら母は困り顔をする。


 確かに事故のあったその道は、警察か殺し屋に追われているのかと言うくらいスピード違反をする車が多い。緩やかなカーブや対向車とすれ違う時にかなりスレスレになることが怖く、私は極力徐行して通る道なのに。


 我が県が交通事故件数ワーストの理由がなんとなくわかる気がした。


「だねー。私も前に轢かれてかけたことがあったから、それ以降は少し遠回りする様になったかな」


「それでさ! この記事読んでみてよ! ちょっと変じゃない?」


 急に話題が変わり、おそらくこの話が本題だったのだろうと察した。事故に遭いそうになった私へ何かないのか! と少しムッとしたが、母はこういう人だったなとすぐ平常心に戻る。


「変って? 何が??」


「いいからっ! 読んでみなさい」


 スマートフォンを手渡され、私は仕方なしにその画面に表示されてあるウェブニュースを読み始める。


「えっと……『十二日夜、A県で道路を歩いていた男性が、乗用車にはねられ死亡しました――』これの何が変なの?」


 最後までザッと読み上げたが、特に気になる点がなかったため、私は思わず首を傾げた。


 よく晴れた日の夜、片側一車線で見通しの良い道路を通行中の歩行者に後方からきた車が突っ込んだという事故。少し言い方は不謹慎だが、よくあるパターンの事故だと思った。母は何が引っかかるのだろう。


「あの道、ちょこっと歩道があるでしょ? 道路なんて書き方したら、その事故にあった人が車道に身を乗り出して歩いているみたいに見えない?」


「まあ、解釈によってはそう思う人もいるだろうね」


『道路』という単語が『車道』と同義だと主張したいようだった。

 道交法では『道路』という表記をしても、歩行者用の通路も含まれるとあるけれど、母はそれを知らないらしい。


「でさ! この記事のせいで、道路を歩いていた被害者が悪いとか叩かれているんだよ? あり得ないと思わない?」


 母は鼻息を荒くしながら、語句を強める。


 その言葉に私はようやくハッとした。


 本来、事故被害者を弔うことが一般的だと私は思っていたが、解釈の違いによって加害者側の味方をする人もいるのかということを母の一言で気付かされたのだ。


 なんにせよ。加害者は加害者なのだから、近いうちに法が何かしらの裁きを下すだろう。一般人である私が加害者を糾弾する資格なんてないし、擁護する必要もない。


 しかし悲しいことに、SNSという場所では己の正義を振りかざして、実際にあったこともない人間を当然のように攻撃する人間もいる。それが死者であったとしても。


「確かにねぇ。私たちみたいな地元民なら理解があるけど、結局ニュースだけで情報を得たリアルを知らない人たちは、勝手な解釈をして、SNSで好き勝手なことを言うだろうなあ」


 私が顔を顰めながら言うと、


「SNS、怖いわね」と母は身震いした。


 母の口からSNSという単語が出て、私は母にバレないようにクスリと笑う。


 そしてお役所の人たちが、今後あの道をどうこうするという話はまだ上がっていないらしいので、引き続き警戒心を持つ必要がありそうだと思った。


「事故にもSNSにも気をつけなくちゃね」


 私がそう言うと、


「そうね!」と意気込むように母は返事をする。それから用事は済んだと言わんばかりの顔で皿を洗うために立ち上がったのだった。


 気持ちの切り替えがとんでもなく早い母の脳内では、いま話したことなんてもう忘れてしまったのだろう。しかし私にとっては、何か一つ変わるキッカケになったような気がしていた。




『目に見えているものだけが真実じゃない』という言葉もあるが、それ以前に今はまだ『目に見えているものすら正確に捉えられていない』ことを自覚する段階にいるのかもしれない。


 目に見えない心を見ることも必要だが、その心を見るための目が濁っていては本末転倒なんじゃないかと私は思う。


 SNSがいい例だ。

 ほんの少し触れただけの情報ですべてを知った気になっている人がいる。「この人は間違っている。だから攻撃してもいい」と思い込む人がいる。

 言葉を発する時には、この言葉が『真実』だと捉えられる可能性があるという自覚を持つことが必要だ。


 そして第三者からの意見も時としては必要だが、その全てが『真実』だと鵜呑みにしないことも大切であることを私は学んだ。


 まずは自分の目で見て、その『真実』を確かめる。

 そこからが本当の『真実リアル』だ。




(完)

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見てもいないものを真実だと語るのは尚早すぎる しらす丼 @sirasuDON20201220

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