第36話 白いポピーに包まれて5 sideR

 凛太朗の声は、静かな部屋にしっとりと馴染んでいた。




 「ウイは、僕に忘れろと言ったが、僕は、できなかった。天音さんと同様にね。ずっと息ができないみたいだった。そして、後悔した。もっと別の方法で僕が天音さんを助けようとしていれば、きっと変わっていたんだと思う。あの春、僕は天音さんを狙った犯人に出会ったんだ。」




 天音は、それを聞き、息を呑む。凛太朗は、その時の記憶をしっかりと覚えていた。












 あの日―――天音をマンションに送り届けた後、コンビニで出会った犯人の跡をつけた。凛太朗は、階段を降りる男を逃がすわけにはいかなかった。どうすれば、そう思った後の行動は、衝動的だった。


 凛太朗は、男に駆け足で近づき、その背中を押した。男は、右手にスマートフォンを握り、もう片方の手はポケットに入れていた。押された男は、手すりを掴むことも受け身を取ることもできないまま、階段の下へと転がり落ちて行った。急こう配の長い階段だった。転がり落ちれば無事で済まないのはわかっていた。持っていたスマートフォンは、階段の中ほどに置き去りにされ、落ちた拍子にスピーカーモードになったようで、返事をしなくなった男に相手が呼びかけるような声が聞こえていた。男はというと、階段の踊り場で不自然に曲がった手足を元に戻そうとゆっくりと蠢いていた。悲痛な声が聞こえてくるようだった。




 「命があるだけ、マシだよ。」




 凛太朗は、男の様子を一見した後、住宅街を抜け、帰路につく。それはまるで呼吸をするかのような、自然な足取りだった。












 凛太朗の話を黙って聞いていた天音は、凛太朗の話が終わったとわかると、大きく深呼吸をした。




 「やっぱり、凜ちゃん、隠していたんだね。」




 そう言った天音の声色は、弱弱しかった。




 「あれだけ欠かさず送り迎えをしてくれてたのにさ、凜ちゃん、急に1人でも大丈夫って言ったの。気まずい雰囲気になっても、絶対にそんなことしなかったのに。凜ちゃんは無責任にそんなことを言わないのは知ってたよ。だから、絶対に何かあるとは思ってた。もしかしたら、危険なことをしたのかもしれないとも思ってた。そういうことだったんだね。……苦しかったよね、ごめんね。知ってて見えないふりをしていた私も、やっぱり同罪だよ。」




 天音は今にも泣きだしそうだった。そして、次に口を開いたのは昴だった。




 「天音、凛太朗……本当の元凶は、全て俺たちなんだ。」




 昴は、そう言うとあの頃の話を順を追って話を始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る