第10話 太陽に出会う6
学校の駐輪場に到着する。左手首には、小学生には不釣り合いに見える大きい文字盤のついた腕時計―――デジタル式で20気圧まで耐えられるというそれは、父親にクリスマスプレゼントとして買い与えられたものだった。時刻を確認すると、登校時間ぎりぎりだった。あと5分で担任が出席を確認する“朝の会”が始まる時刻に迫っていた。
凛太朗は、自転車にチェーンを掛け、全力で走る。凛太朗の朝の恒例行事と言っても過言ではない。教室の3階まで行くと、次は息を整えながら、普段の速度に戻る。教室には、遅刻をしない時間に到着をすればいい、そんな考えだ。教室の前まで到着すると、目立たないように後ろの扉から入室する。そっと開けたつもりでも、その周辺に座っている者は、反射的に振り向く。気付いたクラスメイトの大半は、凛太郎をチラリと見て、すぐに視線を戻した。凛太郎が唯一話をする男子児童である高橋だけは、軽く手を挙げた。凛太郎もそれに応えるように、手を上げるのだった。
凛太朗が席に着くと、今日は、担任ではなく、副担任が出席確認をしており、凛太朗の名前はまだ呼ばれてはいなかった。
本来であるならば、出席番号と言うのは、五十音順を採用することが一般的ではあるが、凛太朗は転校生ということもあり、苗字が“いはら”であるにも関わらず、出席番号が最後になっている。
凛太郎は名前を呼ばれ、確認を受けた後、副担任である森近に小言を言われる。
「担任の安藤先生なら言わないかもしれないけど、もう少し早く来てほしいかな。5分前集合は基本。ま、友人との遊びに行くときは、別にいいけど、デートでギリギリ到着なんて論外。でも、庵原の場合、来るだけは、マシ、なのかな。」
そう言うと、クラス全体から笑いが起こる。凛太郎に対し、素直な意見を言う森近は、凛太郎のお気に入りの教師でもあった。
「じゃ、宿題終わって持って来てる奴は前に持って来て。んで、大掃除。班の割り振りを黒板に書くから、よく見て協力すること。自分たちの生活空間なんだから、ピカピカによろしく。わかんなかったら俺に聞いて。私語禁止な。」
そう言って森近が黒板に割り振りを書き始めると、前に宿題を提出するために持って行く者と自然と班の者同士で集まり始めた。凛太朗がリュックから宿題を出していると、同じく宿題を出そうと手に持った高橋が近寄ってきた。
「凛太朗、もしかして全部終わったのか?」
「まだ。日記はできてない。」
「まぁ、それは俺もだけど。全部終わったとか、早くね?」
「どうなんだろ。他の人と会ってなかったからわかんないけど。」
そう話していると、教卓の前に立つ森近が「おーい。」と二人を呼ぶ。
「さっさと提出しろ、掃除。俺の仕事止まんだろ。」
カツカツと机を指で叩き、早くしろと合図を送っているようだったが、その顔は怒っているわけではなく、あくまで事務的にと言う感じだった。
大掃除は、1時間半程度で終わった。教室に戻ると、缶のスポーツ飲料が渡され、15分間の休憩時間となった。普段なら運動場に遊びに行く児童たちも炎天下での掃除の後では、想像以上に体力が消耗されたのか、渡されたスポーツ飲料片手に夏休みの思い出を語る場となった。
凛太朗も渡された飲料を飲み切るとぼーっと運動場を見ていた。久しぶりの学校は、平和だった。ずっと問題のないこんな日が続けば良いのにと思うのだった。
帰り際、高橋と校門まで一緒に行くことが二人の中での恒例となっていた。どうして校門までかと言うと、帰り道が反対方向だからだ。高橋は特殊な経歴の凛太朗に憧れの感情を抱きつつも、問題を引き寄せる体質には他人事ながらも頭を抱えていた。玄関を抜け、凛太朗が校門の方ではなく、駐輪場の方に歩き始めるのを高橋は不思議に思う。
「凛太朗……お前、どこ行くんだよ。」
「自転車取りに行く。」
「え、おま、ダメだろ。」
高橋は明らかに動揺していた。そう言いながらも凛太朗の後を追う。駐輪場まで行くと、森近が1台しか止まっていない自転車の前で持ち主を待ち受けるかのように立っていた。
「やっぱり、お前か。」
森近は、ため息をつく。
「色々な先生が何時にはあっただの、なかっただの言ってたぞ。そんなの考えなくてもこんな派手なマウンテンバイク持ってるの、全校生徒でお前だけだよ。……登校日に悪びれもなく乗ってくるのもな。」
高橋は、それを聞いて苦笑いだ。
「服装自由だったから、これも自由だと思ったんだ。」
「一理ある。だが、現実はそう甘くないんだよ。まぁ、特に処分はねぇけどな。誰もお前のだって気付いてねぇし。さっさと帰れ。高橋、ちゃんと庵原の面倒見ろよ。」
「え、俺。」
「当り前だろ。凛太朗、お前以外とは喧嘩してばっかだろ。唯一の頼みの綱だ。じゃあな。……今日は、裏門開いてるぞ。」
そう言うと森近は、仕事が終わったかのように、校舎の方へと歩いて行った。高橋は、自転車を押す凛太朗に今日は裏門から出ようと提案する。
「凛太朗、お前のこと、もっと助けるよ。」
裏門へと続く人通りのない道を二人で歩いている時に、ポツリと高橋が言う。
「ありがとう。でも……」
凛太朗は言いかけた言葉を飲み込む。余計な一言が、トラブルの元だとは、きちんと心得ていた。
「2学期、ちゃんと来いよ。」
休み癖のある凛太朗を心配しているであろう言葉に頷く。
「来るよ。ちゃんと目的あるから。」
見知った道まで来ると、凛太朗は、「あ。」と声をあげる。
「ここまで来ると、ちゃんと家に帰れるよな。」
そう言って高橋は、手を振る。去り際に、思い出したかのように言う。
「俺の下の名前、知ってるだろ?淳じゅん。今度からそう呼べよ。」
「ああ、淳。また2学期に。」
そして、凛太朗は、自転車に跨ると、家まで全力で帰った。夏の暑さを忘れるくらい、清々しい気持ちだった。
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