間違いなく良い子だよ、アンタは。私が保証してあげるよ。
パン工房の中は、良子さんの性格が表れていてとても清潔感のある空間。
年季の入った道具達は、熟練された一流職人に扱われる事がとても嬉しそうに輝いている。
先程パンを焼き上げた
「ちゃんと手は洗ったかい?よし。3人共可愛いらしいエプロンじゃないか。うん、良いね。とても似合ってるよ」
リズは満面の笑顔、ルーチェとカメリアは少し照れたように頬を染めている。
私は...端の方で見学させて頂いています。
『秋雨は駄目だよ。今日は〈男子厨房に入るべからず〉の気分だ。私達女子で楽しくやるんだから、そうだね...除け者も可哀想だから隅っこで見学してな』
と。
なんでしょう、この疎外感と同時に湧き上がる父兄参観日の父親の気分...未経験なので想像ですが。
エプロンを着けた3人娘は髪の毛がパンに入らないよう、良子さんに髪を結んでもらい、バンダナをお借りして巻いています。
うん、確かに可愛い。さながら家庭科の調理実習のよう。
「じゃあ、始めようか」
「はーいッ!」
「はい!」
「お願いします!」
元気良く始まったパン作りを工房の端っこで見学する私。
慣れない手つきで一生懸命に小麦粉を計量するリズ。おやおや、お鼻に粉が付いて真っ白けになって。
いつも慎重に物事を進めるルーチェは、丁寧にパン生地を捏ねています。ふふふ。あまり顔には出さないですがいつもより興奮しているようで、耳がピクピク動いていますね。
そしてカメリアは...おや?なんだか浮かない表情を一瞬見せましたか?
そう思っていると良子さんが、
「どうしたんだい、カメリアちゃん?」
「あ...いえ、その...」
少し、言い辛そうに口籠っているカメリアに、
「言ってごらん。私がちゃんと聞いてあげるから」
と、優しく笑いかける良子さんに、カメリアは自信無さ気に口を開く。
「私...普段から冒け...力仕事にしてて、その、リズやルーチェみたいに柔らかい手じゃなくて...ごつごつしてるから、良子さんのパンみたいな繊細な、芸術品みたいなパンを作れるのかなって...そう思っちゃって...」
パンを人一倍愛してやまないカメリアの、彼女なりのジレンマ。生きる為に武器を握りしめてきたその掌には、沢山の努力した証がある。
ハンドケア体験の時も見せた彼女の、女の子らしい部分と相反する掌に、複雑な気持ちを抱いているのでしょう。
あぁ、もう。
そんな気持ちに気付いてやれずに、パン作りの場をセッティングしてしまった自分が不甲斐ないです。
「見せてごらん、カメリアちゃんの手」
「え!?あ、はい...」
おずおずと、両手を開いて良子さんに見せるカメリア。
良子さんは、そんなカメリアの手を取り、しっかりと、隅々まで触って確認しています。
「えぇっと...その」
「うん!全く問題無し!
いや、寧ろとても良い手だよ、カメリアちゃん。
こんな素晴らしい手を見たのは随分と久しぶりだね」
「え!?うそ...こんなにごつごつして、傷だって沢山あって!」
あぁ、良子さん。ありがとうございます。そう、そうなんですよ、カメリア。
「何を言ってるんだい、カメリアちゃん。
いいかい?良くお聞き。
良い手ってのはね、綺麗とか、柔らかいとか、そんな物差しで決めるものじゃないんだよ。
人はね、一生懸命、頑張って生きてこそ輝くものなんだ。
私は偶々パンを焼く事が好きで、逆に言えばそれしか出来なかったんだ。
だから、死に物狂いで何度も何度も、毎日毎日、何年も何年も。
パンを焼いて生きてきたんだよ。
美味しいパンを焼いて、食べてくれる人に幸せになって欲しいって、ずっと思い続けながら。
もちろん、今でもそう。そして、これからも、そう生きていくんだよ、私は。
カメリアちゃんが、今までどういった仕事をして生きてきたのかは私は知らない。
知らないけど、この手は、カメリアちゃんの手は、ちゃんと一生懸命生きてきましたって、辛い時も、悲しい時も、悔しくて涙を流した時も、頑張って、歯を食い縛って、乗り越えてきたって。
楽しい事も、嬉しい事も、幸せな事も、この手で掴んできたんだよって、ちゃんとこの手が言ってるよ。
いいかい?
良い手を持っている子はね、間違いなく良い子なんだ。
だから、私が保証してあげる。
カメリアちゃんは一生懸命頑張って生きてきた、とっても良い子さ!
その手なら、とっても美味しくて、幸せなパンが焼けるよ!」
その言葉を贈られたカメリアの目から、涙が流れて。
泣き笑いながら、カメリアは良子さんに。
「ありがとうございます!!」
ありがとう、ございます。良子さん。
私は。
私は、娘達の頑張りが人から認められる事がこんなに幸せで嬉しい事だって、初めて知りました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます