◉救世主は。

辺境伯家貴方達はどうするつもりなんだ?」


 誰も答えようとしない。

 いや、どう答えて良いか分からない。

 どうすればいいのだろうか、そんな事を考えているであろう表情のリーゼと、セバス。

 全く分からずに、考えるのを半ば放棄した様子のローザ。

 未だに大貴族であり領主だから偉いのだと、何故に特権階級の自分を曲げなくてはならないと、沸々と怒りの感情を表し始める、ケイン。

 そんなケインは、さも自身の先見を誇示するかの様に言い放った。


「フンッ。どれだけの重要人物かは知らんが、所詮は他国から出奔してきた商人だろう?

 そもそも貴族でも無い奴に、私達が気を遣っている方がおかしいのだ。

 皆も心でそう思っているから何も言わないのだろう?

 安心して良いぞ、この場に来る前に部下を其奴のところへ向かわせてある。

 多少手荒でも良いから連れて来い、とな。

 皆の前に跪かせてブローチを下賜してやろうと、先に手を打っておいたのだよ。

 どうだ、リーゼ?旦那様はちゃんと君の為に行動しているだろう?」


 愕然として、唖然とした。

 何を言っているんだ、この戯けは。

 今まで、何を聞いていた。

 このブローチ火種を、跪かせて、下賜するだと?

 この軽佻浮薄な男が、辺境という難しい土地を治める領主であり、自分の夫なのか、と。


「あ、有り得ない...そんなことは、あってはならないわ...」

「........ケイン坊ちゃん...」

「...........間違えた、のね」

「兄上!なんて馬鹿な真似をしてくれたんだ!

 その愚かな行動で取り返しがつかない事態になる事が何故分からんのだ!


 はっきり言うぞ?彼の故郷の国は、このルーク王国など足元にも及ばない程、技術力も経済力も軍事力も進んだ先進国だと簡単に推測出来るだろ!

 そんな国家でも上位の人間とのコネクションを持っている可能性が極めて高い彼を、

 跪かせる?下賜する?

 阿呆か。

 圧倒的な軍事力を以って、完膚なきまで叩きのめされ、跪き、頭を下げるのは、果たしてどちらになるんだろうな?

 俺が彼の立場なら、この辺境程度、そう手間もかけずに捻り潰してやるだろうよ。

 散々馬鹿にされたら頭にくるだろ、普通。

 あんたは、それ程の事をしたんだよ。

 祈れよ?あんたの部下がアキサメ君に擦り傷一つ負わせていない事を、この辺境の地が業火の果てに滅びないように、祈れよ、兄上」


 マルクは続けて「商業ギルドは先程言った通り辺境伯領との取引を全面的に停止し、ガルトから撤退する」と言い、「俺はガルトラムの名を捨てる」と吐き捨てた。


「え?あ、いや、そんな、せ、戦争など..」


 事態の深刻さに今頃気付き始めたケインだが、上手く言葉に表せない。

 そんなケインの様子に構う事無く、リーゼがはっきりとした口調で話す。


「旦那様、いえ、ケイン・ガルトラム様。

 私リーゼロッテは筆頭公爵家実家に帰らさせて頂きます。向こうに着き次第、離縁を申し出ますので、宜しくお願いします」

「リ、リーゼ?どうして!?」

「リーゼさん...」

「勘違いなさらないで下さいませ。アキサメさんの件は元々私が発端ですので、きちんと最後まで対応させて頂きますから。

 貴方様との事につきましては、愛想が尽きた、と表現するのが良いかと。

 貴族の特権だの何だのと、権利にばかり執着して横柄に振る舞い、義務を果たす事は無い。

 自身の行動や発言に、この地に住まう愛すべき民達の安寧や未来など一切顧みない。

 その様な人間の側には、あの門番の様な人間が集まってくるのは必然ではなくて?」

 

 確かに。

 どちらが領主として相応しいのやら。

 マルクとセバスは心の中で今更ながら、そう思う。

 ローザは、現状を悲観して両手で顔を覆い声を殺して泣いていた。

 この重苦しくて悲壮感の漂う雰囲気に、誰もが沈痛な面持ちを隠しきれない中、それは突如、現れた。


「失礼するわよ」


 バタン、と扉の開く音と共に聞こえた女性の声。

 仮にも領主邸の政務室を、断りも無く開け放った者を叱るべく声を出そうとしたセバスは、


「誰ですか!此処をどこだ...と...!!?」


 慌てて跪き頭を下げて最敬礼をするセバス。


「「「「?...!!!」」」」


 他の者はその行動に驚くと同時に、セバスの先に居る女性を見て、慌てて席を立ち、床に跪き最敬礼をする。


「あらあら。私がブローチを下賜しなくちゃいけないの?」


 笑えない。この御方は全てご存知だというのか...。


「面を上げなさい、貴方達。

 久しぶりね、ローザ。少し老けたんじゃないの?

 リーゼロッテも息災かしら」

「お久しぶりでございます。大公妃殿下」

「はい。ご無沙汰致しております。大公妃殿下」

「相変わらず固いわね〜」


 大公妃殿下。ルーク王国国王陛下の姉君であらせられる。大公家を興し、その政治手腕で領地を繁栄させた女傑。

 代替わりした今も尚、その影響力は衰える事は無い。

 正真正銘、高貴なる御方である。

 皆が思う事は1つ。

 何故、此処にいるのですか、と。


「皆、何で私が此処に居るのか気になる様ね」


 百戦錬磨の女傑には、辺境伯家程度の人間の心を読む事など容易いらしく。


「レオンと久しぶりにお茶でも飲もうかと遊びに来たの。

 孫自慢がしたくてしょうがないみたいだったし、私もリズちゃんとお話したかったのよ」

 

 レオンとは、前辺境伯、ローザの夫でケインとマルクの父である。


 ガルトに来た理由は、分かった。

 分かったのだが、何故このタイミングでご来訪されたのか、が分からない一同。

 しかし、その理由は更に最悪な状況を招いている事の通告だった。


「楽しい気分で街を観光してたら、気になる屋台を見つけたのよ!」


 嫌な予感がする。


「可愛いらしいハーフの女の子が、ハンドケアの体験をして大喜びしてたの」


 美容品.....。


「私も体験したくなっちゃったから並んだのよね〜。

 それなのに、愚か者が横入りしてきそうになったから、気分が台無しになりそうだったわ」


 .....心当たりしか、無い。

 「カイン」と大公妃殿下が呼ぶと、廊下から見覚えのある鎧の男を引き摺りながら、1人の騎士が入ってきた。


「主様、この狼藉者はどちらに捨て置けば良いのでしょう」

「その辺でいいんじゃない?」

「畏まりました」


 ドシャ、と部屋の隅に投げ捨てられた、辺境伯家の騎士。

 片腕は肘から先が無くなっており、止血の為か焼かれた形跡がある。

 顔は...誰だか判別出来る状態ではない。

 意識は無いが、生きてはいる様だ。


「偉そうに「どけ!」なんて言って私に触れそうになったから、カインが取り押さえたのよ。

 話を聞いたら、辺境伯ここの騎士だって言うじゃない?「私は辺境伯家の騎士だぞ!」って言うからカインが斬っちゃったわ。

 だから何?って感じよね〜。

 あんまりにも躾がなってないから、飼い主に文句を言いにきたのよ、ねぇ、ガルトラム辺境伯?」


 さ、最悪だ...。他国に滅ぼされる可能性より先に、自国内で粛正されるという確定事項が起きていた...。

 何故、どいつもこいつも碌な事をしないんだ、この家の者は。


「も、申し訳ありませんでした!部下はある商人を連れてこようと急いでいた「手荒な真似をしてでも良いから、だったっけ?」...」

「あら?知らないとでも?話を聞いたって言ったじゃない。

 貴方達がアキサメちゃんに不義理な事をして、更に理不尽な対応をしようと企んでいる最中なんでしょう?」


 アキサメ


「〈気まぐれ猫〉なんて、とてもお洒落な名前よね。

 ハンドケア体験は最高だったわ〜。私の手がスベスベになって、本当に若返ったみたいなのよ〜。

 〈天使の祝福〉ってハンドクリームを使ってケアしたのよ!1人2個しか買えなかったけど、買えて良かったわ〜。もう売り切れたみたいだしね。

 〈天使の祝福〉って名前も可愛いじゃない?

 店主のアキサメちゃんもマッサージ上手だし、お話しも楽しかったわ。こんな年寄りに「お嬢様」、ですって。うふふ。私、久しぶりに女の子扱いされて嬉しかったの」


 まるで、ロマンチックな夢を見る少女の様に、無邪気な笑顔をする天上人に、跪く一同は、訳が分からない、と呆然とする。


 マルクは心の中で思う。


 アキサメ君、君は何者なのだ、と。

 

 

 

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