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黒兎くろと壱登いちとに連絡を」

「はい!」


志乃歩しのぶの指示に、黒兎は頷いてスマホを取り出す。志乃歩はたま子に向き直った。


「今はって事は…、たまちゃんとは別の術師があの火を作ったんだね?」


本物の火を作るには、化想と意識を繋げる必要がある。たま子の化想は、それがない。


「あれは意識を繋げてる、本物となれば森や街が燃え、しかも化想だからただの水じゃ消えない。同じ化想の大水でも流す?それこそ大騒ぎだね、隠してきた化想の存在が暴かれるかも」


たま子の言葉に、志乃歩は溜め息を吐き、頭をくしゃと掻いた。


「君は誰の指示でこれをやってるの?」

「誰でも良い。野雪のゆきさんが一緒に来てくれたら、あの火は本物のようにはならないんだから」


再び床から壁から鎖が飛び出して、野雪の腕や足に絡みつく。野雪はされるがままだが、その瞳が真っ直ぐにたま子に向けられると、たま子は自分が野雪を捕らえているのに、自分の方が野雪にねじ伏せられてるような気がして、臆病に肩を震わせた。


「本当に、何も聞いてないのか?」

「い、言ったじゃない、私は知る必要がない」


肩を強ばらせ、たま子が言う。呼吸が荒くなり、怯えと戦っているのが誰の目にも明らかで、野雪はそっと目を伏せた。


「だから、好きなものも奪われたのか」


野雪の抑揚のない言葉が、真っ直ぐにたま子に突き刺さる。たま子は丸い瞳を大きく見開き、ぎゅっと本を抱いた。


「だって、仕方ないじゃない…」


呟くと、たま子は紙を指でなぞり、再び鎖が部屋中に張り巡らされていく。さすがにスーツの化想がたま子を押さえに飛びかかるが、無数の鎖がたま子とスーツの化想の間に飛び込み、行く手を阻んだ。が、その鎖はいとも簡単に壊されてしまう。


「待て!」


スーツの化想がたま子を押さえ込もうとした瞬間、野雪が叫び、スーツの化想が動きを止めた。たま子は床に散らばった鎖の破片を手に握りしめる。たま子の表情が歪み、「駄目だ!」と野雪が叫んだが、たま子はその血で紙の上を滑らせていく。


血印けついんは術師の体を食う。たま子がやっても心をすり減らすだけだ!」

「でも、強くなる」


模様を描いた紙が光り、張り巡らせた鎖を薙ぎ払いながら獣が現れた。シロよりも大きく、黒い毛並みのそれは、巨大な熊のように見える。だが、普通の獣とは違う。体の毛は刃のように尖り、目は隠れ、鋭い牙と狂暴な唸り声が床や壁を震わせる。振るう腕は、本棚を容易く薙ぎ倒し、爪が床板を抉った。獣の目は見えなかったが、獣が野雪を狙っているのは間違いなかった。咆哮と共に駆け出す獣に、志乃歩達は咄嗟に野雪を守ろうと動き出したが、野雪は手を向けそれを制した。そのまま小柄な野雪の体は獣にのし掛かられ下敷きになり、その腕が獣の口へと吸い込まれた。


「野雪!テメェ、たま!」

「待て」


怒り任せに機関銃を出し銃口を向ける姫子に、野雪が声をかける。野雪は腕を齧られ床に抑えつけられていたが、もう一方の腕を伸ばすと、その獣の顔に触れた。


「硬い」


毛質がシロとは全く違う、生き物の温もりはそこにはなく、岩のような自然物でもない。加工された、感情のないもの。たま子が血印を使い、無理矢理心を通わせた化想は、それでも血が通ってないみたいで、野雪は僅かに表情を歪めた。これは、悲しいという感情だと、野雪は心の中で思う。


「野雪、大丈夫なのか?」

「たま子の化想だ、大丈夫に決まってる」

「え、」


その返答に姫子は困惑し、志乃歩に視線を向ける。志乃歩も戸惑いはあったが、野雪に任せようと姫子に頷いて答えた。

野雪が硬いそれを撫でていれば、凶器のような毛が少し柔らかくなる。獣からも徐々に狂暴さが薄れ、力が抜けていった。大人しくなった獣は口を開き、野雪の腕を放した。その腕は、傷一つなかった。


「な、なんで」


驚いたのは、たま子も同じだった。獣は徐々に体も小さくなり、野雪が抱けるサイズにまでなってしまった。表情も先程までのものと一変し、まるで熊のぬいぐるみのようだ。野雪がそっと抱きしめれば、獣からは、先程とは違う温もりを感じた。



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