28



「さぁ、行くよ!」

「はいッス!」


姫子ひめこは意気揚々と号令を出し、車の運転席に乗り込んだ。俊哉としやも「姐さんの運転なんて感激だな~」なんて、顔をほくほくさせて助手席に乗り込んだが、野雪だけはどこか渋っているように見えた。些細な抵抗だが、野雪の感情が見えるのは珍しい事なので、たま子はそちらの方が気になってしまい、野雪が何に抵抗を覚えているのか、その理由を考えるまでには至らなかった。


だが、車に乗って、その理由はすぐに分かった。


姫子の運転は、なかなかにアグレッシブだった。持ち前の男前な性格が存分に発揮され、山を下るだけなのに、まるでジェットコースターに乗ってるような感覚だった。この運転で街に出て、果たして交通ルールは守られるのか、人に危害は及ばないのか、自分の命は守られるのかと、不安を通り越して恐怖を覚えるレベルだ。


それでも野雪のゆきは、乗車前の些細な抵抗を忘れたかのように、いつも通り平然としている。もしかしたら、すっごく我慢をしているのかもしれないが、恐怖に耐えられない俊弥とたま子は絶叫し続け、山を下るだけで疲労困憊だ。俊弥は助手席に乗っていたので、たま子よりも怖い思いをしたのだろう。

山を下りてからは俊哉が懇願し、俊弥が運転する事となった。姫子は不満顔だったが、たま子は心から安堵した。ちらっと隣を見ると、野雪も心なしかほっとしているようにも見える。つい最近、ビルの屋上から飛び降りたりもしていたが、あれは仕事が絡んでいたから出来たのだなと、たま子はそれに対しても、どこかほっとした思いだった。






「ここッスよ」


そうして、安心安全の運転で俊弥が皆を連れて来たのは、住宅地の中にある建設中の戸建ての前だ。建物の左右には、同じように建設中の戸建てが三軒並んでいる。今日は休日だからか、辺りはとても静かだ。


「シロさんの偽物は、ここから出て来たそうッスよ。時間は夜中ッス。今日は休みだから、人はいないッスね」


俊弥がそう説明をしている中、野雪はさっさと建設中の建物の幕の中に入ってしまう。


「あ!駄目ッスよ、勝手に入っちゃ!危ないッスから!」


俊弥が慌てて野雪を追いかけ、姫子とたま子もそれに続いた。中に入ると、中央にぽっかりと空いた空間がある、まだ家の骨組みだけのようだ。

野雪はぐるりと内部を見回すと、ショルダーバッグから取り出したノートにペンで線を引いた。現れたのは緑色をしたレーザーの光で、それは建物内の地面から骨組みをなぞっていく。光を当てられた俊哉は驚いて跳び跳ねていたが、人体に影響はないようで、姫子は手のひらに光を受けながら不思議そうに首を傾げた。


「何やってるんだ、野雪。何の光?」

「探してる」


何を、と姫子が問いかけようとした時だ、空からヒラヒラと紙切れが落ちてきた。それを確認すると、野雪はレーザーの光を消し、落ちてきた紙切れを拾った。


「これを探していたのか?ただの紙?」


姫子が野雪の手元を覗き込んで首を傾げる。何が書いてあったのかは分からないが、千切れた紙片だと分かる。紙の端には文字か絵の一部だろうか、インクで書かれた線が見える。

「偽シロさんを描いた紙ッスかね」と、俊哉も難しい顔をしながら野雪の手元を覗き込んだ。


「分からない」

「うちの奴らが化想も壊しちゃったからなー、描いた紙が残ってれば、誰の仕業か分かるかもッスけど」


俊哉は悔しそうに頭を掻いた。

他人の化想を消す場合、化想を壊すと、その

化想の元となっている絵等を描いた紙もボロボロに破れてしまう。野雪が手にした紙も、阿木乃亥がシロの偽物の化想を壊したからだろう。先程の緑の光は、化想の気配を探す探知機のようなもので、それに当てられて出てきたのがこの紙片だけなら、誰かが回収し忘れたのか、それとも他の残骸は風にでも飛ばされてしまったのか。


「やっぱり阿木之亥あぎのいの自作自演か?シロの事を知ってれば、それっぽいのは作れるだろうし。でも、シロに阿木之亥を襲わせたって事は、野雪と阿木之亥に一戦やらせたい奴の仕業ってことになるのか?」


首を傾げる姫子に、俊弥は恐れ多いと焦って首を振った。


「そんな事しても、争いにはならないッス!うちの人達は野雪さんを欲しがりながら恐れてもいるんスよ?意味分かんないッス!」

「だよなー、だとしたらシンの仕業か?シンは、阿木之亥への恨みから生まれた教徒だろ?」


「俺はどちらかと言えば、シンの方に近い」


ぽつりと零した野雪の言葉に、俊弥は飛び上がり、姫子に詰め寄った。


「え!?じゃあ、シンも野雪さんに味方して欲しいって事ッスか!?嫌ッスよ、そんなの!野雪さんを敵に回したくないッスよ!」


俊哉は顔を青く染めながら、姫子の肩を揺さぶり尋ねている、野雪には怖くて直接聞けなかったのだろう。


「アタシが知るかよ!つーか、アンタが阿木之亥の次期当主様に言って、争いを止めさせりゃ良いだろ!」

「無理だって知ってて言うんスから、姐さんは…!」


俊弥は泣きそうになりながら、「もう、とりあえず出ましょ。ここは入っちゃいけない場所ですよ」と、皆を促した。ここは建設中の建物の中で、人様の敷地の中だ。本来入ってはならないのだから、通報でもされては厄介だ。


「逃げるつもりかよ!」

「違うッス!勘弁してくださいよ~…」


今度は野雪の背中に隠れる俊哉。野雪は俊哉と姫子の言い合いに挟まれても、我関せずといった具合で、紙片を見つめながら建物の外へと歩いていく。

たま子も彼らに続いて出ようとしたが、何かに躓いて転びそうになった。


「え、」


と、思ったら、今度は体が真後ろへ、ぐん、と、引き寄せられた。すると、黒い霧が一瞬の内にたま子の前に現れ、その意味を理解したのか、たま子は恐怖に唇を震わせた。



「や、やめて!」


たま子の声に、野雪達がはっとして振り返ると、一体どこから現れたのか、今まで自分達しか居なかったその場所に、パーカーのフードをすっぽり被った二人組の男がいた。その内の一人が、たま子の体を背後から羽交い締めするように捕らえていた。


「な、何してんスか!」

「アンタら、どういうつもりだ!」


姫子が前に出ようとすると、一人の男がたま子の顔にナイフを突きつけ、姫子の足を止めた。


「動くな!こいつがどうなってもいいのか!」


男が叫んだ直後、ナイフを持った手が何者かに払われた。男が驚いて振り返ると、彼の背後には、いつの間にかスーツ姿の男が立っていた。

男は黒いスーツを着て、白いリボンの帯がついた黒いハットを被り、黒い革の手袋をはめている。黒い革靴もピカピカだ。全身黒いが、上品で洒落た出で立ち、その服を纏う本人も、真っ黒だった。まるで黒いマネキンのようで、その顔には目も口もない。

スーツの黒い男はナイフを叩き落とすと、すぐにフードの男を羽交い締めにして地面に押し付けた。もう一人の男が助けに入ろうとしたが、姫子がスカートの裾の模様をなぞって機関銃を取り出し、弾丸を男の足元に浴びせた。ダダダダ…と銃声が響き、傍らに居た俊弥は悲鳴を上げ、再び野雪の背に隠れた。野雪は俊弥より背が低いので、俊弥は大分へっぴり腰だ。


「あ、姐さん!そ、その辺で!その辺で!」


野雪を盾に俊哉は叫んだ。弾丸を浴びた男の姿を想像すれば、悲惨すぎて恐ろしすぎて。俊哉の見た目は些か近寄り難い風貌をしているが、こう見えて血や暴力は苦手なタイプだ。


「安心しな、命を奪いやしないよ」


機関銃から放たれる音が止み、姫子は得意気に機関銃を肩に担いだ。俊哉がそろりと顔を上げれば、蜂の巣になったと思われた男は血の一滴も流していなかった。よく見ると、姫子が放ったのは弾丸ではなくとりもちだったようで、男の体と地面をくっつけていた。これも、化想だから出来る事だろう。


「いかしてるだろ?メイド服と機関銃。アタシのトレードマークさ!」


姫子は体が動かせない男に近寄ると、男のフードをぐいと掴み上げた。その間に、俊弥はへっぴり腰ながらも、急いでたま子の腕を引き避難させた。たま子は野雪の元へ戻ると、恐怖からか座り込んでしまった。


「だ、大丈夫ッスか?」

「は、はい…腰抜かしちゃって」


たま子は苦笑い、そっと腰に手をあてた。その手には何かが握られているようだったが、野雪は横目にそれを見つめただけで、再び男達に視線を向けた。


「アンタら何者だ?」


機関銃を構えて姫子が言う。フードを外し、銃口を向けても、男は不思議と表情一つ変えなかった。まるで能面のようで、その不気味さに姫子は僅か怯んだ。


「化想だ」

「…は?」


野雪の言葉に、姫子は拍子抜けして振り返った。それから「離れて」という野雪に従い、姫子が男達から離れると、野雪はショルダーバッグから化想を封じる本を取り出した。


「だからか…」


その不気味さの理由に姫子が納得し、野雪が本を開こうとしたが、タイミングを計ったかのように、どこからともなく放たれた矢が、フードの男達の体に刺さった。矢を受けた化想の彼らは、さらさらと砂のようになり、瞬く間に消えてしまった。


「な、なんスか!敵襲!?」

「術師がいる」

「下がれ!」


姫子が咄嗟に野雪を庇うが、第二矢が飛んでくる様子はない。


「…お、終わりッスか?」

「化想を始末しに来たんだ」


野雪が本をしまい、素早くノートを取り出し線を引くと、今度は白い鳩が飛び出した。「探して」と鳩に告げると、鳩は建物の中を外をと飛び回った。


「チッ、正々堂々向かって来いってんだ!」

「こっちに矢が飛んで来たらどうするんスか!お帰り頂いて正解ッス!」

「それじゃ、いつまでも捕まえらんないだろ!」

「で、でも…!」

「さっさと出て来い!弱虫野郎!」

「やーめーてー!」


騒ぐ姫子を俊哉が抑えようとするが、簡単にその細腕に頭を抱えられ、俊哉は再び悲鳴を上げた。

その傍ら、野雪は立ち尽くしている黒いスーツの男に向かった。


「ありがとう、助かった」


ポンと野雪がその肩に触れると、スーツの黒い男は礼儀正しくお辞儀をし、野雪の手元へと戻っていった。野雪の手の平には、小さいカードの束がある。そこには、野雪にしては珍しくスーツの絵が描かれていた。今の黒いスーツの男を呼び出す専用の印だ、彼は野雪の化想で、たま子が捕らわれた時、野雪は咄嗟にその絵に触れて彼を呼び出していた。

野雪はそのカードを、大事そうにカバンの中にしまった。いつでも彼を呼び出せるように、化想をカードに記憶させて持ち歩いているようだ。


野雪は化想を道具として扱わない。

野雪の様子をぼんやり見ていたたま子は、消えたフード男のいた場所に目を向けると、きゅっと唇を噛み締めた。



敵はといえば、そちらは姿を現す気配がない。姫子は舌打ち、俊哉の体を解放すると、まだ座り込んでいるたま子を見て、はっとして駆け寄った。


「たま、大丈夫か?あ、首ちょっと切れてるじゃないか!」

「血!?大変ッス!」

「た、大した事ありませんから」


たま子はそう言うが、小さな傷でも姫子は心配そうに顔を歪め、俊哉も慌てている。


「ただのかすり傷です」

「いや!預かりもののたまさんを傷ものにしたとあっちゃ、志乃歩さんに怒られるッス!」

「傷もの…」


とにかく車へ戻ろうと、慌ただしく車に向かう面々の中、野雪は化想が現れた場所を見つめていた。地面に刺さった矢が、サラサラと砂のように消えていく。



その後、飛ばした鳩の目でも術師を見つける事は出来なかった。



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