27




それから数日後、歩けるようになった朱実は、病院から警察署に向かう事となった。志乃歩しのぶ野雪のゆきが見送りに向かえば、化想患者という事もあり、壱登いちとが車で迎えに来ていた。

壱登の車に乗り込む前、彼女は二人を前に、しっかりと罪を償い、妹に恥じぬように生きていくと誓い頭を下げた。


「…また」


車に乗り込む朱実に、野雪がそう小さく声を掛ければ、彼女は目を丸くして野雪を振り返り、それから泣きそうに笑んで、もう一度深く頭を下げた。

化想患者だが、警察が関わると、簡単に様子を見に行く事も出来ない。阿木乃亥家が絡んでくるからだ。

それでも、義務ではない思いを野雪に見て、志乃歩は嬉しそうに微笑んだ。


またね。それはきっと、彼女にとっても大事な言葉となる筈だ。









それから数日が経った、ある日曜日のこと。


世間は休みでも、化想を扱う彼らには休みらしい休みはなく、志乃歩も、カウンセラーとして仕事が入っていた。

それでも平日よりはのんびり出来るようで、いつもよりゆっくりと皆で朝の時間を過ごしていた。


そんな中、そろそろ朝食をという頃合いに、九頭見くずみ邸に来訪者があった。


「おはようございます!志乃歩さん!」


九頭見の屋敷に、元気な声を響かせているこの青年は、依田俊弥よだとしや、二十五才。小柄な体格の彼は、金色の髪をツンツンに立て、いつもスカジャンを着ている。アクセサリーを多めにつけているせいか、歩くとジャラジャラ音がするので、目を閉じていても彼がどこにいるのか良く分かるだろう。


彼は以前、他人の化想けそうに巻き込まれ、秀斗しゅうとに助けて貰った事があるそうで、以来、秀斗に憧れ、秀斗に化想操術を学びたいと直談判し、阿木之亥あぎのいの家で化想操術師として働いている。秀斗の部下の一人だ。

なので俊哉にとって、秀斗が弟のように接する志乃歩も、敬うべき存在であるようだ。



「おはよう、どうしたの?早くから」


穏やかに応じる志乃歩とは対照的に、俊哉を玄関で出迎えダイニングに案内してきた姫子は、小さく舌打ちして横を通り抜けた。俊哉の元気の良さは、時折姫子を不機嫌にする。そんな姫子に切ない眼差しを向けながらも、俊哉は「ちょっと確認したい事があって…」と、言葉尻を濁しながら、そわそわと野雪に目を向けた。


ダイニングでは、志乃歩と野雪が並んで座り、志乃歩は新聞を広げ、野雪は英字の本を読んでいた。俊哉のそわそわとした視線を感じたのか、野雪が本から顔を上げれば、野雪と目が合った俊哉は、「いや、でも…」と、どうにも躊躇いを見せるので、志乃歩は歯切れの悪い俊哉を不思議に思いつつ、先を促した。

俊哉はようやく決意を固めたのか、少々大袈裟に息を吸い込んでから口を開いた。


「それがッスね…あの、野雪さん、昨夜は家に居たッスよね」


屋敷にやって来た時の元気の良さはどこへやら。俊哉は不安そうに、かつ恐る恐るといった具合で尋ねるので、志乃歩はますます不思議に思い首を傾げた。

夜でも野雪はよく庭に出ているが、屋敷の外へ一人で出歩くことはしない。心を許せた人は別だが、野雪はあまり人が得意ではないし、昼間でも積極的に町へ出るタイプでもなかった。

野雪の性格は、俊哉も知っている筈だ。なので、志乃歩には余計にその確認が不思議に思えたようだ。

「居たよね?」と、志乃歩が野雪に確認すると、野雪もきょとんとしながら頷いた。


「なんでそんな事?」


黒兎くろとは少し離れた場所で仕事の確認をしており、姫子とたま子はキッチンで朝食の準備をしていた。皆も、何かあったのかと、仕事の手を止めて俊哉の元へ集まった。皆の視線を一身に受ける中、俊哉は居心地悪そうにしながら「俺がそうだって言うんじゃないですよ!」と、しっかりと前置きをしてから続きを口にした。


「実はッスね、夜中にうちの奴らが巡回してたら、シロさんそっくりの化想に襲われたって言うんです」

「シロはそんな事しない」


すかさず野雪から反論の声が上がり、俊弥はびくりと肩を揺らした。野雪はいつもの調子で言っただけだが、俊弥にとっては強い否定の言葉と受け取り、野雪を怒らせたと思ったようだ。


俊哉は、志乃歩の周りの人達にも敬意を払っている。それは、秀斗の大事な人が大事にしている人達も、大事にすべきという考えがあるからだ。志乃歩の養子である野雪は、勿論、俊哉にとって大事な存在の一人なのだが、感情を表に出せない野雪は不機嫌に見られる事も多く、俊哉はいつも怒らせたと勘違いをして、おろおろするばかりだった。

でも今回は、本当に野雪を不機嫌にさせている。濡れ衣を着せられれば、腹を立てるのも仕方ない。


「そ、そうッスよね…」と、俊哉は怒る野雪に怯みながらも頷いた。


その傍らで、志乃歩も眉を寄せながら「場所は?」と、俊哉に尋ねれば、俊哉は縋るように志乃歩の傍らに駆け寄った。


「う、うちの管轄の住宅街の中で、建設中の戸建てから飛び出して来たみたいッス」

「阿木乃亥の管轄じゃ、この辺じゃないな…鳩は感知出来ないか」


ふむ、と志乃歩は顎に手を当てた。俊哉は幾分身を屈め、申し訳なさそうに志乃歩を見上げた。


「わざわざシロさんに似せるとか、うちの奴らの自作自演ッスかね?」

「なんでそう思うの?」

「最近、階級争いが激しくて。派閥とか何とか、巻き込まれた術師は点数稼ぎに躍起になってるッスよ。俺は、秀斗の兄さん一択ッスけど!兄さんは俺が守るので、安心して下さいッス!」


どんと胸を張る俊弥に、志乃歩は笑い、頼りにしてるよと肩を叩いた。


「シロを知る人間の仕業ですか…」


黒兎はちら、とたま子を見つめる。突き刺すような視線に、今度はたま子が居心地悪そうに俯いた。


「まぁ、こっちが何も無さそうなら良かったッス!もしかしたら偽物のシロさんを使って、野雪さんに不利な事をするかもしれないし、俺達も注意しとくッス。志乃歩さん達も気をつけて下さい!」

「分かった、ありがとね。ついでに朝飯食べていく?」

「マジッスか!?やったー!」


先程までの臆病な様子はどこへやら、早速元気いっぱいに喜ぶ俊哉に、姫子があからさまに嫌な顔を浮かべ舌打ちした。


「はぁ!?今から一人前追加かよ!さっさと帰って、自分んちで食べれば良いだろ!」

「そんな姐さん!殺生な…!」


俊哉は姫子の事を、姐さんと呼ぶ。それは大事な九頭見家の人だから、というよりは、姫子の男勝りな振る舞いが、俊哉をそうさせているのかもしれない。


泣きつく俊哉に、苛立つ姫子が言い合いを繰り広げれば、今度は黒兎がその騒がしさに苛立ちを覚え、更に賑やかさが増していく。


止めるべきか、果たして自分にこの嵐のような言い合いが止められるのか。ハラハラしながら様子を見つめているたま子の横で、野雪は我関せずといった具合だ。こちらもいつもの事だと、再び新聞を広げ始めた志乃歩に、野雪が声を掛けた。


「志乃歩、偽物のシロが居たって場所に行きたい」


野雪の申し出に、たま子はそちらに顔を向けた。志乃歩は野雪の申し出に少し悩んだ様子を見せたが、ややあって野雪の思いに頷いた。


「そうだね、このままだと気になるしね」


すると、キッチンに移動しながらも黒兎と言い合いを続けていた姫子が、「はいはい!」と挙手しながら戻って来た。


「アタシが野雪を連れて行くよ。志乃歩、仕事だろ?」

「わ、私も行っては駄目ですか?」


姫子に続けて手を上げたたま子に、志乃歩は僅か眉を上げた。それからまた少し考え、やがて頷いた。


「分かった、でも、何かあっても深追いは駄目だよ。姫、二人の事頼むね」

「任せな!そうと決まれば、ご飯食べて出発だ!」


「おー!」と、ノリ良く拳を突き上げたのは俊哉だ。


「…道案内じゃ、仕方ないな。食器出すの手伝えよ」

「やった!姐さんのご飯、久しぶりッス!」


渋々キッチンに戻る姫子に、たま子も手伝う為、慌ててその後を追いかけた。


その中で、たま子はそっと自分の胸に手を当てる。どくどくと、胸が波打っている。それを誤魔化すように、たま子は率先して朝食の準備に取り掛かった。




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