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西ノ高等学校は、山を下りて少し走った場所、住宅街の中にあったが、学校の周りには畑があり、そのおかげか周囲は広々として見えた。

車を学校脇の路肩に停め、皆は車の外に出た。


壱登いちと、近くに来てるみたいだ。それまで、少し校舎の様子を見てくるよ。壱登が来たら中に入るから、目隠しの準備しといて。野雪のゆき、行こう。たまちゃんは二人と一緒に居て」


志乃歩しのぶがスマホをしまいながら皆にそう伝えると、それぞれが動き出し、野雪は志乃歩の後に続いた。

野雪と志乃歩は、校舎を見上げながら学校の塀沿いに歩いて行く。建物は三階建てで、よくある普通の校舎だ。

志乃歩達がすぐに学校内に向かわないのは、自分達だけでは、学校内に入る為の許可がなかなか下りないからだ。化想操術師けそうそうじゅつしの仕事は一般に知れ渡っていないので、こうした場所に入るには説得力のある説明が必要で、それに適した援軍を待たなければならなかった。


「うーん。野雪、何か感じる?派手な事にはなってないし、騒ぎにすらなってなさそうだしなー」


校舎の周りを歩いてみるが、部活に励む声だろうか、生徒達の活気ある声は聞こえるが、異変に戸惑う様子は感じられない。


「鳩」


野雪が志乃歩のシラコバトに気付き顔を上げると、シラコバトは志乃歩の腕に止まった。


「二階の端の教室だってさ」


シラコバトの無言の報告が、志乃歩の頭の中に言葉として流れてくる。ちょうどそこへ、「志乃歩!壱登が来たぞー!」と、大声で叫ぶ姫子の声が聞こえてきた。待ち望んでいた援軍が到着したようだ。


「志乃歩様だろ!もしくは社長だ!あなた何度言えば分かるんですか!」

「もう、いちいちうるっさいなー、壱登が来たんだから、さっさと準備しろよ!」


すかさず黒兎くろとと姫子の口喧嘩が始まったのを遠目に見て、志乃歩は溜め息を吐いた。「こらこら、迷惑になるから止めなさい」と、志乃歩は二人に声を掛けつつ校門へと戻って行く。野雪もそれに続いたが、皆の側に別の車が停まっている事に気付くと、慌ててフードを深く被り直した。これは、見知らぬ人物に会う時にする、野雪の癖のようなものだ。だが、車から降り立つ人物に目に留めると、野雪はほっとした様子で、フードを握る手を緩めた。


「早かったな」

「パトロールで近くまで来てたんですよ」


志乃歩に気さくな笑顔を見せるのは、福之井壱登ふくのいいちと、二十八才。彼は、警察の中でも、化想対策課という特殊な課に属する刑事で、志乃歩達とはよく仕事を共にしていた。先程、志乃歩がスマホで連絡を取っていたのも彼で、待っていた援軍だ。

背丈は志乃歩と同じ位で、壱登は爽やかな二枚目といった印象だ。風に靡くさらりとした黒髪、すらりとしながらも逞しい体つき。その容姿もあってか、よく女性に言い寄られているが、実は女性が苦手だという。


志乃歩との会話の中で姫子と目が合うと、壱登は一瞬身構えたが、すぐにその肩の強ばりを解くように努めた。そうでなければ、姫子に睨まれるからだ。姫子は壱登に色目を使う事もないので、壱登もそういう意味では気が楽ではあったが、変にびくびくしていると胸倉を掴んでくるので、気が抜けない存在のようだった。




壱登が来たので学校に事情を説明すると、教頭が門まで出てきてくれた。


五十代半ば位だろうか、グレーのスーツを纏う彼女は、戸惑った様子で、皆を見渡している。突然警察がやって来て、化想だなんだと言われても、戸惑って当然だろう。


「私、化想という人の心が生み出した物を治める仕事をしています、化想操術師の九頭見と申します。この者達は、我が社のスタッフです」

「は、はぁ…」


志乃歩が名刺を差し出して挨拶しても、教頭はまだ困惑している様子だ。一般的に知れ渡っていないものに、いきなり理解を求める事は難しい。それも化想なんてもの、言葉で説明しても信じてもらえない事の方が多かった。




化想は誰にでも起こりうる現象だが、その存在が一般に認知されていないのは、術師が一般の人々には知られないよう、そして巻き込んでしまわないように仕事をしてきた為でもある。


それというのも、化想を出してしまう一般の人々は、ほとんどが無意識の中で化想を出し、その時の状態としては夢遊病に近く、化想を出した時の記憶が残らない事がほとんどだ。

それに、無意識の化想は、その人の心の中を覗き見るのと同じであり、その心や意識が化想と繋がっているにも関わらず、化想を生み出した本人にもコントロール出来ない事がほとんどだ。

そして、コントロールの利かない化想は脅威でもあった。



術師の化想は、全て術者の管理の中にある。


化想には、術者の思いが乗る。志乃歩の鳥達のように欲しい能力を詰め込んだり、野雪のシロのように自分の意志で動く生き物も、意識のないただの鉛筆の化想でも、化想には術師の思いや意識の繋がりが必要で、同時に、術師はそれを確実に切り離す事が出来た。

術師には、そのコントロールが必要だった。それが出来なければ、自分の出した化想に心ごと飲まれて、命に関わる危険もあった。

志乃歩の鳥達や、野雪のシロは、術師との繋がりを持たせている。なので、志乃歩は鳩と言葉もなく会話が出来るし、シロは自分の意志で動く事が出来る。それは、野雪達がそうさせているからで、術師だから出来る事だ。


一般の人が出してしまう無意識の化想は、心や思いがありのまま現れてしまう。そこに技術や力はないが、現れた化想の全てにその人の意識が乗っていた。


化想で炎を生み出した場合、術師の化想なら、術師が意識をそこに乗せている時に限り、他の物を燃やす力を持つ。だが、一般の人の化想の場合、炎が何かを燃やす事は、ほとんどないと言える。勿論、例外はある、心の変化はどこで起きるか分からないし、突如として強い意識が化想に乗れば、炎が燃やす力を持つこともないとは言えない。とはいえ、それは稀な事だ。やはり化想を生み出すにあたっての能力が、そこには関わってくる。


それでも、無意識の化想には、その人の心が、意識は常に流れていて、それが他の人を危険に巻き込む事にも繋がっていた。


術師でない限り、元からの才能でやってのけてしまう人物も時にはいるが、それ以外の無意識の化想とは、その人の吐き出せない思いが具現化されたもので、心の中を覗いているのと同じ事。

それが面白半分に見世物にされる事はあってはならないし、それに、化想を悪用しようとする者が出てくる可能性もある。


もし素人が化想に手を出したとして、無事でいられるものではない。術師のように心得のない人が化想に触れれば、意識や心が他人のものと混ざり合い、気を失うだけならまだ良いが、心を囚われたり、そのまま眠り続けてしまう事もある。数十年、もしくはその命が尽きるまで。


化想が一般に知れていないので、偶然巻き込まれた人々は、対処のしようもない。そもそもが、化想は化想を出した本人以外は、術師が化想を使って治める以外に対処法もない。無意味に人を傷つけない為にも、化想操術師達は化想の出所にいち早く駆けつけ、警察の特殊課とも協力し、なるべく人を巻き込まないよう対処をしていた。今回のように、どうしても化想に対して理解が必要な場合は、どうか内密にと口止めをお願いしているので、一般的に化想に出くわす機会や、化想そのものを知ってる人は少ない。それに、実際に自分の目で見なければ、例え口止めを破ったとしても、化想を信じる者は少ないだろう。




化想に関わる関係者達はそれが良く分かっているので、壱登は教頭の困惑を理解しながらも、申し訳なさそうに口を開いた。女性は年齢問わず苦手意識を持つ壱登だが、仕事ではそうは言っていられない、女性が苦手な素振りは微塵もみせず、壱登は真摯に教頭と向き合った。


「信じられないかもしれませんが、人の心が作り出してしまう、化想というものがあるんです。それは、誰でも生み出してしまう可能性があり、大半は、憎悪や恨み、悲しみ等の感情から引き起こされます。そして、その感情に囚われた人は、心の中のものを抱えきれず、心の外に思いを出して具現化してしまう。物かもしれないし、空間かもしれない。それは、誰の人にも見え、他人も巻き込む可能性があります。化想を生み出した人物や、それに巻き込まれた人々は心を病み、場合によっては命を落とす危険もあります。

なので、警察にも専門の部署があり、化想操術師の彼らの力を借りて、事件となれば勿論ですが、事件を未然に防ぐ為のパトロールも行っているんです。どうかご協力お願い致します」


壱登は頭を下げながら、ぎゅっと拳を握った。


壱登も化想対策課に配属されるまでは、化想なんて物があるとは知らなかったし、この目で見るまでは信じられなかった。正直、今も化想に直面すれば、戸惑う事の方が多い。でも同じだけ、化想を出すほどに苦しむ人も、化想に巻き込まれて傷ついた人も見てきた、目にする全てが現実とは思えないものばかりでも、苦しみはそこに存在している。


教頭は暫し思案していた様子だったが、壱登や志乃歩の様子を見て、頷いてくれた。


「…分かりました、生徒に危険が及ぶことがあってはなりませんから」


警察の口から聞いても、教頭は俄には信じられないという表情だったが、壱登の誠意が伝わったのか、どうにか話を呑み込んでくれたようだ。

それに対し、志乃歩が壱登の背中を軽く叩けば、壱登はようやくほっとした様に肩から力を抜いた。ここで信用して貰えなければ、救える者も救えない。


「校舎に生徒ってどれくらい居ますか?」

「もう下校時間を過ぎたので、部活動の生徒が残ってるくらいですね、半数程でしょうか」

「二階の端の教室って、誰か使ってますかね」

「いえ、空き教室です。今は使っていない筈ですが…」

「そちら見せて頂けますか」

「分かりました、どうぞこちらへ…」


志乃歩は教頭とのやり取りの後、壱登に視線を向ける。警戒をという合図に、壱登は小さく深呼吸して頷いた。

壱登が教頭の後に続き、志乃歩達は黒兎と姫子を残して校舎内へ入った。志乃歩は校門の脇の木に止まっていたシラコバトに合図を送ると、シラコバトは再び空を舞った。



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