金星

目が覚めた。いつもと違うような気がする。やっと重い瞼を開けてスマホを見ると、いつもより三十分も遅れた時間が表示されていた。驚いて私は、ベッドを飛び出した。昨晩は考え込んで、そのまま眠りこけてしまったせいでアラームの設定を忘れていた。身支度を終えて、リビングに行った。京子ちゃんはちょうどその時、家を出ようとしていた。

「あれ、明里ちゃん、寝坊したの?」

「うん、昨日そのまま寝落ちしちゃって」

「今日、休みだと思ってた。起こせばよかったね」

「ううん、大丈夫。たぶん間に合うと思うし」

「そっか、よかった。じゃあ私は行くね」

「うん、いってらっしゃい」

京子ちゃん、今日は家を出るのが遅いな、と思った。でも、よく考えてみたら、それはいつも家を早く出て行き過ぎているだけの話だ。慌てて朝食を食べ終えると、私は家を出た。早歩きしながら駅に向かっていると、交差点に葵がいた。

「葵、おはよう」

「あれ、明里? いつもより遅くない?」

「寝坊しちゃってさ」

「珍しいね〜。そういえばさ、昨日のあれ何?」

「あれって?」

「メッセージだよ、耳があるとか何たらかんたら」

「そのまんまの意味だけど?」

「マジ? 写真も本物ってこと?」

「だからそうだって言ったじゃん」

「え、見に行ってもいい?」

「月曜日にはゴミに出すけど見たいなら」

「日曜日、空いてるから行くわ」

「分かった〜」

ふたりで喋りながら登校するのは、久しぶりのことだ。教室に入るとすでに先生は教壇にいた。ホームルームに間に合って良かった。今日を乗り越えれば、学校は休みになる。どこからかやる気が湧いてくる。毎日が休みならば、もっといいのだけれど。たまに土曜日に、授業があるのは忌々しいことだが、これもきっと大人の事情というものだろう。

やる気が湧いてくるとは思っていたが、実際には早く時間が流れて行ってくれ、と考えてしまうから、授業に集中できない。そんなことをしているうちに、最後の授業も終わった。生徒たちは、もう休日のことしか考えていなかった。

午後のホームルームも終わった。葵と一緒に帰宅している時に、思い出したことがあった。

「そういえば今日ホラー番組あるじゃん」

「そうじゃん、通話しよ」

「しよしよ」

「じゃあ番組始まったらかけるね」

「分かった〜」

葵と約束をした後、家の近くで別れた。ドアを開けて家のなかに入る。冷房と外の温かい空気が混ざり合った、生ぬるい空気が漂っている。リビングの扉を見ると、明かりがついていることに気がついた。消し忘れたかな、と思いながら扉を開けると、そこには京子ちゃんがいた。

「あ、おかえり」

「ただいま。今日は帰ってくるの早いね」

「最近、残業とか多すぎてそろそろまずくなってきたからね」

「労働基準法とかなんかだっけ、よくわかんないけど」

「まぁそんな感じかな、大きなプロジェクトも終わりかけだし、これからは定時出社、定時退社できるかも」

「良かったね〜」

「やっとゆっくりできるよ、いつも家事とか任せっきりにしちゃってごめんね」

「私は、預かられてる身だし、京子ちゃん忙しかったんだから気にしてないよ」

「ほんと良い子だね、明里ちゃんは」

「そんな事ないと思うけどね」

京子ちゃんと少し話しをすると、私は自分の部屋に行った。扉を開けると、見覚えのある小さな段ボール箱が置いてあった。まさか、と思い開けると今度は鼻が入っていた。

「嘘でしょ」

思わず呟いた。机には、昨日捨てたはずの目玉と耳も置いてあった。いったいこれは何だろう? 私の周囲には、こんな子供っぽいことをやりたがる人はいない。こんな馬鹿げたことを被っているのは、おそらく私だけだ。ひとつの箱に、鼻と耳と目玉をしっかりと詰めて、机の端に置いた。捨てても、また机の上に戻ってくるのだろう。たとえ捨てようが、また同じことが繰り返される。これはオカルトの物語にありがちな内容だ。もう諦めた方が早いだろう。

なぜ、私にだけがこんな思いをするのかが不思議だ。夕食と入浴のあと、葵から電話を待ちながらそう思った。

「もしもーし」

「あ、きた。ちょっと待ってね。リビングに移動してくる」

リビングには、誰もいなかった。京子ちゃんは、自分の部屋にいるのだろう。電気を灯して、テレビをつけた。中学生だった時も、通話しながらテレビや映画を見ることが多かった。中学生の頃は、まだ京子ちゃんはいまよりもずっと過酷な労働環境で働いていたから、大抵わたしはひとりで家にいることが多かった。そういった事情を知った葵のお母さんが、葵と一緒に通話することを提案してくれたのだった。

「このネタ前もやってなかった?」

「そうだっけ、ネットでもよく同じようなネタがあるから分からない」

「大体ネットから持って来てるんじゃないかってくらい、同じようなやつ見るよね」

「たしかに」

「そういえば、今日は何も無かったの?」

「今日は鼻が届いた。ほんと意味わからない」

「やば、日曜には福笑いできるんじゃない?」

葵が笑いながら言う。笑い事で済ませる話ではない。

「他人事だからそんなこと言えるんだよ。ほんとに気持ち悪いからね」

しばらくテレビを見て、番組ももうすぐ終わりに近づいた時に、葵が大きな欠伸をした。

「葵、眠い?」

「うーん、なんかここ最近めっちゃ夜更かししててさ。睡眠時間少ないんだよね」

「寝なよ、私も昨日遅かったしこの番組終わったら寝る」

「じゃあ寝ちゃうわ。ありがと、またね」

「うん、おやすみ」

それから通話が切れた。そういえば、葵は眠くなるとかなりテンションが重くなるのを思い出した。たぶん昨日のメッセージの反応が薄かったのは、同じ理由なのだろうか。

眠そうな葵の声を聞くと私もつられて眠くなる。もう歯を磨いて寝ることにした。

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