暗闇からの使者

EP.17 道中ー長野への旅路ー

 味気ないとアリアは思った。

 朝の八時に東京駅を出発した新大阪ゆきの北陸リニア新幹線『かがやき』25号のグランクラスにアリアは春樹達、フラッカーズの面々と乗っていた。

 まだ彼女が20代の頃は一番早い超特急は東京・新大阪間を一時間で走るリニア新幹線『のぞみ』だった。その一時間ですらあっというまに感じていたのに今乗っている北陸リニア新幹線で目指す新長野駅は三〇分で到着してしまう。

 任務とはいえどもグランクラスに春樹・理沙・一久・真理の四人と乗り込んでいるのだから何か話をしたり弁当を食べたり車窓に見入ったりする時間を過ごしたいと感じていた。

 そう思って浮かれてアリアは買ったばかりの水色のストライプのブラウスに真白いロングスカートとサンダルを履いて大助から出会ったばかりの頃に貰って気に入っている紺色のリボンが巻かれたカンカン帽を被り普段から顔に負った火傷の傷跡を隠すために着けているアイマスクも一番新しい物を着用していた。

 「お母さん」

 アリアの向かいのシートに座っている理沙が声をかける。

 首から金色の座金にはめ込まれた翡翠のブローチを下げていて、麻の白い半袖のブラウスにハイウェストのスキニーとヒールの着いたサンダルを履いている。暑い盛りが続くせいかショートボブに髪型を整えていて耳からは金色の飾りと翡翠をあしらったイヤリングが、金色の座金に翡翠を嵌め込んだブローチを首からさげている。

 「ぼーっとしてどうしたのよ。昨日はあんなに楽しそうにしていたのに」

 理沙が言う。

 「あら楽しんでいるわよ。そう見えないかしら」

 アリアが陽気に笑って言う。

 「無理が有るわよ」

 理沙が言う。

 「無理は・・・・・・ごめんなさい

しているわ」

 アリアが少し肩を落として溜め息混じりにはにかんだ。

 「任務だというのは分かっているけど皆と遠出できるのを楽しみにしちゃっていて、本当はもっとゆっくり話したり遊んだりしたいなって」 

 自身の曖昧な気持ちが切り替わらないのが後ろめたいのか視線を理沙から剃らしてアリアが言う。

 「私だって、お母さんと出かけられるのは任務でも楽しみよ。まぁ、お母さんのソレに比べたらドライかもしれないけど」

 理沙が背もたれの後ろに目線を向ける。その先には春樹と一久が座っていた。

 「俺だって楽しみにしていたんだぜ」

 理沙の後ろの席から身を乗り出して半袖のシャツと卸したばかりの黒いチョッキとパンツを着込んだ一久が言う。

 「私もよ。滅多にないんだもの」

 理沙の隣でタブレットに目を向けていた真理が言う。薄いブラウンのブラウスに白いパンツとスニーカーを履いていて肩から白いサマーベストを羽織っている。

 「春樹だってそうさ」

 一久はそう言って隣に座っている春樹に顔を向けた。

 普段と変わらない黒いシャツを二の腕まで巻くってカーゴパンツとスニーカーを履いている。そして愛用のコートは腰巻きにしていた。

 春樹は素っ気なく「あぁ、うん」と応えた。

 「思春期か己は」

 一久が春樹に言う。

 「今回は任務だ」

 春樹が言う。

 「けぇ~冷たい奴っちゃのぉ」

 一久が春樹に言う。

 「ただ予定より早く終わる可能性は十分にあるし事態が想定しているよりも深刻では無い事だってありえる。そうなれば蕎麦の一皿すすってから帰ってくることだってできるさ」

 春樹が素っ気ない口振りで言う。

 「なにを照れているんだか」

 一久が言う。

 「照れていて悪かったな」

 そっぽを向いて春樹が言う。

 春樹とアリアそして大助の親子は春樹が四歳から二一歳になるまで生き別れていた。春樹にとって幼い頃の両親との思いでは数えるほどもなし朧気である。それでも両親の温もりは確かに春樹の心に根ざしていて、生き別れている間も一目でも良いから合いたいと切望していた。その願いが叶って最初に母のアリアを見たときは齢四十半の色気と明らかに年齢と釣り合わない若々しさ、そして何よりも平時から着けているアイマスクとその下にある焼けただれた素顔に度肝を抜かれたのである。

 新長野駅でリニアを降りた一行は長野電鉄の特急『ゆきかぜ』に乗って須坂を目指していた。

「不思議なものよね」

 アリアが不意に言う。

 「何が」

 ボックス席のアリアの隣に座っていた真理が言う。

 「須坂まで三〇分、私たちが東京から長野に着くのも三〇分。乗り物が違うだけでこんなにも進める距離が違ってくるのがね」

 アリアが言う。

 「そりゃそうよ。それに地下鉄はうねりながら路線を敷いているけどもリニアは東京から殆ど一直線に敷かれているのよ。加速の力が違うわ」

 真理が言う。

 「そうね。新しいものは速いのが取り柄なのよね」

 アリアが言うと古びた電子音の発車メロディがホームに流れた。そして列車がホームから滑り出した。

 長野電鉄長野線の特急『ゆきかぜ』は新長野駅から湯田中までの約30キロを45分で駆け抜ける。新長野駅を発車した『ゆきかぜ』は地下を通って長野駅・権堂駅に止まった後に地上に出て一行の目指す須坂駅に到着する。

 「そんなに見入るものか」

 隣に座って車窓に目をやっている理沙に一久が言う。

 「建物が低くて戸建てが多いわ。それに庭と道路が開けているの」

 理沙が車窓の縁に肘を着いてもたれかけながら外の風景を眺める理沙が言う。

 「庭ってウチの方が広くて立派なもんだろうよ」

 一久が言う。

 「そうだけど何でかしらね。行く先の町とかって違って見えないかしら」

 理沙がはにかんで言う。 

「そりゃ、そうだろうよ。土地も違けりゃ人も違うんだから」

 一久が言う。

 「そうね。東京とは違うわね」

 理沙は、あっと言う間に随分と遠く離れた場所にやってきたと感じていた。事、車窓から見える郊外の町並みの奥に広がる山間と広々とした青空が理沙にそう思わせていた。


 事の始まりはニ日前に遡る。

 東京は葛飾区柴又の江戸川沿いの地下に広がる対超能力犯罪機関E.M.Cの本部基地の総司令室に春樹と理沙は呼び出された。

 春樹はあいも変わらず愛用している黒いロングコートを羽織っている。対して理沙は新しく卸したばかりのモスグリーンのブラウスとタイトな白いパンツにスニーカーを吐いている。

 総司令室には春樹と理沙の他に春樹の実父でありE.M.Cの総司司令官の大助と春樹の実母であり副司令官のアリア、参謀長の竹中が居た。

 竹中は参謀長という肩書きに相応しい礼服を着込んでいるが大助とアリアはカジュアルな身なりをしていた。

 自宅の居室や居間に呼び出されないあたり厄介な指令を下されるのだと春樹と理沙は思っていた。そして総司令室に入って待ちかまえていた面々を見ると厄介というのは確信に変わっていた。

 「わざわざ地下に呼び出してすまない」

 大助が言う。

 「構わないよ。それよりも何で俺と理沙を呼んだんだ」

 春樹が言う。

 「まぁ、察してはいるかと思うが任務の指令だ」

 大助が苦笑いをしながら言った。そして春樹に一通の便箋を差し出した。

 差し出された便箋を手にとって内容に春樹は目を通していった。

 差出人は大助とアリアの旧知の人物であるのがやや砕けた言葉で綴られているので分かった。その人物は祖父が発掘した品物を譲渡するようにと何者かから脅迫を受けているというのである。そして時を同じくして自身の身の回りで様々な怪奇現象が起こっているので調査と必要であれば発掘品の保護をしてほしいという依頼であった。

 「調査と保護ね。どう思うよ理沙」

 便箋を理沙に差し向けて少し口調を尖らせながら春樹が言う。

 春樹が差し出した便箋を理沙は受け取ると便箋に見入り始めた。理沙は便箋の内容を流し読みすると便箋にオーラが残っているかを確かめていた。誰かに助けを求めて来ているのであれば手紙であれ電子メールであれ情念がオーラとなってこびり付くのである。理沙はその情念を探っていた。

 「手紙の内容は本当でしょう。それに幾つかのポルターガイストと脅迫に滅入っているわ。だけど私たちよりも現地に近い支部の百獣騎兵隊や隠密隊に任務を任せるべき内容よ」

 理沙が言う。

 「参謀、なんで俺たちを出すのですか」

 春樹が竹中に尋ねた。

 「うむ。確かに理沙君の判断通りなのだがな。その手紙の送り主である三木博士を標的にして、例の怪人を操っている組織が行動していると隠密隊から報告があった。そして実行部隊の指揮官には、やはり超能力を扱える怪人が就いているそうだ」

 竹中が重々しい口振りで言う。

 「怪人がらみだと俺たちの出番って事か」

 春樹が繭をしかめて大助の方を見た。

 「そういう事だ。ただ敵の指揮官である怪人の素性は既に隠密隊が掴んでいるから対策は練れるだろう」

 大助が言う。

 「了解した。そうしたら俺と理沙で行ってくるよ」

 春樹が言う。

 「いいや、今回はフラッカーズ全員と副指令に出向いてもらう」

 竹中が言う。

 竹中に言われた春樹と理沙は目を見開いて竹中の顔に見入った。

 「そんな顔をするな二人とも。現状で敵の素性も能力も知れているが驚異的であるのと護送が必要となった場合の戦力の確保を考えての事だ」

 竹中が少しまくし立てる様な調子で言った。

 「そりゃぁ、母さんが居れば色々と楽だが出向く程のことか」

 春樹が言う。

 「まぁ聞いてくれ。これには敵の能力が絡んでいるんだ。敵は透過能力を持つカメレオンの怪人だという。おそらく手紙にあるポルターガイストなどの怪奇現象は奴の仕業だろう。そうなると問題はその対処だ。見えない敵を察知するのは君たちとアリアの能力や技能が役立つからね」

 大助が春樹を見据えて言う。

 「なるほどね」

 春樹の横に立っている理沙が頷いた。

 そして春樹は理沙の頷きを見てから「了解した。命令に従って調査任務を引き受けるよ」と大助に応えた。

 「よろしく頼む」

 大助が言うと春樹と理沙は大助に敬礼して去っていった。

 春樹と理沙が去ると大助は総司令席の椅子に深くもたれかかった。

 「我が子ながら相変わらず頼もしい限りだね」

 大助が言う。

 「本当なら私が一人で行くつもりだったのだけどね」

 大助の傍らに立っているアリアが唇を強く閉じながら言う。

 「まぁ、そう言うな。今回の件には俺も大助は賛成はしているんだ」

 アリアに柔らかい笑みを浮かべて竹中が言う。

 「気を使われてしまったがね」

 大助が言う。

 「お前たち親子は全くもって互いの事になると不器用なのだから困ったものだよ」

 竹中は呆れかえったような目つきで大助とアリアを見て言った。

 

 特急『かがやき』を一行は須坂で降りた。それからはバスで大谷入り口まで行ってから徒歩で手紙をよこしてきた人物の家まで向かっていった。

 九月も中頃になって暑い盛りをとうに過ぎたというのに太陽が燦々としていて蒸し暑かった。それでも東京よりか幾分かましなのは山間から時折ふいてくる、カラリとしたそよ風がひんやりとしていて心地が良かった。

 宅地から田園地帯に抜けていって十五分ほど歩いた。開ききった青空の元にまばらに色がつき始めた稲穂の田圃が地の果てまで広がっている。その田圃の先に格式張った白い漆喰と石垣で作られた瓦葺きの塀と瓦葺きの日本家屋の屋根が見えてきた。それから塀に沿って歩いていって数寄屋門の前に出ると備え付けられている呼び鈴をアリアが鳴らした。

 呼び鈴が鳴って直ぐに家の中から落ち着きのない足音が玄関に向かって響いてきていた。そして雑多に玄関の引き戸が開けられるとサンダルを履いた六十過ぎの大柄で履き古した草履の様な皺の寄った厳つい顔立ちの白髪交じりの男が出てきて春樹たちを出迎えた。

 「いや、済まない。千里が寄越してくれたのは君たちかね」

 サンダル履きの足音を軽快に響かせながら男が言う。

 「蒲生博士、お久しぶりです」

 アリアはそう言って軽くお辞儀した。

 「果て、君は。いや、君はアリアか」

 蒲生と呼ばれた男がアリアのアイマスクに見入りながら野太い声で叫んだ。

 「はい、随分と御無沙汰でした」

 アリアが蒲生に微笑みかけながら言う。

 「そうか、君が来たならば心づよい。私もつもる話があるのだが兎に角入ってくれ」

 蒲生はせわしない動きでアリアと春樹たちを招いていった。

 

 春樹たちは二十畳はある広間に通された。広間は何もないが畳が痛み始めていた。それに玄関から広間までの板張りの廊下には様々な冊子が積み上げられていて鬱蒼としていた。

 「いやしかし、アリアが息子たちを連れて来てくれるとは驚いたなぁ」

 雑に髭を剃られた顎をなでながら春樹たちをまじまじと蒲生は見ていた。

 「まぁ血の繋がっているのはコイツだけですがね」

 春樹の肩を叩きながら一久が言う。そして春樹が肩で一久の手を払いのける。

 「博士、早速ですが手紙にあった発掘品を見せて下さい」

  春樹が言う。

 「おう、そうだな」

 そう言ってズボンのポケットから蒲生は紫色の風呂敷を取り出すと風呂敷を広げて中身を取り出した。

 「この水晶なんだが」

 そう言って手にした水晶を蒲生は春樹に差し出した。

 春樹が手にとると眼帯をしている右目の奥から鈍い痛みが走り頬や首筋から脂汗が滲んできていた。水晶から発せられるオーラが春樹の右目の奥にある能力の核ともいえる場所に向かって強引に流れ込んできていた。

 「私にも見せて」

 里沙の呼びかけて我に返ると春樹は里沙に水晶を渡した。

 里沙は水晶を受けとると水晶から発せられるオーラに引き込まれていく感覚に陥った。オーラから伝わる意志は理沙の心を招くようであった。理沙の心は知らぬ間に水晶の発するオーラと秘めたる力に魅入られていった。

 「理沙っ」

 春樹の呼びかけで理沙は我に返ると反射的に水晶に札を貼っていた。そして理沙は荒い息をあげながら水晶を畳に置いた。

 「この水晶はいつから持っていたんですか」

 呼吸を整えながら理沙が蒲生に訪ねた。

 「私の祖父が九州の遺跡の発掘調査で発掘した物だから、かれこれ70年近くになるね」

 理沙の様子に少々驚きながら蒲生が言う。

 「里沙、何を感じたんだ」

 一久が訪ねた。

 里沙は一度、息をのんでから「凄く強大な、私たちでは太刀打ちできないような強大な力と誘惑。力は強大すぎて手に負えないわ。こんなの自分の物にしたら身を堕としてしまう。それを意図して誘惑する意志は私たちに人間にとっては邪悪そのものよ」と鬼気迫る険しい顔つきで言う。

 そして一同が座している居間に縁側から風が吹き込んでくると水晶に貼られた札が力なく剥がれて居間の隅へと飛ばされていった。

 「おいマジかよ」

 札が飛んでいくのを見て一久が言う。

 「封じ込めは効かないみたいね。もっと強力なのを試してみましょう」

 疲れ切った声色で里沙は言った。

 「何がなんだか分からないが兎に角、この水晶が原因で最近の不可解な事が起こっているのか」

 落ち着かない様子で蒲生が訪ねる。

 「原因と言えば原因でしょう。しかし水晶の魔力がそうさせたと言うのは違うでしょうね。連中はこの水晶に秘められた力を欲して博士に接触したんですから」

 淡々とした調子で春樹が言う。

 「博士のお爺様は何の遺跡を調査されたのですか」

 アリアが蒲生に訪ねた。

 「確か福岡の遺跡でな。その時の記録やらが蔵にあるはずだから後で探してみよう」

 蒲生が言う。それから春樹たちを見てニッコリと笑うと「遠くから来たんだ。腹も減っただろうし昼飯にでもしよう」と言ってゆっくりと立ち上がった。

 「最近、近くに腕の良い蕎麦屋ができてな。そこから出前でもとろう」

 そう言って蒲生はいそいそと居間から出て行った。

 「なんだか妙に浮かれてないか、あの父っつぁん」

 蒲生が出て行った障子戸を見ながら一久が言う。

 「あなた達に会えて喜んでいるのよ。博士からしたら孫みたいなものだしね」

 アリアが言う。そう言うアリアの口振りも声色が明るくて浮かれているのがよく分かる口振りであった。

 「おーい、みんなザルでいいかぁ」

 障子戸の先、廊下の奥から蒲生の声がする。

 アリアは立ち上がって障子戸から廊下に顔を覗かせると玄関先の黒電話に手をかけている蒲生に向かって「かまいませんよぉ」と声を張って言った。

 それから小一時間程度たってから蒲生宅にざる蕎麦が六枚届けられた。

 一同は蒲生宅の縁側に出て蕎麦を食べる事にした。

 「家の裏山で育てている山葵だ。こいつがないとな」

 そう言って蒲生は摺り下ろしたばかりの山葵を小皿に盛ってきていた。

 一同は手を合わせてから蕎麦を啜り始めた。

 直ぐに「辛れぇっ」と一久が叫んでコップに注がれていた水を一気に飲み干した。

 「いつもの調子で山葵をとったろ」

 あきれた様な口振りで春樹が言う。

 「やっぱ良いヤツはキレが違な。ツーンときたよ。ツーンと」

 割り箸を鼻先で振りながらお茶らけた調子で一久が言う。

 「全くバカね」

 ため息まじりに真理が言う。

 「うるせぇガキ舌」

 真理が蕎麦を汁に浸しきっているのを見ながら一久がボヤくように言う。

 「あによぉ、山葵は二十歳で克服しました」

 真理がむくれて言う。

 「せっかくのお蕎麦なんだから、しょうのない二人ね」

 理沙が蕎麦をざるからたぐりながら言う。

 「そう言ってやるな。若ぇ頃は男も女もケンケンしている方が活気があって良いもんよ」

 そう言うと蒲生はアリアの方を見た。

 「それにな、お前達のお母っさんはな若い頃に格闘技で鳴らしていたんだぞ。それこそ大助のヤツと勝った負けたと張り合っていたんだ」

 しみじみとした口振りで首を縦に振りながら蒲生が言う。

 「よして下さいな博士。もう三十年ちかくも前の話ですよ」

 アリアが照れくさそうに言う。

 「いやぁ、凄かったぞ。男だろうが蹴りを食らわしてな、それからヒョイと相手の肩に飛び乗ってから色っぽい太股で首をギュゥゥゥっと締め上げながら顔や首の裏を何度も殴りつけていたんだよ」

 よっぽど昔が懐かしいのか蒲生の口振りには結構な熱が入っていた。

 それからは蒲生の語る昔話を聞きながら春樹たちは蕎麦を啜り続けた。蒲生が昔話に熱をあげる程、アリアは顔を赤らめながら粛々と蕎麦を啜っていた。

 

 昼食を終えると春樹と一久は蒲生と共に研究ノートを探しに蔵へと向かい、理沙と真理は周辺に怪人や敵の痕跡がないかを調べに出かけていった。そしてアリアは縁側でひとり座り込んでいた。

 庭から見える山に目を向けているとトンビの鳴き声が何処からか聞こえてきた。青空に目を移して随分と遠くにまで来たと不意に感じていた。

 (さっきまで皆でお蕎麦を食べていたのが夢だったみたい)

 一人だけの縁側、そして一人だけの居間を見回してから庭にほっぽり出していた足を縁側に引っ込めて膝を丸めた。

 (やっぱり追いてくるべきじゃなかったのかしら)

 アリアが膝に顔を埋める。

 (けれど、春樹たちと一緒に居られる時間もなかなか取れないし。こうでもしないと仕事以外の話もできないじゃない)

 アリアが一人で落ち込んでいると置いてあった水晶が独りでに転がり始めた。

 自身に向かって畳の上を転がる水晶にアリアは目を向けた。

 透き通った水晶の中に写るのは歪んだ畳の模様そして転がったきた水晶にアリアの顔が写りそうなった時に「一人で落ち込んでどうするのさ」と言ってレディ=ゼロが姿を現した。

 レディは口元以外を艶のある黒皮のベルトで全身を拘束され黒い無地のロングコートを羽織っている。

 声をかけられたアリアは水晶からレディに視線を移した。

 レディは水晶を拾い上げて元の場所に置くと縁側に出てアリアの隣に胡座をかいて座った。

 「私って母親をやっていられるのかしらね」

 アリアが言う。

 「人が担った役割を果たせたかは死ぬまで分からないものだよ。生きている今は途中経過でしかないからね」

 アリアに微笑むとレディはアリアを抱き寄せる。

 レディの柔らかな胸にアリアは頬を当てると黒皮のベルトのヒンヤリとした感覚がアリアには心地よかった。

 「私が最初に死んだ時、大助には君が居た。だから死んでゆけた。命を擲って大助と君を守り抜く決心をもてた。そして今度、私が春樹の目の前から消えても君が居てくれる」

 レディが言う。

 「でも大助と私は春樹を産んでしまったわ」

 顔を曇らせてアリアが言う。

 「そうだ。だが春樹は産まれた事を君に疎んでいるか」

 レディの問いかけにアリアは首を振って応える。

 「なら君は春樹の母だよ。あのフラッカーズの子供たちの母親なのだよ。私だってそうだったさ」

 アリアの蒼いルビーの様に煌めく瞳を見据えてレディが言う。

 「でも母親らしい事なんてしてないわ。ご飯は雪ちゃんに任せたきりだし裁縫は二三ちゃんの方が上手だわ」

 レディから目を背けてアリアが言う。

 「母親はなろうとしてなるモノではないよ。何かをしたから母親であるなんて事はないのだよ。ただ何をしようがしまいが認められる他にはないのだよ。その為に何かをするんじゃないか」

 レディ両目を覆う黒皮のベルトが解けて黒々とした瞳をアリアに向ける。

 「本当にそっくりね。髪も目も、なにもかも」

 アリアがレディの顔を見て言う。

 「なぜかは君がよく知っているだろう」

 レディが微笑む。

 「そうね。私が一番知っているわ」

 アリアが応えた。


  頬に蚊が止まると真理は頬をはたいて蚊をつぶした。

  真理と理沙は蒲生邸のうらにある山林へとやってきていた。

 「ここにもあったわ。足跡バッチリよ」

 真理が土につけられた足跡を見て言う。

 「気配は残ってないわ」

 理沙が札を木に張りながら言う。

 「物質的な痕跡を残すあたりが挑発的でハラが立つわね」

 計測器を足跡に当てながら真理が言う。

 「透明になれるっていう話が本当なら効果的ね。姿が見えないけど化け物の足跡が残っているなんて怖いものよ」

 理沙が言う。

 「その化け物だけど。足跡と枝の折れかたを加味して重量は九十五キロで体長は二・五メートルってところね」

 真理が計測器に移された予測データを読み上げる。

 「見えても化け物ね」

 ため息をつきながら理沙が言う。

 「今回の相手も手こずりそうね。ほんとサイアクよ」

 真理が肩をすくめる。

 「ねぇ、真理」

 理沙が言う。

 「何?」

 真理が理沙の方を向く。

 「時々さ、春樹の事を遠くに感じることない」

 理沙が言う。

 「そんなの普段からよ。まさか、お母さんに素っ気ないの気にしているの」

 真理が眉をひそめて言う。

 「せっかく皆で出てきたのよ。だったら・・・・・・」

 「だったら何をするの。今、ここで春樹が居たらなんて言うと思う」

 悲しげな声で言う理沙の言葉を遮って真理が言う。

 「確実に任務を遂行する」

 理沙が即答する。

 「私も同意見よ。ハルなら間違いなく言い切るわ」

 理沙の目をジッと見つめて真理が言う。それから見つめ合うと二人は深いため息を吐いた。

 「いい加減にアイツの朴念仁っぷりはどうにかならないのかしら。お母さんにもそうだけど理沙にだって眉一つ動かさないでいるじゃない」

 真理が言う。

 「私!?」

 不意に自分の名前を出されたのに驚いて理沙は声をあらげた。

 「そのペンダントだって小さい頃に春樹から貰ったんでしょ」

 真理に言われると理沙は胸元につり下げている翡翠のペンダントを握った。

 「これは他に気に入るのが見つからないのよ」

 理沙が語彙を強める。

 「それがベタすぎるのよ」

 あきれた目つきで真理が言う。

 「ベタで悪かったわね。でもいいのよ。私だって二度と会えないと思っていたし」

 少しむくれて理沙が言う。

 「本当に二度と会えなくなる時がくるかも知れないのよ」

 真理が鋭い口調で言う。

 「でも、それは今日でも明日でもないわ。気の遠くなるほど先の話よ」

 理沙が言う。

 「だけど必ず来るいつかでもあるわ」

 真理が言う。

 すると理沙が軽く頷きながら「そうね」と言ってから押し黙った。

 真理は一瞬、理沙が落ち込んだのかと思ったが直後に脳裏に感じた視線から理沙も何者かの視線を感じ取ったのだと思った。そして確かめるべくテレパシーを理沙に飛ばした。

 (敵よね)

 真理が理沙に尋ねる。

 (敵ね。こっちを監視しているわ)

 理沙のテレパシーが真理に返ってきた。

 (調査の結果が早々に出て嬉しいけど内容はサイアクよね)

 真理が言う。

 (いつもサイアクよ)

 理沙が吐き捨てた。

 (敵の数は分かるかしら)

 (数えるわ)

 すると理沙は自分に向けられている視線を辿って監視者の場所を特定した。そして翡翠のペンダントを握ってオーラに自分の意識を乗せて監視者の中枢神経に割り込ませたた。

 理沙はテレパシー能力を応用して監視者の意識に入り込むと素性や監視体制の記憶を読みとった。そして配置を把握すると監視者の意識から離脱した。

 (どうだった)

 真理が尋ねる。

 (数は六人だけど接近してきているのは三人ね)

  理沙が応える。

 (アジトまでエスコートして貰いましょうか)

 真理が言う。

 (礼儀がなっていればね)

 理沙がニコリと笑った。そして手早く腰のポーチからナイフを取り出して茂みの奥にいる監視者の一人に向かって投げつけた。

 ナイフは風を切って森の中を突っ切ると理沙の狙い定めた監視者の心臓を突き破った。

 監視者の一人が倒れると理沙と真理に向かって緊張感と強烈な殺気が向けられた。

 「刺激が強すぎたかしら」

 理沙が強ばった笑みを浮かべて言う。

 「サイコーのラブレターよ。嬉しくて度肝抜かれてイっちゃったじゃない」

 真理が呆れかえった目つきで理沙を見て言う。

 「やっぱりワタシって刺激的なのよ」

 理沙が得意げになって笑う。そして駆けだした。

 「矢文を相手に突き刺せばね」

 理沙に続いて真理も駆けだした。

 真理は理沙を追いかけながら、その苛烈な原動力が春樹に向けばいいと思った。

 (よけいなお世話よ)

 真理の脳裏に理沙からのテレパシーが響いた。

 「ホント、あなた達ってサイコーよ」

 理沙に向かって真理が叫んだ。 

 「ありがとう」

 真っ正面を見据えて理沙が叫ぶ。そして飛び上がると監視者の一人に向かって膝蹴りを食らわした。

 監視者は仰向けに倒れて後頭部を地面に打ち付けた。そして理沙を追いかけようと立ち上がると今度は真理の回し蹴りを後ろからくらって昏倒した。

 「前から二人、後ろに一人」

 理沙が叫ぶと前方から銃弾が幾重にも飛んできた。

 理沙と真理は咄嗟に茂みに隠れて銃撃をやり過ごした。

 三人の監視者の駆ける足音が理沙と真理の二人が隠れた茂みに近づいてきた。そして茂みの影から飛び出した。

 理沙の後ろ回し蹴りは一人の監視者の顎を砕き、真理の飛び開脚蹴りが二人の監視者の眉間と頬に打ち込まれる。

 三人の監視者は理沙と真理の蹴りで体制を崩し尻餅を着いてしまうが手にしていたライフルの銃口を理沙と真理に向けていた。三人の監視者は狙いを定めずに引き金を引いてデタラメな銃撃をして理沙と真理を牽制して素早く体制を立て直した。そして銃口を理沙と真理に向けて狙いをつけて引き金を引き絞る。

 無数の霰が叩きつけられる様な銃声が響きフルオートで放たれた無数の銃弾が理沙と真理に向かってくる。

 理沙は右手で胸のペンダントを掴むと左手を広げて突きだした。すると理沙のオーラが彼女の右手から放たれて強力な力場を発生させた。オーラの力場は銃弾に対して真っ向から壁になって衝突して銃弾を制止させる。そして銃弾がバラバラと地面に落ちていった。

 銃撃が阻まれると監視者は再び引き金を引くが、理沙の放った力場が監視者達のライフルを捉えていた。

 (剛力招来・超力招来・世尊妙相具諸鬼難悪人逐・世尊妙相具諸鬼難悪人逐)

 ペンダントを握りしめて理沙は内心で唱え続けてオーラの力を増していく。

 力場に捉えられたライフルは銃口が有らぬ方向に曲がり銃身が銀紙をクシャクシャに丸めるように呆気なく潰されてしまった。

 監視者は持っていたライフルが潰されるのに驚きながらも肩に下げられているポーチからアーミーナイフを引き抜こうと柄に手をかけた。

 間髪入れずに真理が指を鳴らした。

 監視者がナイフを引っこ抜くとナイフの先は鋭い刃ではく色鮮やかな花が生えていた。

 真理の物質変換能力がナイフの刃を花に変換していたのである。

 「少しはレディを楽しませる努力をすべきね」

 真理が監視者に向かってニコリと笑ってみせた。

 「勝負あったわ。大人しく引き上げない」

 理沙が監視者に向かって言い放った。

 監視者達はは起き上がると理沙と真理に飛びかかった。しかし理沙と真理には呆気なくかわされてしまい更には理沙によって額に札を貼られてしまった。札に込められた法力によって監視者達は昏倒してしまった。

 「10分で札の効力が切れて目が覚めるわ。その間に調べられるだけ調べて運ばないと」

 理沙が言うと真理が頷いて応える。

 それから理沙と真理は監視者の肉体と意識を調べられるだけ調べると理沙の能力を使って気絶している監視者共々、自分たちを近くの国道にテレポートさせた。そして国道に三人の監視者を放置して理沙と真理は国道沿いの茂みに隠れた。

 茂みに隠れた理沙と真理は、理沙のオーラが込められた気配を完全に消す事ができる札を額に張り付けた。そうやって気配を絶つと二人は監視者の様子を伺った。

 五分ばかり監視者を見ていると黒塗りのワゴン車が三台やってきて監視者の前に停車した。そしてワゴン車から小銃を携えた男たちが降りてくると監視者達の様子を伺うこともなく持っていた小銃を監視者に向かって構えた。そして男たちの一人が「撃て」と号令を発すると監視者達に向かって銃撃した。

 銃撃に晒された監視者達はたちまち体をズタズタに打ち抜かれて生き絶えると体内に仕組まれた自壊作用によって血の一滴も残さず蒸発して消え去った。

 銃撃した男たちは直ぐにワゴン車に乗り込んだ。そしてワゴン車が走り去る。

 理沙と真理は茂みの中を駆け抜けながらワゴン車を追いかけた。そして五百メートル先のトンネルの出口へとテレポートしてワゴン車の先回りをした。

 トンネルの影で真理と理沙は待ち伏せていた。そしてワゴン車のエンジン音と気配がすると身構えた。しかしワゴン車の気配が遠のきエンジン音が小さくなる。そしてトンネルからは何も出てこなかったのである。

 理沙と真理はトンネルの中やテレポートで先回りした間の道に異変がないかを調べたが異常は全く見つけられなかった。

  

 「ちくしょーカビ臭ぇ」

 蒲生邸の蔵の中で研究ノートを探す一久が叫んだ。

 「この間、カビ臭いどころじゃない場所に行ったじゃないか」

 春樹がボヤく。

 不意に蔵の二階から大きな物音がすると蒲生の叫び声が春樹と一久の耳をつんざいた。二人は大急ぎで蔵の二階に行くとノートを片手に倒れ伏している蒲生の姿があった。

 「博士っ」

 春樹が蒲生に駆け寄る。

 「いやすまん。例のノート見つけたんだか横着してこの有様だよ」

 ゆっくりと起きあがりながら蒲生が言う。

 「ったく、ビックリさせてくれるぜ」

 一久が呆れかえりながら言う。

 「いやいやスマン」

 蒲生が言う。

 それから三人は散らかった蔵の中を片づけ始めた。

 「春樹よ。アリアはどうだ」

 蒲生が春樹に尋ねる。

 「どうって」

 春樹が尋ね返す。

 「いい母さんかって事だよ」

 蒲生が言う。

 「俺は母さんが死んだもんだと思っていたので、だから今、居てくれるだけで嬉しいです」

 春樹が微笑んで言う。

 「そうじゃない。母さんの事が好きかってのを聞いてんだ」

 蒲生が言う。

 「おっ、良いもん見つけた」

 一久が一枚の写真を拾い上げた。

 「なんだ」

 春樹が一久の手元をのぞき込む。

 「コイツは懐かしいな。さっき話しただろ」

 一久が拾った写真を見て蒲生が言う。

 「おっかさんが、おやっさんの肩に跨がってヘッドシザースかけたってヤツか」

 一久が言う。

 一久の手にしている写真にはフリルのついた真っ白いハイレグとグローブにヒールの高い編み上げのブーツを履いたアリアと黒いズボンに上半身裸の大助が一緒になってトロフィーを掲げている姿が写っていた。

 写真を目にしている春樹は微笑んでいた。そして写真を見る目は少年のように爛々としていた。

 蒲生は春樹の興奮した表情をみてアリアのことを聞くまでもないと思った。

 「お前は良い息子だな」

 蒲生はそういって春樹の背中を叩いた。


 日が傾いてきて茜雲が広がり地平線に消えかかる太陽の光が黄金色に輝いている。

 輝く夕日に照らされながら風に揺れる稲穂を後目に理沙と真理は釈然としない顔で歩いていた。

 うなだれて歩く理沙と真理を銀ヤンマが追い抜いて飛んでいって、遠くの野山か田畑からかヒグラシの鳴き声が響いてきていた。

 日が落ちて薄暗くなっている道の先から大きく手を振る春樹と一久の姿を理沙と真理は見付けた。そして理沙と真理の後ろからリンリンと軽快なベルの音がすると籠に食材を詰め込んだ自転車に乗ったアリアが理沙と真理の前で自転車を止めた。

 アリアが「夜ご飯はカレーよ」と理沙と真理に言う。さらに野山を駆け回って服や髪が汚れきっている理沙と真理を見て「先に二人はお風呂ね」と言った。

 アリアは自転車を降りると理沙と真理を連れ立って春樹と一久が手を振る方へと歩いていった。

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