EP14 襲撃ー再会の時ー
おびただしい怨念の感触をクローンを通じて感じたカビ女は身震いしていた。アジトの執務室のデスクに両肘をついて澄ましているが内心はクロム=セイバーから受けた最後の攻撃の際に味わった無数の怨念の数々への恐怖が抜けきらずにいた。
(何を恐れるのだ。奴らの絶望など私に比べれば生ぬるいものだ)
クロム=セイバーが放ちカビ女のクローンを裁いた怨念達の正体はカビ女が手にかけた人々の霊魂である。カビ女は自分とクローンを繋いでいるオーラを介して怨霊魂達が発した親兄弟との離別、子供への懺悔、訳も分からないまま痛みと苦しみに呑まれて狂気に墜ちていく感覚を追体験したのである。
「参謀長、作戦の遂行度を報告せよ」
力んだ声でカビ女が言う。
「現在の作戦進行度は第三段階を終了して八十パーセントになります」
参謀長の緊張感が伝わる強ばった声が通信機のスピーカーから発せられる。
「よろしい。これより最終段階へと移行する」
カビ女はそう言うと参謀長の応答を待たずに通信機を切った。
最終段階。それはカビ女が密かに地下へと張り巡らしていた菌糸を一気に地上に発芽させて超巨大菌糸を作り上げ胞子をまき散らして関東平野一体をカビに覆われた、虫すら生きていけない死の広野に変えようというものであった。
カビ女は自分の体にオーラを流した体をカビの胞子へと分解させて何処かへと飛去っていった。
東京都葛飾区は柴又の江戸川の直ぐ側に位置する千里亭の掘り炬燵つきの食事室で春樹・一久・理沙は呆気にとられていた。彼らの視線の先には猛烈な勢いで用意された朝食を口にほおばる真理の姿があった。
「雪さん、おかわり!」
綺麗に平らげられた茶碗を給仕の雪に向けて真理が言う。
白髪に割烹着姿で瑞々しい肌艶をした雪がニコニコと笑いながら真理の差し出した茶碗を受け取って、お櫃から白飯を盛りつける。
「あら無くなってしまったわ」
雪はそう言いながら真理に茶碗を手渡した。
「おい俺は一膳しか食ってねぇぞ」
一久が言う。
「うっさい。大の男がご飯の食いっぱぐれで騒ぐな」
白飯を食らいながら真理が言う。
「俺は朝飯は二膳と食わねば力が出んのだ」
真理に箸を差し向けて一久が言う。
「何があったんだ」
湯飲みの茶を悠々と啜りながら食卓を囲んでいた大助が言う。
「振り切れたのかしらね」
大助の隣に座っているアリアが言う。
「あの子達が元気なのは嬉しいものね」
雪が感慨深そうに言う。
言い合いをしている真理と一久、それを見て呆れながらも朝食を食べ進める春樹と理沙の姿を大助とアリア、雪の三人は微笑ましく見ていた。
「ちゃっちゃっと食べなさいよ」
真理が一久に言う。
「言われる前に平らげていらぁ」
一久が綺麗に平らげた茶碗を真理に向けて言う。
「あらそう」
真理はそう言って茶碗と箸を綺麗に揃えて景気よく手を合わせる。真理が手を勢いよく合わせる音がパン響くと「ごちそうさまでした」と闊達に言って立ち上がる。
「ほら行くわよ」
一久に向かってせかす口振りで真理が言う。
「おい本当に行くのかよ」
呆れかえった口振りで一久が言う。
「決まっているわ」
そう言って真理は食事室を足早に去っていく。
「おい、待てよ」
慌てて箸を置きながら一久が立ち上がって真理の後を追う。
「あぁ、ごちそうさん」
食事室からの去り際に一久が雪に言う。そして真理を追っていった。
「アポイントメントはとられていますでしょうか」
気圧され気味に受付嬢が真理に言う。
「昨日の晩に取ってあります」
受付嬢に凄んで真理が言う。
真理の後ろに突っ立ている一久は真理に凄まれている受付嬢をつくづく災難だと思って同情した。しばらくナーバスになっていた反動からか真理の勝ち気な性分は普段の数倍の出力で止めどなく発揮されていた。
「カズ行くわよ」
受付嬢から受け取った入館カードを一久に放り投げて真理が言う。
一久はやるせない顔つきをして入館カードをキャッチした。
入場ゲートを抜けてエレベーターに乗り込む。エントランスの一階から四階までは吹き抜けになっていてエレベーターはエントランスを見下ろせるようにガラス張りになっている。
真理は三五階のボタンを強く弾く様にして雑多に押した。
真理と一久の二人を乗せたエレベーターは静かに三五階へと進んでいく。籠の中で真理はキリリとした姿勢で突っ立ていた。その後ろで一久は腕を組んでエレベーターのガラス面にもたれ掛かっている。
「ごめんね」
三〇階を過ぎて真理が静かに言う。
「いいさ」
一久が言う。一久には真理の勢い任せな行動に付き合うのはなれた事であり真理の勢いに巻き込まれている方が落ち着ける節があった。そして、そんな思いからか真理の勝ち気さに居心地の良さと面白味を見いだしていたのである。
エレベーターが三五階に到着して扉が開くと真理と一久は足並みを揃えて三五階のフロアに踏み出した。
つかつかと歩みを進める真理の歩調に一久は難なく、そして面白く思いながら自分の足取りを合わせていく。
エレクトロニクス開発部と書かれたプレートの部屋の扉を真理はノックすると中からの返事を待たずに踏み込んだ。
真理が入ってくると一人の中年男がいそいそと真理の前に出てきた。
「あぁ、お疲れさまです」
「ごめんなさい、佐野さん。急で申し訳ないです」
真理が中年男に頭を下げる。
「いえ事情は概ね理解はしていますから。昨晩たのまれた機材は揃えてありますので作業に入ってください」
「ありがとうございます」
佐野に案内されたデスクに真理は座ると目の前に用意されたコンピューターを起動させた。
「しかし本当に今日中にOSを完成させるなんて可能なんですか」
佐野が言う。
「できるな。真理ができると言ったらできる」
はにかみながら一久は佐野に言い切る。
「そうですか」
疑わしそうな口振りで佐野が言う。
一久の信用と佐野の疑いを露ほども感じずに真理はPCのモニターとキーボードに集中していた。プログラムの構成は全て頭に叩き込んできている。問題はいかに早く仕上げられるかだ。
真理の響かせるキーボードの淀みない打音は事務所に居る人々を一人また一人と集めていて真理の背後に人だかりを作っていった。
集まった人々の目線は真理の作業するコンピューターのモニターに集まっていく。矢継ぎ早に入力されるプログラム言語を目に焼き付けていた。そんな視線を真理は感じると自身が発する殺気を増していった。それは集まっている人々には悪寒として伝わっていった。
「俺たちも仕事に戻ろう」
「そうだな」
「そうしよう」
そういって真理の背後に集まっていた群衆は散っていった。
そうして17時を過ぎた頃に真理が叫んだ。
「あがりっ」
そうしてOSのプログラムを収めたマクロSDをコンピューターから抜き取った。
真理の叫びに続いて真理と一久はオーラの変調を感じ取った。二人には覚えのあるカビ女のオーラを感じたのだ。
「来たなカビ女」
一久が言うと胞子を結合させてカビ女が姿を現した。
カビ女が現れると事態を察したのか事務所に居た三谷電子の面々が一斉に立ち上がって一番奥の壁際へと逃げていった。
真理と一久は三谷電子の面々を背にしてカビ女と相対した。
「来たなと言うからには私を待ちかまえて居たのかねクロム=ガンナー」
カビ女がほくそ笑む様な口振りで言う。
「おうともよ」
一久がニヤリと不適な笑みを浮かべる。
「あなたの狙いがOSならば完成した物を奪いに来ると踏んでいたのよ。あなたの体をカビに分散する能力なら私たちの監視なんて簡単でしょうからバッチリのタイミングで仕掛けてくると思ったわ」
紅潮した頬をつり上げて爛々とした眼差しでカビ女を睨みつけながら真理が言う。
カビ女は目を細めて卑しい冷笑を浮かべながらカビを噴出させようと自身の体にオーラをたぎらせた。
((かかった))
真理はオーラを事務所全体に張り一久は懐からレーザーガンを抜き出してすぐさまカビ女に照射した。
水色に発光する冷凍光線がカビ女の体に命中すると徐々にカビ女の体を凍結させる。
カビ女は徐々に凍り付く体を胞子状に霧散させようとするが体をカビに変換できずにいた。
「胞子になって逃げようとしたって無駄よ。この事務所に存在する物質を構成している十億のニ千乗の原子を一粒に至るまで私のオーラが掌握しているわ。あなたが体を胞子に変換しようとするのらば直ぐに私が再構成してあげるわ」
色めき立った艶と張りのある声色で真理が言い切った。
「そんな無茶苦茶な事があり得るのか」
カビ女が額に汗を滲ませながら言う。その汗も流れる間もなく凍り付いていく。
「私が想像する事は必ず現実になるのよ」
真理が言うがカビ女は完全に凍り付いて動かなくなっていた。
「恐れ入ったよクロム=キッカー」
凍り付いたカビ女の体から声が響く。
「だが忘れたのか。私は無数に存在するのだぞ。そして如何なる場所でもな」
カビ女の声を聞いて真理と一久は顔を見合わせて頷きあうと事務所を飛び出していった。
三谷電子の本社ビルの最上階の社長室にて三谷社長は真っ赤な夕日と超高層群から延びる影に沈む新橋の街を見下ろしていた。
「ご自分の栄華を見下ろすのは気分が良いでしょう」
「そうでもない。この眺めを分かち合いたいと思っていた人たちは皆いなくなってしまったよ」
三谷社長は手元に置いていた写真をそっと撫でながら言う。
「姿を見せなさい。遠慮する事もあるまい」
三谷社長が言うと部屋の隅々からカビが集結してカビ女が姿を現した。
「きたか」
三谷社長は静かに言うとカビ女に向き直りカビ女を見据える。
カビ女は一歩一歩を踏みしめながら三谷社長に近づいていく。
緑色のコブが体のあちこちに張り付いているカビ女が近づいてきても三谷社長は眉ひとつをピクりとも動かさずにいて動じる素振りをカビ女に見せなかった。むしろ見据える視線は穏やかであった。
カビ女が手を振り上げた瞬間に社長室の扉が勢いよく開け放たれて真理と一久がなだれ込むようにして入ってきた。
「よせカビ女」
一久が声をあげると同時にレーザー銃の引き金を絞る。
カビ女の振り上げていた腕に冷凍レーザー光線が命中してカビ女の腕が凍りつく。
カビ女は素早く三谷社長の傍らに回り込んで体を密着させる。
「よすのは諸君等だ」
カビ女が真理と一久に言う。
「同じ超能力者同士だ。能力を使ったかどうかは分かるぞ。能力を使ったら、この社長の命はないからな」
カビ女が上擦った声色で言う。
真理と一久はカビ女に向き合ったまま動きを止めた。そして一久がゆっくりと手にしていたレーザー銃を床に置いた。
「よせ。この様な事をしても何の意味は無いぞ」
諫めるような強い口調で三谷社長がカビ女に言う。
「意味ならばある。そうだ。貴様には分かるまい。いや、分かりたくはあるまい」
カビ女は薄気味悪い笑みをニィっと浮かべて言った。
「そうか。お前はもう・・・・・・」
三谷社長の喉の奥から絞り出された強ばった声で言う口振りはカビ女に落胆したようであった。
「私に構うことはない。この怪物を倒してくれ」
三谷社長が言うが真理と一久は躊躇って動かずにいた。
「殊勝な。しかし二人には届かないようだ」
カビ女が三谷社長を嘲る。そして三谷社長を押さえていた腕を解くとカビ女は真理と一久に向かって三谷社長を突きだした。
「なんのつもりだカビ女」
一久がカビ女に凄んだ。
「つもりも何もない。私の任務は新型OSの奪取もしくは破壊。それを確実に実行するだけなのだよ」
そう言うと社長室の窓へ駆けだして勢いそのままにカビ女は窓ガラスを突き破って外に身を投げた。
チラチラと夕映えに乱反射するガラス片が地上三五階のビルから降り注ぐ。
「作戦は最終段階だ。貴様等をこの街もろとも何もかもを殺し尽くしてくれる。そして築き上げた名誉と作り上げた街が滅び去るのを苦しみもだえながら息たえるがいい」
カビ女の嘲笑と叫びが高層ビル群に鋭く響きわたる。
一久と真理は一目散に窓際に向かって行って地上を見下ろしたがビルの影が落ちた地上にも夕映えの空にもカビ女の姿はなかった。
よろめいた足取りで三谷社長が一久と真理の後ろに立っていた。
「危ないです下がってください」
真理が言って三谷社長を制止する。
「死んだのかね」
三谷社長が言う。
「いいえ。飛び降りたのは敵の複製で指揮者じゃない」
一久が答えた。
「そうか」
三谷社長は深くため息をつくと黒い本革のソファーに深く腰をかけた。
三谷社長の慰めてくれと言わんばかりの不安を滲ませる思わせぶりな態度が一久は気になった。気休め程度に声をかけるべきかと思って口を開きかけたときにカビ女の嘲笑が一久の脳裏を過ぎった。
(奴の言う築き上げた物ってなんだ。OSの事ならば作り上げた物と言うだろう)
些細な言葉尻であるから気にとめる事でもない。
カビ女の目的がOSのみなのかという疑問が思い浮かぶと次に言うべき言葉が一久の中で定まった。
「三谷さん。あのカビ女は一体何者なんですか」
一久が三谷社長に問いかけた。
三谷社長がすがるような目つきで一久を見た。何故いま問いかけたのかという非難か答えるべきかどうかを迷っているような表情であった。
一久はあえて黙していた。ただ鋭い目つきで三谷社長を見据えて答えるより他に術はないというのを訴えていた。
三谷社長は静かにうつむいて一久から顔を逸らして口を開いた。
「彼女は私の娘だ」
掠れそうな声で三谷社長は言った。
「何年も前に行方を眩ましたきりでね。今、思えば妻の死に水も取らずにいながら習い事だ勉強だと口ばかりを出していたのを疎んでいて私が心血を注いできた会社や東京の街に憎しみを向けたのだろう」
日が沈みきる寸前の眩い西日が砕かれた窓ガラスから差し込んで三谷社長の背を照らすと彼の顔が深い影に覆われた。
「娘には償う機会があるのだろうか」
一久と真理に背を向けたまま三谷社長が問いかける。
「それは娘さんの選択次第です。彼女が憎しみではなく良心に従うのであれば・・・・・・」
一久が三谷社長に懇々と語りかけている最中に地面の底から凄まじい量のオーラが吹き出してきて新橋から銀座界隈を大きく揺さぶり始めた。
一久と真理は咄嗟に三谷社を庇うようにして多い被さった。
揺れは重々しい地響きを伴って二分に渡って続いた。
揺れが収まると一久と真理は再び社長室の窓際に立って外の風景に見いった。
夕映えの新橋一帯の超高層群は壁面やガラスを突き破った巨大な菌糸に巻き付かれ道路は無数の菌糸の網が幾重にも折り重なって真っ白になっていた。いまや新橋一帯は広大なカビの胞子の苗床へと変貌していたのである。
近くに停めてあった空と陸を自在に駆け回る万能四輪車のアルファ=ポインターを一久は無線通信で誘導して呼び出した。アルファ=ポインターは一久からの誘導に従って内蔵されているレーザー機銃で菌糸を焼き切りながら地上の道路から姿を現して一久達の居る三谷電子の本社ビルの最上階へと飛んできた。
「これじゃ地下のハイウェイも潰されているな」
一久は無線機を操作しながら言う。やがてアルファ=ポインターが社長室の窓枠の真横にホバリリングすると一久と真理は三谷社長を伴ってアルファ=ポインターに乗り移った。
灯り一つ点らない新橋の上空をアルファ=ポインターがヘッドライトを照らしながら一久の操縦で摩天楼の合間を駆け抜けるようにして飛んでいる。
「菌糸が徐々にビルを浸食している」
助手席に座り無線機に接続されたヘッドフォンを付けている真理がコンソールパネルに表示されている探知結果を見ながら言う。
「防衛軍のレスキュー隊が出動したみたいね。ウチからも百獣を動かしてるわ」
無線通信から聞こえる情報を真理は淡々と口にしていた。
「ガン=シップとジャイロが来ているとして一五分前後か」
コンソールパネルに表示されいるビルが菌糸に浸食されていくリアルタイムの解析映像を横目に一久が言う。彼には取り残されたすべての人間が助からないのは分かり切っていた。ビルで逃げまどう人々は直ぐに胞子に侵されて死ぬより他にない。そうなった人々を助ける術は今の自分には無い上に任務ではない。今は後部座席に座る三谷社長を無事に助けだしたので上出来とするしかないのだ。
ルームミラー越しに一久の目に写る三谷社長は呆然と眼下の新橋の町並みを見下ろしていて時折、むせかえるような悲しい目つきで三谷電子の本社ビルの方を見返したり横切るビルに取り残された人々に目を向けていた。
一久は三谷社長も思うところは同じなのだろうと思っていたが三谷社長に彼の実の娘が怨念を向けて街一つを潰したのを考えると使命感よりも罪悪感の方が強く感じられるのだろうと思った。
三谷社長の思う罪悪感が決して正しいとは一久には思えなかった。それは敵であるカビ女がむけた怨念であり三谷社長を失意に陥れる策略でもある。そして策略を巡らせるために三谷社長とカビ女の親子の仲を巧みに利用した組織があるのだ。ただ敵の策略であるのも事実ではあるが実の娘が起こした凶行である事実の方が三谷社長には重要であるのが一久には分かっていた。
結局の所、一久と真理には三谷社長をE.M.Cの本部へと送り届ける事以外にできることは無かったのである。
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