EP12.失意ー蝕まれる熱意ー

「セットアップ完了しました」

 作業員の一人が黒いパンツとシャツに白衣を着ている真理に報告した。

 「了解、起動させて」

 真理が言う。

 新型OSを狙った敵の襲撃から三日が経った。運び込まれた新型OSの試作品のテストが東京都葛飾区柴又の地下にあるE.M.Cの本部の技術開発部の一角で行われていた。

 「処理試験を開始して」

 真理が指示を出すとモニターの前に座るエンジニアがデプログラムを入力する。

 新型OSを搭載したE.M.Cのメインコンピューターと各拠点とのネットワーク通信を開始した。

 「ネットワーク通信は良好ですね」

 エンジニアが言う。

 「そう」

 真理は端的に応えた。

 普段であれば、いの一番にモニターの前に鎮座してあらゆるテストプログラムを無邪気に打ち込むのに今回はまるっきり人任せにしているのが普段の真理らしからない。

 技術部に所属するエンジニア達は何度か声をかけたが、真理は「なんでも」と言ってはぐらかしていた。それでいて仕事の量と質は変わりなくこなしていたのでエンジニア達は深く立ち入らずに普段と同じように接する事に徹していた。

 OSのテストは良好な結果に終わった。いくつかの修正箇所はあれど真理とエンジニア達の期待値は越えていた。

  OSのテストが終わってエンジニア達が部屋を出ていく中で真理は椅子にもたれてモニターを呆然と見つめていた。

 「出ますよ真理さん」

 「うん」

 エンジニアに言われると真理は軽く頷いてから立ち上がった。

 真理の心のつかえは先日の襲撃以来、深くなっていた。正義の為に人々の為にに戦うのは間違いはない。しかし、自分たちの活動に必要なOSを作っている人々に危害が及ぶのは正しいのかという疑問があった。それを真理はずっと考えていた。

  

 「つまりは手出しができないのだな」

 カビ女が配下の参謀を鋭い視線で睨みつけた。

 「敵の本拠地襲撃は以前に蝙蝠男と、その配下が失敗しております」

 カビ女は配下の参謀にOS奪取作戦の立案を命じていた。現状では試作品と設計データを奪いとるのが望ましいが敵の本拠地に置かれているのが最大の障害であった。

 「あらゆる作戦を検討しましたが我々の意見とコンピューターによる演算による作戦の成功確率は三割を下回っております」

 「最大の要因はなんだ」

 「現状確認されている敵の最高戦力の四名です」

 「あの金属装甲の連中か」

 「左様です」

 おずおずと言う参謀から視線を外してカビ女は考え込んだ。

 「その四人を外部で分散させた上で私と同時タイミングで対決した場合はどうだ」

 カビ女の言っている意図がくみ取れずに参謀は呆けた顔つきになる。。

 「こういう事だよ」

 カビ女は参謀の顔つきを見てからそう言うとオーラを込めたカビの胞子を飛ばして瞬間的に増殖させた。そのカビは増殖する課程で人型になりやがてカビ女の姿へと変わった。

 「分身ですか」

 カビ女の分身を目を丸くして参謀は見入っていた。

 「そうだ。それも私と全く同等の存在だよ。仮に私が死んでも」

 「私が本体となる」

 不意にカビ女の分身が言葉を発した。

 「なんと、この分身は何体作り出せますか」

 「ストックを気にしているのか」

 「はい」

 高ぶった口調で参謀が返事をする。

 「それには私に一つ策がある」

 そう言ってカビ女はほくそ笑んだ。彼女には作戦の遂行と自らの殺人欲求と元来の目的の三つを同時に果たす奸計があったのだ。

 「それはいかなる方法でしょううか」

 「私たちを生産するプラントをつくるのだよ」

 「プラントと言いますと」

 参謀が首を傾げた。

 「私のカビで作り上げた巨大な菌糸を作るのさ。幾つもの菌糸を折り重ねてね」

 「それであれば可能でしょうが時間がかかりすぎるのでは」

 「時間はかからんよ。その為には諸君の協力がいるがね」

 気味の悪い薄ら笑みを二人のカビ女は浮かべて言う。

 「これから私の菌糸を百万個詰めたカプセルを工作員達に配布し都心のあらゆる場所で散布するのだ」

 カビ女の言葉を聞いて参謀は血の気が一気に引いた。

 「恐れながら、その作戦は・・・・・・」

 固唾を呑んでおずおずと参謀が言いかけた。

 「なんだ」

 強い圧のこもった口調でカビ女が言う。

 参謀は自身に向けられているであろうカビ女の冷ややかな視線を思うと頭を上げられれなくなった。

 カビ女と参謀の間に重たい沈黙がながれる。

 「黙っていては何も進むまいよ」

 カビ女に言われて参謀は一層、体を強ばらせてしまった。そして観念して言うより墓にないと決心して重たい口を開いた。

 「民間人への犠牲が大きすぎます。その規模で作戦を展開すれば非能力者だけでは無く我々の同胞になりうる者にまで被害が及びます」

 参謀が言い切るとカビ女は「ほう・・・・・・」と軽いあいづちをうつと参謀を見据えた。

 「なるほど我が組織の参謀の一角を努めてるだけのことはあるな。お前は犠牲を出すことによって我らの悪評が広まるのを恐れているのだろう」

 「左様でございます。そうなれば我らの戦力の増加と士気に関わります」

 「そうだが、それがどうしたというのだ」

 参謀は思わず顔をあげてカビ女を見た。切れ長の瞳が見開かれ口元には薄ら笑みが浮かんでいる。起こる惨事を思い浮かべて愉悦に浸かっているような表情をカビ女は浮かべていた。

 「この作戦に生き残れぬのであればその程度の価値でしかなかっと言うまでのこと。総統閣下の庇護の元で我らと同じく志す資格などありはしないわ。むしろ総統閣下の

お心を痛める無能どもを一気に葬りさり我らの力を誇示し支配者を知らしめる事にこそ真の価値があるのだよ」

 カビ女の語る超能力による力の誇示と支配こそが組織の目的であるのは間違いはないが、その為に数十、数百万の生命を奪おうとは参謀は思いもよらなかったのである。

 「全ては我が総統のお心の為に」

 カビ女が押し殺すような低い声色で参謀に言い放った。

 参謀は考えを巡らしたがこの場を切り抜けるにはカビ女に従うより他になかった。彼もまたカビ女の振りまく恐怖と殺戮に支配される側なのであった。

 「全ては我が総統のお心の為に」

 歯を食いしばりながらひねり出しような声色で苦悶しながら参謀はカビ女に屈服の言葉を発したのである。

 カビ女の執務室を後にしてから、青ざめた顔色のままアジトの執務室に参謀は帰ってきていた。

 「参謀どうされたのですか」

 執務室で書類の整理をしていた男性工作員が参謀に声をかけた。

 「いやどうという事は無い。少しだけ気疲れをしただけだ」

 「なにか暖かい飲み物でも用意しましょう」

 「すまないが頼むよ」

 そう言ってから深いため息を吐きながら参謀は自分の椅子に腰を下ろした。そして両腕で顔を覆いながら背もたれに体を預けて仰け反った。

 とんでもない事を命じられたと参謀はつくづく思った。参謀が常日頃から抱いていた理想から大きくかけ離れている作戦に参謀自身は賛同したことを悔やんでいた。そして理想をとってカビ女に一矢報ようと考えるよりも先に自身の無力を悟った自身の心の弱さを参謀はひたすら憎悪し続けた。

 「カビ女様と何かありましたか」

 参謀の前にほうじ茶の淹れられたマグカップを差しだしながら工作員が訊ねた。

 「今度の作戦は我々にも一般人にも大きな被害が出る。それを命じられて私は何もいえなかったのだよ」

 そう言ってマグカップを持ち上げて熱いほうじ茶を参謀はひとくち飲んだ。

 「私の理想は所詮、私だけの物のようだ」

 深い溜息を吐いて参謀は言った。

 「そんな事はありませんよ。私も参謀のお心と共にあります」

 工作員の言葉は参謀の心に深く染み入るものがあった。しかし、この心優しい若者を死地に送らなければならないと思うと参謀の失意はより深さを増すのであった。


 「どうも暗い」

 腕を組みながらムッとした顔で口火を切ったのは一久であった。

 臙脂色のシャツに黒いネクタイを巻き黒いチョッキとパンツ姿で千里邸の縁側に設けられているバルコニーで一久は煙草を吹かしていた。

 「何が暗いのですか」

  ロングテールコートの執事服姿で一久の脇で正座をしている一八が訊ねた。

 「真理だよ。ここしばらくヤケに沈んでいやがる」

 煙草の端を噛み潰すようにして顎をしゃくれさせながら一久は言った。

 「確かに普段の活発さが見えませんね。ここしばらく休養の為に仕事量を減らしているのが気に入らないのでしょうかね」

 一八が言う。

 「いつもなら、どんなに仕事を減らされても倍の量の仕事を作ってくるよ。だが今回はそれが無いのがおかしいんだ」

 深く息を吐いて口から煙草の煙を一久は吹かした。

 「お心当たりでも」

 一八が言う。

 「ある」

 傍らにある煤けた銀色の灰皿に煙草の灰を落としながら一久が言う。

 「何がとは断言できないが道義が絡んでるのは間違いない。作るモンは無茶苦茶だが作ってる当人は至って根が真面目だからな。道義で悩んじまうのさ」

 そう言うと一久は先の短くなった煙草をくわえた。

 「それも大きく悩むことだ。だとすれば自分のやっている事。そうだな、OSを外に頼んでいて頼んだ先に何らかの危害が及ばないかとかだな」

 「左様ですか」

 「左様ってたって、とっくに察しているんでしょ」

 目つきと口元をニィとさせて一久が言う。

 「ええ、私も二三も雪さんも察しております。であれば一久さんと結論は同じかと」

 一八が一久の顔に目をやる。

 「そうだ。何であれ越えられぬ試練は無い。って事になっているという訳さ」

 「私どもは真理さんならば必ずと思っております」

 「まぁ信じて待つしかないわな」

 煙草を灰皿にこすりつけて火を消すと手元に転がしてあったシガーケースとライターを手にとって新しい煙草を口にくわえた。火をつけよとライターのスイッチを押すがオイルが底を突いたのか火が点かなかった。

 煙草をくわえたまま縁側に一久は寝ころんだ。

 「なにしてんのよ」

 縁側を通りがかった真理が一久を見下ろしながら言った。

 「ガス欠」

 煙草をくわえたまま一久が言う。そして手のひらに転がしていたライターを真理に向かって放り投げた。

 放られたライターを真理がつかみ取る。

 「オイル入れるついでにメンテ頼むわ」

 そう言って懐から取り出したマッチをこすって火をつけて、くわえている煙草に火をつけて煙草を吹かし始めた。

 「わかったわよ」

 そっけない返事をして真理は去っていった。

 「あれで良いのですか」

 一八が一久に訊ねる。

 「言うより自分で気がつく方が良いさ。まぁ、博打だけどな」

 煙草の煙を吐きながら一久は答えた。

 「全く、貴方といい春樹さんといい不器用な人だ」

 一八は溜息を漏らしながら言った。


  千里邸二階の七畳間は大助とアリアの夫婦が共用で使ってる私室である。その二階の和室で春樹と大助は昨晩の襲撃について話をしていた。

 「やはり敵も動いてきたか」

 白いシャツに黒いスキニー姿で南向きの窓沿いに置かれた座卓にもたれかかりながら大助が言う。

 「あぁ、このままだと三谷の社員が間違いなく狙われる。早いところ方をつけないとならない」

 春樹が顔をしかめながら言う。

 「それなら手遅れだぞ」

 障子戸越しに女の声がする。

 声の主はE.M.Cの諜報部隊である隠密隊を率いている、お銀であった。

 お銀は細身で背が高く艶やかなショートカットの白髪に切れ長な目尻と高い鼻が特徴な美女である。黒いジャケットとパンツ姿で中に着込んでいるシャツを胸元まで開けてはだけさせている。

 「どういうことです、お銀さん」

 春樹がお銀に訊ねる。

 「いましがた部下から上がった情報でな一連の殺人カビの被害者は三谷電子の管理職や役員だそうだ。となれば行き着く結論は決まっているだろう」

 淡々とした色香のある口振りでお銀が言う。

 「しかし、どうやって身元が分かったんだ。敵の潜伏先を探っている最中だろう」

 大助が言う。

 「報告をあげてきたのは各所轄警察に潜入している隊員からだ。科学部が採取した遺体のDNAと行方不明者の捜査の際に採取したDNAが一致したのさ。それで私にレポートが上がってきたのさ」

 そう言うとお銀は春樹にレポートのコピーを手渡した。

 「連中は襲撃の前からOSの開発を妨害していたのか」

 レポートに目を向けながら春樹が言う。

 「その可能性は高いが不自然なんだ」

 お銀が眉間に皺を寄せる。

 「殺害対象がマチマチすぎる。OSの妨害をするなばエンジニアや関連する管理職

、役員を狙うのが常道だが今回の連続殺人の被害者はOS開発に従事していない者が多くいる」

 「あえて無策に被害を与える事で三谷電子に対して圧力を与えようとしているじゃないですか」

 春樹が言う。

 「いや、それなば被害者の身元を知らせた方が効果的だ。今回の殺害方法とはミスマッチだよ」

 お銀が言う。

 「お銀は敵の狙いは別にあると」

 大助が言う。

 「私怨だよ。三谷電子に向けてなのか世の中に向けてなのかは知れないが自分の力を誇示しようとしている風に見える。恐らく敵の構成員にとってはOSの妨害なんてついでなんだろう」

 淡々とした口振りで、お銀は自らの考えを述べていた。

 不意に部屋の障子戸を誰かがノックする。

 「入っていいぞ」

 大助が返事をすると障子戸が開き真理が入ってきた。

 「OSの試験データを持ってきたわ」

 そう言って真理はOSの試験結果を記したレポートを大助に差し出した。

 「うむ」

 真理からレポートを受け取ると大雑把にページをめくって大助は目を通した。

 「じゃ、戻るわ」

 真理が素っ気なく言う。そして大助を背にして部屋を出ていった。

 真理が出て行ってから七畳間に重たい沈黙が流れる。

 「聞いたよな」

 大助が言う。

 「聞いたな」

 お銀が溜息混じりに言う。

 春樹は障子戸を見つめて何も言わなかった。


 力のない足取りで真理はE.M.Cの地下基地を歩いていた。

 ー私のせいだ。

 歩みを進める度に同じ言葉が何度も真理の脳裏に反芻される。

 引きずるような足取りで通路を進んで自室へと真理は入った。

 真理は千里亭の自室とは別に地下基地内に作業場代わりの自室をあてがわれている。元々はフラッカーズの詰め所であったが誰も使わずにいたので真理が作業場として占領したのである。

 部屋の広さは十四畳で床は白くて薄い化粧板のタイルになっている。部屋の手前側には黒い直方体のコンピューターが二台と書類を納めたキャビネットが一つ置かれている。そして部屋の奥は作業スペースになっていて壁際に工具用のキャビネットが置かれている。その横には金属製のフレームに木製の天板が乗っていて、大型の高画質モニターとスタンドライトが配置されている。

  作業台に備えられているスタンドライトのスイッチを指先で弾くとオレンジ色の灯りが広げられた新型戦闘機の設計図をぼんやりと照らし出した。

 照らされた設計図を見て理沙の眼には先日まで夢中になって製図をしていた自分の姿が作業台の前に浮かんできた。

 「何をしていたのよ私」

 作業台に向かって真理は吐き捨てた。そうすると作業台に向かって無邪気に戦闘機を製図をしている自分の姿は見えなくなった。

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