Ep.8/湘南ー浜辺にてー

 蠍男さそりおとこの襲撃のあった夜が明けた。空飛ぶ自動車・アルファ=ポインターに乗せられた綾は駿介の家で無事に保護された。アルファ=ポインターが到着した時にはEMCの諜報部隊である隠密部隊の隊員が駿介の家に控えていた。

 気を失っていたとはいえ綾は酷く疲れた様子で大学を休んで自室で寝込んでしまった。

 そんな様子の綾を思ってか駿介は熱心に綾の面倒をみた。昼頃になると綾の部屋の戸を叩いた。

 「少しは落ち着きましたか」

 部屋の扉越しに尋ねた。応答がなく寝込んだままかと思って立ち去ろうとしたときに部屋の扉が静かに開いた。

 「少しだけ良いですか」

 すっかり落ち込んだ調子で綾が言った。

 駿介は綾に招かれるまま部屋へと入った。

 部屋の窓は早々に修理されていた。その直された窓は厚手のカーテンで閉じられていた。明かりは点けられておらず薄暗かった。

 綾の憔悴しきった姿を見て駿介はゾっとした。昨晩の晩酌の際に見せた姿とは違い乱れた髪型と青い白い顔色は綾とは別人の様に見えた。しかし、その変わりようから感じられる綾の恐怖心を思うと駿介はいたたまれない気持ちにもなった。

 「みんな心配していましたよ」

 気さくに話しかけながらうずくまっている綾の隣に駿介は座った。

 綾は返事をせずに顔を深く膝に埋めていた。

 「あんな事があっては気分も悪いでしょう」

 駿介の問いかけに綾は反応を示さなかった。部屋に呼び込むあたりからして孤独や恐怖におびえているのは駿介にも分かっていた。

 「今は深く考える必要は無いでしょう。大丈夫です。僕の無二の親友が頑張ってくれているんですから」

 綾に駿介は微笑みかけたが、綾は顔を膝に埋めたままであった。

 何を言っても今の綾には響かないというのが駿介には分かっていた。綾は漠然とした不安と孤独感に耐えられずにいる。警戒心が極端に高まるが故に少しでも気心の知れた相手を求めてしまうのだ。

 駿介は静かに立ち上がって窓の前へと向かう。そしてカーテンを勢いよく開け放った

 薄暗い部屋の中に日差しが鋭く切り込む様にして差し込む。

 「せっかくの晴れの天気です。出かけましょう」

 そういって半場強引に部屋から綾を駿介は連れ出した。

 バイクの後ろに薄手の上着を羽織った綾を乗せてワインレッドのバイクを駿介は神奈川方面に向かって走らせた。

 カルバートハイウエイの地下道に入り環状八号から第三京浜を経由して国道一号線を通って神奈川の湘南へとたどり着いた。地下の駐車場でバイクを降りてエレベーターに乗って地上に出ると湘南の海岸へと出た。

 暖かな陽光に照らされる浜辺に凪いだ海からさざ波の音と吹いてくる浜風が駿介と綾には心地よかった。

 浜辺に出て大きく深呼吸する姿を駿介は綾に見せた。

 「気持ちが良いもんですよ」

 ながら駿介がいう。

 言われるがままに綾も深呼吸をしてみせる。磯のかおりと浜風の心地よさが体の内側に染み渡ってくる。不思議と少しだけ心が満たされたような気分に綾はなった。

 「どうです?部屋に引きこもってばかりよりは遙かに良いでしょう」

 海を背にして駿介が言った。

 「そうですね」 

 綾は端的に答えた。

 「ならば良かった。外は良い。風や太陽を地肌で感じられる事ほど幸せな事はないですよ」

 澄み渡たる湘南の青空を見上げて駿介が言った。

 駿介に連れられて綾も空を見上げた。どこまでも抜けている広々とした蒼天が自分を抱き寄せている様にも綾には思えた。何故か青空が愛しく思えると綾には疑問に思えた。

 「なんだか少しは楽になれそうです」

 綾は溢すようにポツリと言った。

 「それは良かった」

 駿介が言う。

 「佐山さんは何時もこうするのですか?」

 水平線を呆然とした目付きで眺めながら綾が訊ねた。

 「何時もこうしていました。レースで負けたりタイムを抜かれたり選抜に堕ちたりした時も、フラれた時もね」

 綾の横顔を見つめながら駿介は答えた。

 「何ですかソレ」

 「文字通りですよ。その時はこっぴどくフラれてしまいました。けれども、こうも出来ない時もありました」

 駿介の声の調子に少しだけ陰りが伺えた。思わず綾は駿介の方に顔を向けて視線が合わさった。

 「レースで事故にあって寝たきりになったんです。落ち目だとか色々と言われましたし僕もそうだと思っていました。酷く荒れましたよ。けどね、そんな時でも勝負をしようと言う馬鹿な奴が居てね。ソイツが動けない僕を背中にくくりつけて連れ出してくれたんです。そして最後には何を思っているのか落ち目にはならんって自信満々に言って帰るですよ。今ならソイツの考えがよく分かります」

 綾の驚きと不安の入り混じった瞳を見据えながら駿介は朗々と親友との思い出を語った。

 「あなたは薄暗い部屋に居るよりも青空の砂浜に居て笑顔で居てくれる方が良く似合います」

 「何を言っているんですか、そんな風に言われても」

 瞳を震わせて綾は戸惑っていた。しかし口元には僅かに笑みが浮かびつつあった。

 「僕は部屋の奥で縮こまっている様な貴女ではないと、その・・・・・・つまりは」

 照れ臭そうにしながら言葉を模索する駿介を見て綾はやっと駿介の思うところを察した。

 「ありがとうございます。佐山さんって素敵なのですね」

 微笑みを浮かべながら囁く様な調子で綾は言った。

 自分の空回りからか駿介は顔を赤らめてしまった。

 「そのですね。できればタメ口で、それに呼び捨てで構いませんよ」

 少しまくしたて気味になりながら駿介が言う。

 「駿介さんもね」

 綾が笑みを浮かべて言うと駿介は一気に気恥ずかしくなってしまった。

 それから砂浜に座り込んで二人は水平線を眺めながら磯の香りと凪いだ浜風に撫でられて過ごした。さざ波の打ち寄せる音が駿介と綾とが手を重ねる砂浜に柔らかく響いていた。

 

 駿介と綾の瑞々しい二人の姿を海岸の入り口近くの防波堤の陰から春樹は和やかな微笑みを浮かべながら見守っていた。

 「何をニヤついているんだ」

 春樹の背後からやってきた一久が言う。

 「いいもんだな」

 そう言って春樹は顔を駿介と綾の方へとやった。

 春樹の横に身を屈めるながら駿介は端的にうなずいて答えた。

 「参謀長からは何て?」

 春樹が淡々とした調子で尋ねた。

 一久は昨晩の護衛中に起こった戦闘についての呼び出しを受けていた。偶発的とはいえ市街地の上空での身勝手な戦闘は決して賞賛はされない。それ故にE.M.Cの武力行動を直接指揮する参謀長から呼び出しを受けていたのだ。

 「委員会での討議に上げられるんだとよ」

 唇と尖らせて嫌みらしく一久は言った。

 「分かった。二三《ふみ》さんにスーツのクリーニングを頼まなくちゃな」

 「着た事もないだろうが」

 春樹のスーツ姿を見たことが無いのを思い起こしながら一久はぼやいた。

 「しかし良い雰囲気だよな」

 春樹が言う。

 それに合わせて一久も駿介と綾に目を向けた。感慨深く思えた。駿介の情熱や挫折を思い起こすと二人の姿から見て取れる暖かみを感じて一久の視線は暖かみを帯びていた。

 「なぁ、何がそんなに焚きつけられるだ」

 一久に春樹は尋ねた。

 「三年前のグランプリレースの最中に転んじまってな。そこに後続が突っ込んで全身が滅茶苦茶になっちまった。その時に見舞いに行ったが生かしておくのが酷な有様だったよ。そんな奴が立ち直って幸せを掴もうとしているんだ肩入れもするさ」

 淡々と話す一久の熱っぽい目を見て駿介へ向けている友情の重たさを春樹は思い知った。

 「一先ずはお前に護衛任務は任せる。敵の事と委員会については気にはするな」

 「恩に着る」

 一久が言う。

 春樹は立ち上がって後を一久に任せて帰っていった。

 静かに駿介と綾の姿を一久は見守っていた。誰であれ思い人と過ごす幸福な時間を守らねばならいのが今の一久の使命である。その相手が親友であれば一久の使命感は一層強くなるのである。

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