相手無きレーコド=レーサー
E.P5/旧友ー佐山駿介ー
カルバートハイウェイの終点の一つである調布出口から地上へ出ると西東京市街の抜けるような青空が一久を出迎えた。
暗いトンネルから暖かな陽光の元に出てきたので一久は目を細めた。
超高層が建ち並ぶ東京都心部や千里亭のある柴又の様な住宅街とは違う調布の澄んだ青空を目の当たりにして一久は普段の生活圏とは違う場所に来たのを感じて少しばかり心細くなった。
一久は愛車のワインレッドのクーペに乗って二十号線を八王子方面に向かっていた。
一久は黒いロンジャンと革のパンツを主体にしたライダーズスタイルで服装を纏めていた。
一久はクーペを走らせてE.C.Mの府中訓練所へと向かった。府中訓練所はE.C.Mの特殊車両訓練を目的とした施設で、今回行われる訓練は百獣機甲隊の定期訓練である。その訓練に一久は自ら率先して立候補したのだった。
一久は府中訓練所の駐車場にクーペを停めて五階建てのオフィスへと向かった。オフィスに向かう途中でセブンスターのボックスから紙煙草をとってマーベラスのCタイプで火をつけた。歩きながら煙草を吹かして半分ほど吸った頃にオフィスの入口にたどり着いた。一久は自動ドアの前で携帯灰皿に煙草を擦り付けて火を消してからオフィスへと入っていった。
府中訓練所の建物は古く、少しくすんだ色合いの白い壁や木目の化粧板をあしらった受付のカウンターからは半世紀以上前の古びた建物の雰囲気が匂い立つ。
一久は受付のカウンターの前に立って「応接室は何階ですか」と向かい合ったの受付嬢に尋ねた。
「五階です。エレベーターを降りて直ぐ右に行っていただくと応接室になります」
受付嬢は淡々とした揚々のない口調で答えた。
受付嬢に言われた通りの道順で一久は応接室へと向かった。エレベーターを降りてからは後少しでという思いが足取りを軽快にする。そんな調子で一久は廊下を進んで行った。
応接室の前に着くと一久は扉の前でロンジャンの襟を正して肩の力を抜いた。なるべく自然体に振る舞えるように努めようとするが緊張して笑顔がぎこちなくなりそうに思えた。
そして応接室の扉を軽くノックした。 「フラッカーズ所属。三上入ります」
一久が扉を開く。
一久が応接室に入ると接待席ソファの上座に座ったライダースーツ姿の男に目を向けた。
男もまた一久に目を向ける。
「カズ!久し振りだな」
男が気さくな笑みを浮かべて立ち上がり一久を迎えた。
「六年ぶりだぞ。シュン!」
一久もまた屈託の無い笑みを浮かべていた。
二人はお互いの肩に手を添えて相対した。ほんの一瞬だけ二人は言葉を無くして見つめあった。二人の深い信頼が込められた目線が交差する。
「まさかお前が来るとは思わなかったぞ」
一久が言う。
「こっちこそお前とここで会えるとは思ってなかった。相変わらず煙草臭いヤツだなぁ!まぁ座ろう」
一久の肩を軽く叩きながらシュンこと佐山駿介が答えた。
一久と駿介はソファに腰かけた。
一久は爛々とする瞳で駿介を見つめて止まない。待ちに待った親友との再開に心が踊る程に嬉しかった。
「何だよ。そんなにジロジロと見つめてくれるなよ」
駿介が照れ臭そうにはにかんだ。
「悪い悪い。何分、久しぶりなもんだから楽しみでしょうがなかったんだ」
一久が笑みを交えて言う。
「楽しみなのは俺と勝負することだろ。六年前にお前が居なくなった時は二百十二戦と百六勝・百六敗だった。今回で決着を着けたいんだろ」
一久と話すうちに駿介の喋る口調の歯切れが段々と良くなる。
「引き分けたまんまなのは気持ちが悪いからな」
一久が目付きを鋭くして駿介の目を見たた。
「それは俺もだ。どんなグランプリに出てもお前との勝負に白黒つけられなかったのを忘れたことはない」
駿介も一久の目を鋭く見つめる。
一久と駿介はお互いに衰えが無いのを見つめ合った視線で確かに感じ取った。
一久は白い歯を覗かせた笑みを駿介に見せてソファから立ち上がった。
「んじゃ高説を頼むよ」
駿介もソファから立つ。
「任せておけ。俺の六年間のライダー生命の総纏めだ」
総纏めと聞いた一久は呆気にとられて返す言葉に詰まった。
一久の戸惑う顔を見て駿介はニコニコと朗らかに笑ってみせる。
「安心しろよ七年目だってあるさ。お前と会えたのは大きい節目になるって事だよ」
一久は、ハッとして我に返ると一呼吸おいてから、たどたどしく口を開いた。
「そうか。なら良いんだ。俺はてっきり」
「怪我が響いたと思ったか?」
駿介が先に一久の思っていた事を口にした。
「大丈夫なのか?」
一久が囁く用に言う。
「走れば解るさ」
駿介が明朗な表情で答えた。
駿介の顔を見て一久は改めて顔を引き締めた。
「また後でな」
そう言うと一久は応接室から出ていった。
暖かな日差しが差す府中訓練所のメインコースに訓練の対象となった百獣機甲隊のメンバーが紺色の繋ぎ姿で整列していた。百獣機甲隊のメンバーの中の一番右端の列の一番後ろに一久は並んでいた。
訓練の開会式が始まるを静かに待っているのは誰にも退屈であったが、百獣機甲隊のメンバーは誰一人として表情と姿勢を崩さずに正面を向いて待機していた。
一久は自身が感じていた気だるさから少しでも気を抜くとだらしないアクビが出そうになったが周りから伝わる緊張感に気圧されて自制した。
開会式が始まり訓練所の所長と百獣騎兵隊の隊長の挨拶があった。その次に講師の紹介に移った。五人の講師の中に駿介の姿があった。最初に防衛隊の戦車隊で車輌長を務めた男が紹介された。次に防衛隊のエースパイロットだった女性が紹介された。それから一代でオートレースの世界選手権を制覇したレースクラブを立ち上げたメカニック兼トレーナーの初老の男が紹介されて、それに続いて日本トップクラスのボートレーサーが紹介された。
「続きまして世界三大オートレースを制覇した佐山駿介選手です」
駿介は自分の名前が呼ばれると一歩前に出て会釈をした。
オートレースにてオンロード・モトクロス・耐久の三つの競技で世界制覇を成し遂げた駿介の登場に一同からどよめきが起こった。
開会式が終わってから訓練を受けるメンバーは講師ごとに五つの班に振り分けられた。一久はその内の駿介が指導する班に振り分けられた。
座学の時間は一久にとって退屈でしょうがなかった。マシンの基礎理論にしろテクニックしろ一久が知らない事は何一つとして無いのが分かっていたからだ。それも長年の盟友である駿介が講師となればなおのことである。窓側の一番後ろの席で一久は机に突っ伏してうたた寝とアクビを何度も繰り返していた。
対して駿介はマシンの取り回しに必要なメカニズムについて熱心に講義していた。
うつらうつらとしている一久を見つけた駿介は不意に一久に質問を投げ掛けた。
「核融合エンジンとレシプロエンジンの走行性能の特色の差はなんだ」
駿介の問いに眠たそうな顔をして一久は気だるそうな口振りで答えを返す。
「核融合エンジンはインバーター制御の無段変速によるエネルギーロスの低さと駆動系統の小型化による軽量化によってアクロバットに向いている。対してレシプロは重たくて環境には悪いが瞬間的なトルクや加速に於いては核融合エンジンより勝る」
一久の回答を聞いた駿介は更に質問を投げ掛ける。
「よろしい。ならば双方が活躍する場面はどこかな」
一久は学生の頃に担任だった社会科の教師に居眠りを晒された時の事を思い出して少しムッとした顔つきになった。
「核融合エンジンには得意も不得意もない。地に足つこうが浮いていようが最低限のパフォーマンスはする。レシプロは減速ギアでのトルクは核融合エンジンに勝るから不整地ではまだ優位にたてる」
一久は駿介からの問いを答えきると次の問いが投げ掛ける前に、まともに答える気が失せたと言わんばかりに机に突っ伏して狸寝入りを決め込んだ。
ダウナー気取りな所は変わらない奴だと駿介は一久の事を思った。駿介は質問で詰め寄る相手を変えようと講義室を見渡した。講義を受けている誰もが熱心な目付きをしていたので誰を指名しようか迷ってしまった。それだけ熱心に聞き入っているのであれば講義の内容を難解にしても差し支えは無いだろうと駿介は考えた。駿介は講義の原稿と資料を演説台の上に置いた。
「諸君の熱意は良く解った。だから講義の難易度を上げさせてもらう」
演説台にもたれて駿介は言った。
駿介は、座学を繰り上げて実技の講習を始めようと考えて聴講生たちに駐車場に集合する様に指示を出した。
聴講生達は興奮する様を隠しもせずに席から立ち上がると我先にと講義室から出ていった。
聴講生が出ていく様を横目に駿介は一久が座っていた席に目を向けた。そこに一久の姿は無かった。場所をわきまえずに食って掛かろうとする一久の性格も変わりが無いのだと駿介は思った。
駿介から指示を受けた聴講生達は駐車場に繋ぎ姿で集結して自分のオートバイに跨がって待機していた。
駿介が講義をしている班は主にオートバイをベースにしたマシンを使っている百獣騎兵隊の隊員達である。彼らには独自のカスタマイズを施された専用のマシンが支給されている。
エンブレムやカラーリング・設置されている武装・パーツによって異彩を放つバイク群の中にシルバーのバイクが一台あった。そのバイクのボディは小ぶりでフロントフォークに一対のロケット砲が備えられている。タンクには一久専用のバイクであることを示す、男が女を抱き上げているシルエットを型どったエンブレムが付けられていた。
駿介が自前の赤と黒のボディのオートバイに跨がって姿を表すと聴講生から感嘆の声が上げられた。
数年振りに再開した忘れ難い駿介のマシンを一久は爛々とした視線で見つめていた。ワックスがけの行き届いた艶やかな光沢の真紅と半光沢のカーボン調の黒のツートンカラーのボディが特徴的なストリートファイター系のマシンであった。しかし一久の記憶と耳で聞き取っている駿介のバイクから聞こえるエンジンの音は大きく異なっていて静かになっていた。気になって目を凝らして駿介のバイクを一久は改めて見渡して見るとサスペンションやアーム・マフラー等のパーツが最新の物に置き換わっていた。駿介が同じ愛車のボディを使いながらもエンジンやパーツの刷新を怠らずにスピードとタイムを追及し続けてきたのを一久は駿介のバイクから確かに感じ取っていた。
駿介は一久を見つけると側へと寄ってきて一久のバイクをまじまじと見た。
「それが今のお前のマシンか?」
一久はタンクを掌で軽く叩いて無邪気な笑みを浮かべて答えた。
「ホワイト=クロウだ。はぇーぞ」
「マシンが良くても腕前がどうかな」
駿介が半笑いを浮かべて一久を言葉で煽り立てる。
駿介の口から紡がれる煽り文句が一久には懐かしかった。駿介と街中でレースをする前は決まって互いに煽り立ていた。いつの間にか遠い存在になった友人と再び競える瞬間が来たのだと一久は切実に感じていた。自らが待ち望んだ瞬間が近づくと思うと一久ほ真剣な目付きをして駿介の目をじっと見据えていた。
「タンクばかりを磨いてはないさ。お前だってそうだろう?」
一久が言う。
「そうだ。この日の為にな」
駿介が不適な笑みを浮かべて言った。
バイクの腕前を競い合える日を待ち望んでいたのを一久と駿介の二人は互いの煽り文句の掛け合いで確かに伝えあった。
一久を含む聴講生の一団を駿介は府中訓練所の訓練用コースへと引き連れていった。そして、コースのスタート位置につくと聴講生の全員に伝わる様に大声で指示を出した。
「これから全員でレースをする。スタート位置から俺より速くゴールするのが課題だ。スターの合図は次のチャイムだ。良いな!」
駿介の号令に対して聴講生の返事が束になって府中訓練所のコースに響き渡った。
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