第2話
目が覚めると、口の中がカラカラだった。
気分も悪い……。
……冷水で顔を洗い気分を良くしよう……。
部屋から出て、洗面所に向かう。
あれ? 窓の外が……日暮れ?
マジか。どうやら一日中寝てたみたいだ。
窓の外は、雲一つなく晴れ渡った夕焼け空だった。
庭のポチが蹲って寝ている。
――トゥルルルルルルルル。
電話の音が鳴り響いた。
「……もしもし」
警察からだ。
「……はい、そうです、行方が分からなくなって」
母さんについてだ。
「えっ……あ、はい……はい……」
何かわかったらしい。ただ声のトーンが重い……。
「なんですって? ……どういう意味ですか……?」
なんだ……? 意味の分からないことを言ってくる……。
「昨日です、昨日の話です、そんなわけありません」
資料がそうなってるとか、なんとか……そんなのばっかり……意味が分からない。
「……調べ直してください……どうして……間違いです……」
僕が否定しても聞いてくれない……。
「え? あの……はい、はい……」
あやふやにされて、電話を切られた。
警察は、もう母さんの事を捜索はしてくれないらしい。
もう死亡しているだって……?
……?
受話器を置き、居間に入る。
誰もいないベッドを見つめた。
……?
警察がそう言う訳が分からないまま、僕はテレビをつけ、居間のいつもの場所に座る。
そうやって今日1日は、特に何もせずに過ごした。
何も考えられない。
……心配だ……。
くそっ、母さんが、もうどこか見知らぬ土地で迷っている想像しかできない。
何もする気も起きない……。
だらだら、ずっとテレビを見ていた……。
普段見ない教育テレビまで見た。
「じつは、妊娠2か月げつくらいまで、お母さんのおなかの中の赤ちゃんには、ちゃんと尻尾がついていますよ」
人間の進化について、眼鏡をかけたCGキャラが解説していた。
「この尻尾は、だんだんと何個かの尻尾の名残のような骨だけを残して無くなってしまうのです。
人間は尻尾を無くしてしまいましたが、なぜ無くなったのか、この理由りはまだよくわかっていないのです。ただ言えるのは、この尻尾が無くなってしまった事は、人類がだんだんと進化して姿を変えてきたという証拠なのです。まぁ、いらなかったんでしょうね」
◇
夜が来た。
今日も寝れそうになかったが、僕は早くにベッドに入った。
天井を見上げる。
木目を見つめた。
……母さんと一緒でないと、こんなに孤独を感じるのか……。
家にひとりは、こんなに寂しいのか……。
こんなに、ひとりぼっちが身に染みたことなんてない。
ひとりっきりの夜……。
……嫁のことを、ずっと言ってたな……。
……欲しいな……。
もし嫁を選ぶとしたら……。
僕は空想に耽った。
意気消沈していた気分が少しでも飛ぶのならしても良いだろう、これくらい。
空想に浸った。
――コンコンッ。
急にドアがノックされる。
僕は、飛び起きた。
ドアを振り向き見る。
驚きのあまり心臓が止まりそうになった。
背筋が凍る。息が止まる。
……母さん……なわけない……。
キーッとドアが開いていく。
敷居に女性が立っていた。
廊下の電気が逆光になって、顔が良くわからない。
髪が長く、巨乳で、すごく体形が良い体。
着ているのは……童貞を殺すセーター……?
僕は、目を丸くしたまま、固まってしまった。
身動きどころか、眼球も視点も動かせない。
女性は、開いたドアをノックし、
「こんばんは」
籠った女性の声が、僕に向かって発せられた。
「……誰だ……出ていけ!」
僕はなんとか振り絞って怒鳴った。
女性が驚いて下がる。
すると、廊下の電気が女性の顔を照らした。
年は10代にみえる。すごく可愛い顔……。
……恰好から何まで、さっきまでの空想の中の女性まんまだ……。
もう一度怒鳴って威嚇しようとした僕の声が、喉の途中で止まってしまう。
心臓が激しく打ち鳴る。
「どうやって入った……」
「玄関が開いてたわ」
ああ、くそっ忘れてた……
「おい出ていけ、近づくな」
「……それは、困るの……」
女性が、悲しげな声で静かに言った。
「行くところなんてないの」
「あんたは、誰だ……」
声が震えてしまう。
「一体何でここに居るんだ。警察を呼ぶからな」
「……あなたなら助けてくれると思って」
「僕なら?」
女性は悲しそうな顔をした。
「助けてくれないの?」
目や口元に浮かぶ、か弱い表情を読み取るたびに、血が耳の中で騒ぎ始める。
「外は、寒いの……」
女性が部屋の中に入ってきた。
ドアがゆっくり後ろ手で閉められる。
「君は、夢か……」
女性はクスクス笑って近寄ってきた。
「さわって」
ベッドに入ってきて、僕の耳元でささやく。
息のかかる距離まで来た、彼女の顔をじっと見つめた。
白い肌、火照る頬、桃色の唇、長い緑髪……。
「ほらね。違うでしょ?」
女性が僕の手を取り、自分の頬にあてた。
「うわっ……」
僕は、座ったまま後ずさる。
「帰るところないの。家に居られなくなってね……」
「いや、無理だ」
「助けて。ワタシ、何でもする。ねぇ……」
蛍のように光る大きな瞳が、僕を見つめていた。
「あなたの事が好きなの。初めて見た時から」
「何……言ってるんだ……」
僕はベッドから逃げだす。
「私に会って、嬉しくないの? ……あなたって世捨て人?」
女性もベッドから出て、一歩近づいてきた。
「君みたいなのが、いるわけない……丁度、考えてたんだ、君みたいな人がいれば良いなって……」
「嬉しい、じゃあ何も考えることないじゃない。一緒に暮らしましょ、これから」
微笑む彼女から、視線を逸らす。
「馬鹿な……そしたら……現れたなんて……こんなこと……」
息がせわしなくなって、顔がこわばっているのを感じた。
体が、わなわな震える。
「いやなの? 怖がってるの? どうして?」
「どっかに行けっ……行ってくれっ……」
後ずさりながら、声にならない声で叫ぶ。
そんな僕に、女性は困惑しているようだった。
「どうして?」
女性がぐっと近づき、僕の顔をじっと見つめる。
「だって、好きなんでしょ、私の事が……」
と哀れっぽく言う。
そんな彼女を、僕も見つめた。
その体のぬくもりが伝わってくる。
「……怖いの?」
僕は、すぐに目を逸らした。
「何かおかしい……おかしい……ずっとおかしい……これは……ずっと、幻覚を見てるんだ」
「本物よ」
女性は、優しく手を取って、大きな胸に僕の手を置く。
「ね、本物でしょ。私は、あなたのためのものよ」
そして、うなじに手を伸ばし、長い髪をさわって、けだるみな笑みを僕に向けた。
僕の心臓の鼓動が、激しく打って苦しくなる。
本物だ……、間違いなく本物だ……。
いや、本物であろうとなかろうと……そんなの問題じゃない……。
……本物であろうとなかろうと……。
……何の問題があるんだ……。
女性が唇を突き出してくる。
「……ああっ」
僕は女性の顔を、引き離した。
「違う違う! 離れろ! 出ていけ! 警察に言うぞ!」
「……、……そう……」
女性は目を瞑り、僕から1歩退く。
2歩、3歩、離れていき、
「わかった……すぐ出ていく。でも、あなたが思えば、私の事を思ってくれるなら、すぐ来るから……」
「そんな事はない! いい加減にしろ!」
女性は悲しそうな顔をして僕を見下ろしていた。
僕はぎゅっと目を瞑る。その顔を見ていられなかった。
僕の耳に、女性がゆっくり歩いて部屋から出ていく音が聞こえてくる。
目を開くと、ドアが、ゆっくりと締まるところだった。
……どうなってる。
どうなってるどうなってる……。
暗い部屋を見渡す。
一体どうなってる……どうしてこんなことが起こる……。
部屋には誰もいない。
もう、静かな家には、物音ひとつない……。
またひとりっきりの夜……。
僕の心に、いきなり痛みが走った。
耐えられないくらい締め付けられる。
何を捨てようとしてるんだ?
本物だろうとなかろうと、一緒に居れば良かったんじゃ?
幻覚と本物とで、どんな違いがあるんだ?
僕の望んだとおりの女だったじゃないか。
◇
ようやく夜明けが来た。
窓の外が明るくなっても、僕はベッドから起き上がれずにいた。
でも、そうやってずっと寝ていると、だんだん気力も回復してくる。
母さんの事でもうこんなに落ち込んでるのはやめようと思うようになった。
昨晩の変な女のことも忘れて、僕は、母さんが見つかることを強く思った。
今日、警察から見つかったという電話が来る。きっとくる。だから、起き上がって、ちゃんと生活しよう。
そして、おなかまで減ってくると、ようやく起き上がる気力がわいてきた。
起き上がり、ドアを恐る恐る開け、静かな廊下に出て、階段を下りる。
庭に面する窓から外を見ると、空は雲が厚くたれこめていた。
――カガンッガンッガンッ
ポチが元気に、ガラスへ向かって飛び掛かってくる。
ポチがガンガン音を立てるガラス戸を開け、腰を下ろして、頭を撫でた。
「よしよし、ごはんだな、待ってろポチ」
台所に行きドックフードを取りに行く。
しかし、空だった。
……どこだ……?
……そういえば……仏間の押し入れに、いろいろ溢れてたな……。
見に行こう。ドックフードも見た気がするぞ。
仏間の襖を開ける。
と、驚いて固まってしまった。
……なんだこれ……?
仏壇に父の遺影。
そしてその横に、母さんのがある。
目を凝らして、遺影を見つめた。
……何で母さんのが……。
吸い込まれるように、母さんの遺影をのぞき込む。
急に、目の前がうねり視界がゆがんだ。
……。
……そうだ……。
……思い出した……。
「ああああああああ!」
僕は階段を上がり、部屋に駆け戻った。
ドアを閉めると、頭を抱え座り込む。
悪寒と熱が、皮膚を走り回った。
しびれを全身から感じる。
そうだった、母さんは死んでた……。
死んでた……。
……なんで忘れてたんだ……。
死んでた……のに、じゃあ、昨日の……母さんは、誰だ……?
これは、僕の頭がおかしくなっているのか……?
こんなの……こんなの、こんな――
――トゥルルルルルルルル。
「はぁぁ!」
電話の音が鳴り響く。
トゥルルルルルルルル……。トゥルルルルルルルル……。
着信音は長い事続いた。
誰からだろう……。
……でないと……。
取りたくない気分だったが、着信音は長く。
「……はい、……もしもし……」
また警察からだった。
「え? 母さんが……ですか……?」
……そんなわけない。
ぞっとしたものが、僕の体を走り抜ける。
「人……違いです……あの、もう母は……亡くなっておりまして……」
違う、違う……間違いだ。
昨日の、母は、そうか……あの女と同じだ……。
「保護されてる……?」
母さんが、いるのか……今……。
……違う、違う……違う、違う違う、違う……。
「……あの昨日、ですね、あの、資料か何か調べてみてください、死んでいるはずですから」
僕は、乱暴に電話を切った。
どういう事だ?
頭がおかしくなっているのか?
だとしたらどんな風に?
僕は、母の事や、夜の女の事を考えた。
……僕は、ああいう女の事を思っていた……。
母さんも、一緒に暮らしたいと思っていた……。
……すると思い通り……どっちも現れた……。
幻覚、幻聴か……?
……実際に……現れている……。
昨日の女の事を思い出す
実際に、幻覚なのではなく……、……感触があった……。
頭が、混乱してきた。
実際に、さっきも警察と話したぞ。それも全部、幻覚……?
僕は受話器を手にした。
リダイヤルで掛け直す。
「もしもし……はい、さっきの……、はい……場所は……はい……はい……ありがとうございます」
母さんの居場所を聞いて、電話を切った。
母さんは、生き返ったんじゃないか?
この電話も全部幻覚なのか?
僕は、幻覚なのではなく本当だとしたら、とおもうと怖くなった。
それは、母さんなのか?
もし実際に今いる母さんは、本物なのか?
純粋な怖さとは違う、悲しい怖さにとらわれる。
……。
もう、何が何だか分からなくなった……。
頭を抱え、僕は蹲った。
怖い……。
……怖い……。
◇
窓の外が赤くなった、夜が訪れる。
今夜は、すぐに寝よう。
睡眠薬も、母さんが使ってたのがあった。
それを飲んで、すぐに寝て、朝を迎えよう。
カーテンを開き、窓の外を眺めた。
すぐ下の庭ではポチが丸くなって寝ている。
地平線の方を見れば、太陽が河川敷越しに、街に沈んでいくのが見える。
西の空は厚い雲に覆われ、くすんだ灰色と暗い赤色に輝いていた。
たちまちのうちに、空全体が暗くなり星が瞬き始める。
カーテンを閉め、家中の雨戸を閉め、戸締りもしてから、僕は睡眠薬を一飲みした。
電気を消し、ゆっくりベッドに横になる。
何を心配することがある、このまま寝たら良いだけだ。
誰が来ても、もう中には入れない。
これで入ってこれたのなら、それは、僕の、ただの幻覚だ。
明日、僕は精神病院に行こう。
……なんで、こんなことになってしまったんだろう。
……母さんが死んだからか。
それで僕が、もっと一緒に居たかったと、寂しがったからか。
寂しさから、母さんとの日々を思い起こしたからか。
空想が起こり、もう一度と、願ったからか。
空想だけに飽き足らず、僕は目に見えるように、感触も感じられるようになってしまったのか。
それで、きれいな女性に好かれたいと妄想して、そっちまで五感で感じられるようになったのか。
月並みな言葉で言えば、僕は、現実を生きられなかった、からなのか。
……でもそれは、僕だけじゃないはずだ……。
人は皆、空想の犠牲者らしい。
みんな揃って願い事ばかり、ここじゃないどこかを思い描いて。
僕の思いは、そんなに人を狂わせるほどだったのか。
幻覚だろうがなかろうが、僕の考えた事が目の前に、感を伴って現れるようになっているには違いない。
……。
僕には、何も空想することもない。
あの女を、望んでもない。
母の死も受け入れた。
……ほんとか?
……ほんとに望んでないのか……?
眠りはなかなか来ない。しきりに寝返りを打った。
何も怖がることはない。
戸締りはしてある。
……念には念を込めるか……。
僕は起き上がった。
玄関の扉の裏に靴箱を移動させて、開かないようにした。
これで安心だ。
真っ暗な家の中を、部屋まで戻っていく。
部屋に入り鍵をかけベッドに戻った。
これで、安心だ。人の力では入ってこれない。
もし入ってこれるというなら、化け物だ。
僕は、巨大な口に鋭い歯が不ぞろいに並び、巨大な爪を持った、エイリアンを思い浮かべた。
カエルみたいな無機質な目を持って、筋肉で盛り上がった体には毛が全くない、ぬべぬべしていて――。
――ドンッ、ドンッ、ドンッ。
「はっ!」
僕は、心臓が口までせりあがってしまった。
物音がした。
何か、何かがぶつかる音だった。
「ワンワンワンワンッ、ワンワンッ、ワンワンワンワンッ、ワンワンッワオーーーンッ」
……ポチ、何に吠えてる……?
あの女か、母さんか……?
僕は耳を澄ます。
「ワンワンッ、ワンワンッキャッ――」
小さな短い高い声を出して、ポチが吠えなくなった。
ポチ?
――ドンッガンッガァンッ!!!
雨戸が激しく叩かれる音が響く。
キシキシと軋む音が同時に聞こえてきた。
「なんだなんだ!?」
窓へと僕は急いだ。
雨戸をそっと開け、庭を覗く。
「ああああっ」
僕は小さく悲鳴を上げてしまった。
庭には、僕がさっき思った、家に入ってこられる化け物そっくりのが、ポチの体を鋭い歯で噛み砕いているところだった。
ベッドに戻り、布団を頭からかぶる。
「これは幻覚だ。本当じゃない……本当じゃない、落ち着け僕、落ち着け……これは幻覚なんだ……本当じゃない……本当じゃない……」
僕は呪文のようにささやいた。
耳を澄ます。
もう、あの化け物は蹴破った窓から中に入っているに違いない。
さっき見たたくましい手足で、廊下を窮屈そうに歩いて階段を目指して。
――ドシン、ドシン。
足音……。
大変な重量がかかっているのか、一歩ごとに家が揺れれた。
「入って来ている!?」
階段を上がって来てくるんだ、荒い息をついて、おなかを減らしてるから、奴は僕の居場所なんてわかってしまっているんだ。
ここにやって来る。
次の瞬間、僕の部屋のドアが蹴破られた。
「――あああっああっ!!」
布団の中で悲鳴を上げる。
ドシン、ドシン。
足音が近づいてきている!
フシュ―フシュ―。
ドア越しに荒い息の、呼吸音まで聞こえてくる。
布団から、目だけ出した。
ドアの一番上部分が、ぐしゃりと握りつぶされるように壊れていた。
巨大なぬべぬべした腕が、視界の横からぬっと現れる。
5本の、するどく大きな爪が目に映る。
これから何を目にするはわかっていた。
自分が最後に見る光景も、リアルに想像できる。
バリバリと、化け物の歯でかみ殺されるんだ。
僕は、ポチと同じく、食われるんだ。
その歯が突き刺さる感触、自分の体が壊される音まで、僕は想像してしまった。
……逃げ……ないと……。
そう思った直後、ベッドがすさまじい勢いでねじれる。
僕は床に放りだされた。
体が動かず、僕は、ただ、固まって見つめるだけだった。
人の尻尾 フィオー @akasawaon
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