9月11日の遅めのおやつの時間

今日は自宅に戻らなくてはいけない。

自宅までは、バスで30分と電車に5分。

そこから徒歩で10分。

比較的楽な移動である。


それでもどうしても体が動こうとしない。


今日は明け方に寝て、パートナーが出勤する際に目覚め、そこから何度寝もして今である。


私の生活は、金曜日にパートナーの家に行き、日曜日もしくは火曜日に自宅へ帰ることで、なんとか外出のリズムを作っている程度。


これが無ければ、私はずっと自宅のベッドで横たわっている。

動かなくてはいけないことは分かっているが、体が重く、背中もバキバキでじんわり痛く、動けないのである。

感覚で言えば、背中が強力な磁石でベッドに引き付けられ、上からは体にフィットした鉛が乗っているような、そんなイメージである。


お腹が空いても体の重さが勝り、食べなくても良いかという思考に至り、いつの間にか寝てしまう。

シャワーなんて言うまでもない。


そのため、自宅に帰ると、次の金曜日まではベッドの上で横になっている生活である。


最近は、この無駄な時間を少しでも有益にしようと、暗号資産がもらえるアプリでゲームをしている日々。


お金がないと生活ができない。

実家といえど、病院代もバカにならない。

でも出来ることは、ベッドの上でスマホを弄ることくらい。

せめてもの時間の資産化である。



時折考えるのだ。

生きていくだけでも、かなりお金がかかる。


鬱になってから休職し、復職と休職を繰り返した末に退職。

転職しては、体調を崩し、ニートになって半年。


寛解する見込みもない。いや、見込みはあるのであろうが、全く先が見えない。

大好きだった読書も映画も音楽も、今は手に取る気力もない。

病院代はかかる一方、収入がないので、貯金とも言えない銀行残高を削る日々。


こんな生活を送るほど、生きてる意味ってあるのだろうか。


何が、健康で文化的な最低限度の生活だ。

精神が不健康であれば、文化的な生活も送れやしない。

最低限度の生活を送れていないのに、そこを救う制度はほぼない。


生活保護で1人で暮らす?

生活保護ほど、生きていく希望が見えない制度はないだろう。

貯金が許されないのであれば、たとえ就活できたとしても、生活保護が貰えなくなった直後の生活はどうするのだろうか。

精神疾患を抱える者にとって生活保護の制度は、とりあえずゾンビのように生かしておく制度であると言っても過言ではないだろう。


その分の財源を、ベーシックインカムに充てる方が、まだ未来への希望を持って、"最低限どの生活"を送れそうである。


と、生きる意味を見失う一方で、国の救済制度に疑問を呈すほど、時間が有り余っている上、脳がネガティブな思考になるように蝕まれているのである。


寝ている市議会議員、国会議員のお給料を分けてほしい。

さすれば生活への不安は少し減り、病気の回復へも前向きになる気がするのである。


今は経済面での不安が大きすぎる。


働いていると体調を崩すが、働いていない方が生きていくことへの不安は大きく、これでは治るものも治らない。


さて、どうしたものか。

やはり消えてなくなってしまう道が、1番楽に思えるのだ。


私も送りたい、「健康で文化的な最低限度の生活」を。





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