9月11日の寝付けなかった明け方に
窓から見える外はまだ真っ暗である午前3:30頃。
義父が起きてくる。
ダイニングの電気を点け、お茶を注ぎ飲んでいる。
寝付けない中、電気を消した部屋の中でスマートフォンを弄っていた私にとっては、鋭く眩しい蛍光灯の白い光だ。
私がいるパートナーの部屋にはクーラーが無い。そのため、ダイニングにある冷房をこの部屋まで運んでいる。
寝ていたパートナーも、部屋にズケズケと差し込んでくる人工の光によって、呻きながら寝返りを打つ。
パートナーが目覚めないよう、彼に注ぐ光を毛布で遮りながら、ふと思う。
ーこの人は、寝ている人が眩しいかもしれないとか考えないのかな。
そして更に続く。
ーそういえば、彼の将来のことよりも、自分の目先の生活を優先するような発言をする人だった。
実は、義父も、精神疾患を持っている仲間である。
最近義父の体調が頗る悪そうであったので、内科に連れていった。
すると親切な内科医曰く、精神科医からの薬が強い上に量が多いとのこと。
そして病歴15年ほどの義父が、発症してから初めて、通っている病院名を彼に教えてくれた。
そこで彼とともにネットで情報収集をする。
するとなんとネガティブな口コミの嵐。
内容は主に2つ。1つは薬漬けにされること。2つ目は誤診。
そこで評判の良いクリニックに、早急に新たな受診が必要な旨を伝え、やっと取れた予約は数日後に迫っている。
そのため、義父の病状どころか、正確な病名すら現在は不確実である。(目に見えない精神疾患の病名に、正確も何もないのかもしれないが。)
また、内科で更に言われたことがある。
なんと認知症が始まっている可能性があると。
もはや何もかもが未知になってきた。
義父とはどのような人物なのか。
どこまでが病気の仕業であるのか。
どこまではコントロールが効くのか。
そして生活を共にする者、半同棲の者は、どのような点に注意して、同じ屋根の下で過ごすべきなのか。
精神的な病気が、他人への気遣いを失わせているのだろうか。
ただ、少なくとも私の知っている鬱と共に生きている方々は、とても思いやりがあり、自分よりも周囲を優先する方々である。
病名が異なると、症状も全く異なるので、一括りに精神疾患や、鬱とまとめてはいけないことは分かっている。
しかしあまりにも勝手すぎやしないか。
これは病気のせいとは言い切れないのでは?とも思えてくる。
いや、待てよ。認知症がそうさせているのかもしれない。
認知症の症状などは詳しくは分からないし、調べてもいない。
まだ認知症ではないという可能性を、彼のために信じたいから。
認知症であれば、施設やヘルパーも視野に入れてはいる。
しかし、そうでない場合には、私のパートナーは義父を養っていくつもりらしい。
彼は海外赴任を希望しているのであるが、そんな彼に対して、海外よりも日本の方が(自分が)住みやすいから海外に行かないでほしい、と平気で言える義父を。
パートナーの幼少期から今までの話も聞いているが、正直父親らしいこと、いや親としての義務を果たしてきたようには思えない。
そして今後も彼に寄生して生きていこうとする義父を、ましてや息子のステップアップの機会を踏み躙ろうとする義父を、このまま養い続けるパートナーは、どれだけの枷を今までも、これからも背負って行かなくてはいけないのか。
そう考えると、パートナーがあまりにも可哀想すぎる。
もちろんこのことは、パートナーにも話したことがある。
パートナーのためにも、彼自身の人生を歩むには、義父を施設で面倒を見てもらうか、1人で年金生活(或いは最悪の場合、生活保護を受給して一人暮らし)をしてもらうかを考えて方が良いのではないかと。
しかし彼は言うのだ。
「客観的に、冷静に考えて、君の言っていることは正しいし、それが出来ればどれだけ自由で楽なのだろうか。ただ、どんなに酷くても、自分を苦しめても、自分のたった1人の父親なのだ。」と。
私は義父とは赤の他人である。
だからこそ冷たい言い方・考え方になるのであるが、私はここであることと結びつき、納得してしまった。
それは、虐待をする親と、される子供の関係だ。
どんなに酷いことをされても、子供は親を愛し、決して見捨てたり見放したりはしない。それどころか、寄り添いさえする。
最近話題の【毒親】とは、こういうことなのだろうか。
つまるところ、精神的な虐待だ。
ただ、大事なことなので、念のため記すが、義父とパートナーとの関係は、そこまで酷いものでは勿論ない。
本当に虐待者と被虐待者の関係にあった場合には、それこそ警察や行政等、考え得る相談先に助けを求めているであろう。
でもそれをしないのは、義父が優しい人間であることや、お茶目で可愛らしいところがあることなど、私自身が身を持って理解しているからである。
しかしながら、これは互いに気付いていない共依存の可能性もあるので、今後も注視しながら、パートナーと話し合っていくべき事案であることは、心に留め、忘れないよう書き記しておこう。
長くなったが、今日、というよりかは、現在の気持ちの整理のための日記はこんなところである。
一つ書き忘れていた。
義父が認知症であることを期待している自分が少なからずいることに気付き、自分自身にショックを受けている。
義父の認知症を初めて疑った時、パートナーと共に近所の公園で泣き合ったほど、辛く悲しい疑いであったにも関わらず、パートナーの人生や、パートナーと共に歩む未来のことを考えると、義父を厄介な存在と考えてしまう。そんな意地の悪い自分が望むのだ。
義父には適切な施設に入居してもらうことを。つまりは、認知症の診断が下されることを。
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