六話 神と妖ついでに人間


 廊下に飛び出せば、急に調理器具達は静かになった。開けた扉が勝手に閉まり、また小さく料理をしている音が聞こえだす。


「迫多」

「……なんだよ」


 いつも通りふわふわ浮いたユイノメタチノカミは、何も変わりがない。


 あんなに意気込んで、結局勝てなかった。こいつは何とも思っていないのか。期待されてない? 負けると思われてた?

 迫多の頭に浮かぶのはそんなことばかり。なんだかやけに癪に障る。嫌な感情が湧き上がる。


「あなた、弱いわねえ」


(しかもこの言い草だ!)


「何を言うかと思えば……またそれか!」


 ユイノメタチノカミが冷たいのは当たり前だ。だってこいつは人間のことなんてわかんないんだから。というか、だから弱いと思ってるのか? とにかくこの言動は仕方ない。そう、自分に言い聞かせる。

 付き合い始めてまだ一日も経っていないが、迫多はだいぶユイノメタチノカミの性質を理解しつつあった。


 とはいえ……どれだけ仕方ないとしても、そういうものだと理解はしていても、同じようにムカつくものはムカつくわけである。


「だって本当のことじゃない」

「だー! そりゃ勝てなかったのは悪かったけど! お前も言えよな。この頭痛いの、お前のせいだろ!」


 そうだ、それに迫多は先程からずっと頭が痛かった。それは想装を身にまとい、戦い始めてから起こった現象だ。この頭痛を、迫多は十中八九ユイノメタチノカミのせいだと睨んでいた。


「ああ、想装の副作用? 慣れたらマシになるわよ」

「やっぱりかよ……!」


 そして予想は見事的中。その上、全く悪びれる態度がないというオマケ付きだ。


 迫多は自分のことを割と我慢強い方だと思っているのだが、それでも正直、ユイノメタチノカミが男だったら普通に手が出ていたことだろう。


「お前、ほんと……ちょっとは人間側に合わせろよな……」


 そろそろ一周回って呆れてくる。

 家庭科室を飛び出して想装が解除されてから少し時間が経った分、頭の痛みはマシになってきたけれど、それでも頭を抱えるしかなかった。


「なぜ?」

「なぜ、って……そりゃ、お前は人間よりは強いかもしれないけどさ。無理矢理言うこと聞かせるだけじゃみんなには信じてもらえないんだぜ。神的に、それって嫌だろ?」


 迫多はユイノメタチノカミの目を見つめ、どうにか伝わるように言葉を選ぶ。これではまるで情緒教育だ。しかしもしかしたら、対応としては大きく外れてもいないのかもしれない。

 長い間眠りについていたユイノメタチノカミは、使命こそ覚えていても、それ以外の常識的な事柄をすっかり失っている。なんなら彼女は眠りに落ちる前の記憶すらおぼろげだ。それらは迫多のあずかり知らぬところではあるが、つまりユイノメタチノカミという神は、コミュニケーションの部分において良いも悪いもわからない幼子と同様なのである。


「……そうなの?」


 だってほら。今も表情こそ変わらないものの、大きな瞳には道に迷って困ったような不安そうな……そんな色を写している。


「そうだよ」


 その揺れる問いを、迫多はキッパリハッキリ、肯定してやった。人間社会は共生だ。それぞれの協力で回っているのだ。


「迫多も?」

「俺はまあ……今のところユイノメタチノカミのことは信じてる。お前、嘘はつかないし」


 思い返しても、聞かれなかったからとこちらから尋ねるまで何も言わなかったり、勝手に言わなくていいだろうと判断してか何も言わなかったり、そんなことは多かったが、嘘をつかれたことはない。


(うん、やっぱそうだな)


 迫多は自身の見解を確かめるかのように、こくりと頷いた。


 純粋なんだかそうじゃないんだか。悪い笑みを浮かべ人との縁を盾に脅してくるユイノメタチノカミと、どことなく肩を落として思考の海を頼りなく彷徨うユイノメタチノカミ。一体、どちらが本当の彼女なのだろう? 

 目の前の、後者のユイノメタチノカミを見ながら、ふとそんなことを思う。でもきっとこんな憶測に意味はない。


(だって俺は、俺から見える面のことしかわかんねえもんな)


 とりあえずそろそろ現実に引き戻してやろう、とユイノメタチノカミに手を伸ばす。


「ユイノメタチノカミ……」


 その瞬間。


「わあぁああぁあぁあ!!!!」


 校舎の外から悲鳴が聞こえてきた。


「……? あら? 悲鳴ねえ」

「っお前は呑気だなあ!」


 こんな夜更けに何があったというのか。検討もつかないが、少なくともかなり切羽詰まった声だったのは確かだ。


「ユイノメタチノカミ!」

「なあに?」

「行こう!」


 返事は聞かず、走り出した。階段を駆け下りて、また裏玄関から外へ。来客用のスリッパは脱ぎ捨て、スニーカーの踵を潰したまま悲鳴の元へと急いだ。

 ちなみにそのスリッパは、後に続くユイノメタチノカミが元の場所にひっそり戻してやった。ついでに鍵も。こういうところは優しい。


「大丈夫か!?」

「あ……ああ……お助け〜……!!」


 そうして辿り着いたのは、迫多がよく使うフェンスの抜け道のすぐ近くだった。校舎から発生した黒い靄が、大きな手のような形をなして、不思議な生き物を掴み引きずり込もうとしている。生き物は、二本の腕と一本の足で必死にその靄に抵抗していた。


「人、じゃない……!? い、いやでもわかった! 助ける!」

「どうするの?」

「想装しかないだろっ」


 迫多はぐっと両手を組んで、いつもの言葉を唱える。


「想装憑拠!」


 もしかしたら、言葉にした方が瞬発力はあるのかもしれない。言霊とかなんて大して信じていないけど、白で埋め尽くされていく視界の中、変身と共に煌めく光の強さで靄が少し吹き飛んだ気がした。


「……! その力は……」

「よし! 今助けるぞ!」

「あっ、へい! 頼みやす!!」


 変身が完了して、迫多はぐっと瞳を凝らす。そして、靄の動きが鈍っている隙をつき、助走をつけて近づくと、丁度手首の辺りを鋏の刃でバツンと断った。校舎からの接続が無くなって、生き物を掴んでいた靄の手のひらは、指の先から空気に解けていく。


「ほら、今のうちに離れなさあい」

「ああ〜かたじけない……!」


 まだ警戒を続けて裁ち鋏を振り回す迫多の代わりに、ユイノメタチノカミがちょいと指先を動かし、生き物を縋稔中学校から引き離した。


「迫多、撤退よお。こっち……山なら少しは私が守れるわあ」

「りょーかい!」


 三人は新たな靄の手が生成されないうちに、スタコラサッサと裏山へ逃げ込む。

 少し行ったところで、誰ともなく足が止まった。


「もう大丈夫……か?」

「そうね。中にはもう戻れないでしょうけど」


 遠目に見える真っ黒な中学校をちらりと一瞥して、迫多は生き物に向き直る。


「……えー、と……」


 靄から解放され、全体像があらわになっても、やはりその姿は不思議な生き物と称するしかない。二頭身、いや、三つ半くらいはあるだろうか。とにかく自分たちと比べると極端に低い背丈をした生き物は、身体はもちろん、顔すらも殆どが獣に負けずとも劣らないもふもふとした毛で覆われている。その上から纏うのは、着崩された古い直垂ひたたれだ。手と足の指は全て四本で、爪は鋭く黒い。


(こ……れは……これが、妖怪……かあ……?)


 そうかもしれない。一本の足で器用に立つ生き物は、迫多に上から下まで眺められ、ひとつきりの瞳をぱちぱちと瞬かせた。


「あっしは何か変ですかねえ?」

「えっ、あ、いや、ちょっと驚いただけ! ごめんな、ジロジロ見て」

「いえいえ。先程は助けていただいてありがとうございました!」

(そんでもってめっちゃ気さくだな!?)


 生き物がにこにこ笑うと、毛の下からこれまた鋭い牙が見え隠れする。話は通じるし、何故かやけにフレンドリーだが、とにかく怒らせないようにしようと思った。


「にしても、先程のあの力……」

「え、想装のこと……だよな? 知ってるのか?」

「ええ勿論! あんたさんは余程腕のいい退魔師なんでしょうなあ」

「退魔師……??」


 おっと、噛み合っているかと思えばそうでもないらしい。謎の存在から謎の単語が出て来てしまった。ピンと来ていない迫多の様子に、向こうもおや? と首を傾げる。


「ユイノメタチノカミさま、彼は何も知らんのですか?」

「……ええまあね。けど、私が迫多に力を貸している。その事実だけで、素質の証明には充分じゃなあい?」

「あっはっは! それもそうですなあ。事実あっしは彼に助けられている」


 二人には面識があったのだろうか。ユイノメタチノカミの、変わらぬ不遜な態度もなんのその。生き物は朗らかに笑う。はてなマークを浮かべる迫多はすっかり置いてけぼりだ。


「ちょ……ま、おい! ちょっと待てもしかして仲良しか!? 俺がついていけてないんだよ!」

「……? ほぼ初対面ね」

「妖怪と神ですからなあ。そうそう関わりはせんでしょう」

「う〜ん……そういうことじゃねえんだな〜……」


 頑張って話に割り込んでみても、ボケしかいない。負担が増えて迫多は項垂れた。あとやっぱりこの生き物は妖怪だったようだ。

 深夜の裏山で助っ人の登場を願っても無駄なので、軌道修正ができるのは自分だけだと迫多は己にひっそりエールを送る。


「ええと……まず……な、なんて呼べばいいんだ?」


 しかし、生き物の名前を知らなかったため、切り出した言葉は初手の初手で詰まってしまった。ああもう、なんにも上手くいかないんだから嫌になる。

 一方生き物は、グーにした片手をもう片方の手のひらにぽんと打ち付け、胸を張った。


「おお、そういえば自己紹介を失念しておりましたな! これは失敬。あっしは妖怪、一本だたらと申しやす!」

「お、俺は綱木迫多。……よろしく! 一本だたら」


 男は度胸だ。迫多は、一本だたらと名乗った生き物へ握手を求め、手を差し出す。一拍置いて、その行為に合点がいったらしい一本だたらは、毛むくじゃらの右手で迫多を傷つけないよう気をつけながら、握手を交わしてくれた。


「ええ! よろしくお願いしやす」

「ウン……えと、で、次。一本だたらとユイノメタチノカミは、顔見知り……なのか?」


 そんなにおかしな質問でもないだろうに、そう尋ねると、二人は顔を見合せる。


「いるのは知ってたけれど……」

「まあ、そんなもんですなあ。こちらとしても村の守り神を知らないなんてことは有り得やせんですが、逆にいやあそれだけでして」


 なるほど。知り合いは知り合いでも、だいぶ微妙なレベルなようだ。だが、それよりも引っかかる単語があった。迫多はつい、それを復唱する。


「村?」

「ああそう、今は町と言うらしいわよ」

「ほう! そりゃあ発展しましたなあ。あっしが知っている頃は――」

「あっ違う! 失言だった。脱線禁止な!?」

「おっと」


 ニュータウンができる前、この辺りに村があったなんて初耳だ。とはいえこれを掘り下げても、また話があらぬ方向へ逸れるばっかりで本題を知れる気がしない。実際今そんな気配がした。迫多は一旦疑問に封をする。


「……あと、正確にはここはニュータウン。町って言ったら町だけど……」


 でも、ニュータウン関連に厳しい幼なじみがいるもので、そこだけは訂正せずにはいられなかった。迫多本人も、何度か町と言って怒られた経験があったりなかったり……ちょっと苦い思い出だ。


「ふうん……まあいいわ、そんなこと。とにかく未だにここは私の守るべき土地なのよ」


 ユイノメタチノカミは何か思案を巡らせているようで、くるりくるりと宙を泳ぐ。そしてその果てに、彼女は一本だたらと迫多を交互に見て、ニヤリ笑った。


「そうだ、一本だたら。貴方も迫多に協力しなさい? 代わりに願いを叶えてあげるわあ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る