五話 丑三つ時こそ堂々と
深夜零時。明かりは豆電球のみの自室で、迫多はベッドの上であぐらをかいていた。その右隣には窓をすり抜け月に向かって腕を伸ばすユイノメタチノカミがいる。
「………………」
一応、こっそり靴は持ってきた。パジャマはいつでも着替えられる。迫多の部屋は二階だが、それでも木をつたえばベランダから抜け出すことが可能だ。つまり、あとは迫多がもう一歩、勇気を出すだけである。
「いつまでそうしてるのよ」
足のみならず、腕まで組んで考え込む迫多へ、ついにユイノメタチノカミが声をかけた。
人間の生活に興味があるのか、綱木家へやって来てからやけに大人しかったユイノメタチノカミだが、さすがに待ちくたびれたらしい。
「そうは言うけどさあ……」
迫多的には明日だって学校があるし、今日は母親に怒られたばっかりなので、大人しく眠るのが当たり前だ。煮え切らない言葉を返せば、ユイノメタチノカミの髪が動き、迫多をつつく。
「あなた、あれがどうでもいいの?」
「そうは言ってない! だろ!」
ただ、迫多の中では少しばかりのワクワク感があるのも事実だった。
八ツ谷怪談は、縋稔中学校でやけに流行っている噂話だ。中にはもちろん、話すだけでは飽き足らず、その真実を知ろう、真相を突き止めよう、と深夜の校舎へ潜入したがる輩もいる。しかし、実際に怪談を確かめた者の話は、とんと聞かない。
それはもしかしたら、その分危険ということかもしれないが……迫多が八ツ谷怪談を初めて生で見た、第一検証者になれるということでもあるのだ。
「うー……」
好奇心と理性を天秤にかけ、悩んでいたら、ふと学習机の上に置いたカメラが目に入る。
今まで迫多は、あれを単なる古いカメラだと思っていた。けれど、あのカメラはユイノメタチノカミを捉え、妖魔の集合体である靄までもを映した。
それを思い返す度、迫多はこの世には自分が知らない摩訶不思議がもっと、想像もつかないほど溢れている気がする。恐れか期待か、今も喉がゴクリと鳴った。
「……行く、か。学校」
「あら、やっと?」
「おう。やっと、な」
未知は怖い。そして同時に、手を伸ばさずにはいられない。
――――――
ワクワクやドキドキを胸に、迫多はユイノメタチノカミと共に外へ繰り出した。チカチカと切れかけた電灯の下を進み、他に誰もいない横断歩道を渡る。
一瞬チラと視界に入った商店街の、軒並み降りたシャッター達がやけに非現実的で、つい笑いが込み上げた。
「ふ、くく……あはは」
「なに笑ってるのよ」
「いや、なんか、とんでもないことしてるな……って」
「ふうん……変な人間ねえ」
これが俗に言う深夜テンションというものなのだろうか。自身を見つめるユイノメタチノカミの変な視線も、今だけは気にならない。
走るスピードを早め、迫多は学校へと急ぐ。
そして、そのうちに姿を現した深夜の中学校は、やはり雰囲気だけはピカイチだった。
「……ついた」
「ついたわねえ」
心做しか、校舎には靄がまとわりついているようにも見える。これは勝手なフィルターか、それとも本当か。
ぼんやりと見上げていれば、不意にユイノメタチノカミが壁をすり抜け中へと消えた。
「っ!? お、おい! 勝手に行くなよ……!」
声を投げかければ、ユイノメタチノカミはまた壁を無視してこちらへ顔を出す。
「ああ。そういえばあなた、人間ね」
「そりゃあそうだろ」
「壁は……」
「抜けれるか! 言っとくけど、お前がおかしいんだからな?」
迫多は、上半身だけ壁から出したユイノメタチノカミの両腕をグイと引っ張った。簡単に引き抜かれたユイノメタチノカミはふわりと浮き上がると、首を傾げる。
「全くもう……いーからついてこい! 裏玄関から入るぞ」
「はいはい、わがままなんだから」
「お前にだけは言われたくねえよそれ……」
ぶつくさと言い合いながら、無人のグラウンドを横切っていく。
「で? どうするのよお。人間って扉には鍵をかけるんでしょう? 開けれるの?」
「まあ見てろって!」
裏玄関に辿り着いたところで、迫多は近くの鉢植えを持ち上げた。これは生徒会が美化活動の一環で育てているものだ。しかし目的は花ではない。
「ここ、ちょっと壊れてきててさ。コツあるんだけど……開くんだよ」
迫多が必要としたのは、鉢植えの下に隠してある、針金であった。細長いそれを調整がてら少しばかり曲げて、裏玄関の鍵穴に差し込む。
カチャカチャと動かしていれば、ふと手応えがあった。同時に、ガチャン! といささか大きな音が鳴る。
「よっし!」
「あらまあ……狡賢いこと」
とうとう扉が開いたのだ。
針金をもう一度しっかり隠して、二人はついに妖魔の巣窟である縋稔中学校に足を踏み入れた。
入って最初に思ったことは、気味が悪い。ただそれだけだ。
「どこもかしこも嫌な感じだな……」
シン、と静まり返った廊下では、小さな呟きもよく響く。外にいる時はそこまででもなかった不気味さが、中へ侵入した途端、倍増していた。
「迫多」
「あ、お、おう。どーした?」
きょろきょろと辺りを見回して、ユイノメタチノカミが迫多の名を呼ぶ。それに一瞬、すわ敵襲かと身構えるも、ユイノメタチノカミはいつも通り。ベタリとした鈍い灰色の瞳を迫多に向けて来た。
「ここから一番近い怪談の場所は?」
「……お前、全然怖くねえのな」
「やだ、何が怖いのよ。脆弱ねえ」
何も変わらぬユイノメタチノカミを見ていると、なんとなく迫多にも自身のペースが戻り始める。
いくら怖がり震えても、この性格の悪い神にからかわれるだけだと考えれば……そんな反応は馬鹿らしく思えた。
「一番近いのは二階の家庭科室だな。なんでも、調理器具が空を飛ぶらしい」
「それはそれは……滑稽ね」
「言うと思った」
「でもまあ、陳腐な作り話なんてそんなものかしら。行くわよお、迫多」
「はいはい。カメラ持ってくりゃあよかったかな……」
迫多のぼやきが暗闇に溶けていく。家庭科室は東階段を上がったすぐの所にあった。
「………………」
家庭科室の出入口に近づけば、中からかすかに物音がする。
「え、マジで動いて……?」
「あなた、信じてなかったの?」
「いやいや、逆にお前は信じてたのかよ?」
「だって、そういう噂なんでしょう?」
コソコソと会話を交わし、迫多はため息をついた。作り話だと自分で言ったくせに、その作り話が本当になることは、ユイノメタチノカミの中では矛盾しないらしい。よくわからない不思議な無垢さがまた発揮されている。
「とりあえず……入るか」
「いいんじゃなあい?」
「えーと、なんだっけ? あの……」
「想装憑拠」
「それそれ。よし、想装憑拠……!」
祈るように目を瞑り、唱える。閉じた瞼の向こう側が淡く光った。もう一度目を開けば、格好はツギハギだらけの和洋折衷な装束に変わっている。それから、気づけば利き手に大きな裁ち鋏も生成されていた。
「2回目にしては安定してるわね。思ってたより筋がいいわあ」
「……そんな素直に褒めることあるんだ、な!」
立ち上がった迫多は、勢いのまま家庭科室の扉を開け放つ。ついでに裁ち鋏を構えたが、特に攻撃が来ることはなかった。
縋稔中学校の家庭科室は、ほぼ調理室だ。実際習うのも、裁縫のような細々したものより料理が多い。いや、隣の準備室にはたしかミシンも何台かあるのだったか。
とはいえそんなことは関係ない。迫多は慎重に部屋の中心へ歩を進める。
静かな家庭科室の中、規則正しく並んだ調理実習台は、ひとつだけ使用された形跡があった。
「っ……!」
ふと、いつでも退路にできるよう、全開にしておいた出入口の扉が閉まる。しかもご丁寧に鍵までかけられたようだ。
金属がぶつかる音があちこちから聞こえてくる。
「わっ!」
そしてついに、食器がひとつ、飛んできた。迫多は慌てて裁ち鋏で弾く。カランと地に落ちたそれはフォークだ。ただのフォーク、だが……向かってくるスピードを思い返すに、想装の一部である特殊な視界がなければこれは綺麗に喉元に突き刺さっていただろう。
「迫多」
「なんだ!?」
「また来るわあ」
「うわっ……! りょ、了解!」
追撃は止まらない。どこに隠れていたのか、山ほどの食器と調理器具、それもご丁寧に鋭利なものばかりが宙に浮かび上がった。
迫多はそれらを避けたり軌道を逸らしたりして、何とか回避する。
「くそ、キリがない……!」
相手が無機物だからか、それとも数が多いからか、隙も中々見つからない。そのくせ空を舞う器具達は的確に迫多を仕留めようとして来るのだから、分が悪い。
「お、らっ!」
埒が明かない! と、両手で思いっきり裁ち鋏を振り回し、迫多は一度無数の敵から距離をとった。背後から狙われないように、壁際にぺったりくっつく。
(……右、左左、正面!)
集中して世界を俯瞰すれば、目も少しずつ慣れてきた。的確にナイフと菜箸をさばき、最後にフライパンを蹴り飛ばす。
どうやら鍋なんかの鈍器になりそうなものも混ざり出したらしい。
「なあ! ユイノメタチノカミ!」
「なに?」
「お前の力でなんか、こう……上手く逃げれないのかよ!?」
瞳を極度に使用しているからか、微かに視界がぐらつき始めた。これではジリ貧だ。それでも逃げれるほどの合間を見つけれない迫多は、大剣のように裁ち鋏を構え直す。
「できるわよお」
「なら早くやってくれよ!?」
「仕方ないわねえ……」
ふと、戦いの一部始終を傍観していたユイノメタチノカミが、パン、と柏手を打つ。すると、飛び回っていた食器達のうち小型のものが一斉に床へ落ちた。
「あなた、負けちゃいそうだし」
それからユイノメタチノカミは、神通力で迫多を無理やり出入口へ押しやった。迫多がぶつかった振動で扉は揺れて、隙間を作る。
「……? ここ、閉まってたんじゃ……」
「これでも頑張ってたのよお? 全く、あなたのようにはいかないわね」
実は、言われる前からユイノメタチノカミはずっと、この閉鎖空間に綻びを作るため暗躍していたのだった。
「家庭科室が芯の噂なら、縄張りはここまで。あちらとこちらの境目はこれ。廊下に出れば追って来れないはずよお」
「……お前」
「いいからさっさと出なさい。のろまねえ、あなた」
「………………」
後ろから迫ってきていた包丁を裁ち鋏で叩き落とし、迫多はもう片方の手で扉をまた、開け放つ。
さすがにユイノメタチノカミに言い返す気も起きず、境界線を飛び越えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます