四話 縋稔中学校八不思議


 縋稔中学校に蔓延る黒い靄。それは例えるなら、ついさっき倒したばかりのあの妖魔によく似ている。中学校の惨状を自覚した途端、この裏山にまで気味の悪いオーラが漂っているような錯覚に襲われた。


「な、なんだよあれ……」


 衝撃で緩まる手にギュッと力を入れて、迫多はカメラを持ち直す。

 あの靄はただそこにあるだけで、妖魔のようにこちらへ敵意を向けているわけでもないのに、本能的な恐怖が止まらない。これが仮にもっと明確に敵対していたら、それを考えると背筋が震えた。


「妖魔の溜まり場のようになっているのよお。力の強いのがいると、雑魚もわらわら集まって、どんどん酷くなるの」

「そんな! なんとかなんねーのか?」

「なんとか? そうねえ……」


 縋稔中学校は、迫多にとっても、この園津が崎ニュータウンにとっても、大切な学び舎だ。迫多はユイノメタチノカミにぐいと詰め寄る。

 ユイノメタチノカミの力で何とかできるなら、もしくは己の助力で何とかなるのなら、どうにか解決したかった。


(だって、あんな……あんな校舎に居られるか!)


 気づいてしまえば意識してしまう。忘れるなんて出来やしない。


 迫多が余程真剣な顔をしていたのか、ユイノメタチノカミはそれを見つめると、からかうことなく口を開いた。


「最近、あそこの雰囲気が悪かったりした?」

「した!」

「中で喧嘩や諍いはあった?」

「あった!」

「あらまあ……思ったよりねえ」


 そして、迫多の軽快な返事を受け、おっとりと頬に手を当てる。呑気な態度だ。

 しかし、イラつくというよりは、一つずつ小さな質問に答えていくのはまるで医者の問診のようで、迫多は贔屓にしている小児科の甘い対応を思い出した。どことなく、緩さが似ている。


(まあ、こいつはそんなにいいやつじゃねーけど……)


 だが、そう。ユイノメタチノカミはいいやつじゃない。少なくとも迫多の基準では違う。

 それでも、中学校の異変を解決できるのは、その手がかりなのはこの目の前のユイノメタチノカミだけなのだから仕方ない。頼る他ないのだ。


 唐突に始まった問いかけも素早くいなした迫多は次を待つ。


「じゃあ、人間が体調を崩してるところは?」


 最後に投げられたその質問を聞いた瞬間、迫多の脳裏には親友のはちろーこと、淀見よどみ伝釟郎でんはちろうの事が浮かんだ。

 ビビりで、真面目で、やけに友情に厚い、迫多の一番の友達。そのくせ学校に来なくなった、仲良しのあいつ。


「体調悪いか……はわかんねえけど、雰囲気悪くなってから来なくなったやつなら、居る」

「ならもう完璧ね」

「……? 完璧って?」


 伝釟郎のことを思い出し、渋い顔の迫多へ、ユイノメタチノカミはなんてことないように言う。


「あの建物は、間違いなく妖魔に毒されてるわ。みーんな、影響されてるからギスギス争っちゃうのよお」

「っ……! だ、だから、それを何とかできねーのかって聞いてるじゃんかよ!」


 けれど、それは迫多にとっては死刑宣告のような重さを持っていた。


 ずっとあのままじゃ、はちろーは学校に来れない。みんなの空気はどんどん悪くなる。迫多自身も、そのうち参ってしまうだろう。


 それは流石に看過できない。中学校を覆う靄を解決することがどれほど大切か、迫多は今までの生活と天秤にかけて、遂にユイノメタチノカミに懇願した。

 手を合わせた分、カメラが重力に従い落ちて、首から下げたストラップが揺れる。


「なあ……頼むよ、頼む! お前、神様なんだろ? それに、妖魔退治は使命だって!」


 参拝でもするような、あまりにも切羽詰まったその態度を、今度のユイノメタチノカミはからかった。


「なんて顔してるのよお、お馬鹿さん。あんなのを放っておくわけ無いでしょう?」


 右側の、少しばかり鋭利に尖った髪の先端を動かして、ユイノメタチノカミは迫多の頬を軽くつつく。すると、ギュッと瞑られた目がゆっくり開いた。


「え……や、やってくれるのか?」


 期待に揺れた声は、これぞ神頼み! といった様相だ。本気なのがよくわかる。これを聞き入れなくて、誰が神を名乗れるだろう?


「そうも言ってないわあ」

「どっちだよ!?」


 とはいえユイノメタチノカミは性格が悪いので、一旦その期待値を落としてやるのだが。


「私はまだ力が弱いの。もちろん手助けはしてあげるけれど……実際に何とかするのはあなたよ、迫多」


 迫多の方へ距離を詰めると、彼女は光の無い目で笑った。それから、迫多の鼻先を指でちょんと押す。


「……俺が、あれを?」


 最初はまた、からかわれているのだと思った。だって、ただの中学生にやらせるにしては無茶苦茶だ。


 しかし、ユイノメタチノカミの声の中には、迫多の可能性、とでも言うのだろうか。あれを迫多が退治し解決できることを信じているかのような、そういう不思議な響きがあったのも確かで……つい、迫多は面食らう。


「嫌ならいいわあ」

「い、嫌とは言ってない!」


 そのくせユイノメタチノカミは二言目にはすぐいつもの調子に戻ってしまっていたものだから、迫多は慌てて左右に首を振った。


「ふふ、そう。じゃあまず、原因を探らないといけないわねえ」

「原因?」

「何かないの? キッカケとか、心当たり」

「うーん……あ!」

「なにか思いついたの?」

「ああ、うん。あるよ、心当たり」


 腕を組み、悩んでいる間に、迫多の頭の中にはたった一つの言葉がハッキリと浮かんだ。


「八ツ屋谷怪談!」


 いつからか、縋稔中学校で流行りだした噂話。八ツ屋谷怪談。


「なあに? それ」

「んー……怖い話? 八個あって、内容はなんか、夜中に骨格標本が動くとか、勝手に校内放送が流れるとか、そういう定番のやつだよ」


 普通と違うのは、その怖い話の数が八つであることだろう。しかも、やけに校内のあちこちで聞く割には、語られる内容が毎回寸分たがわず同じなのだ。

 口伝ほど話が歪み尾ヒレがつくものは無い。なのに、八ツ屋谷怪談は何も変わらない。誰に聞いてもいつも一緒だった。ただの、よくある学校特有の怪談話。


 迫多はあまりそういったことに興味がなかったため、いつも聞き流していたのだが、思い返せば不自然だ。


「へえ。それなら一先ず、その八つの怪談話が溜まり場の核としましょう」

「おう」

「どれも起きるのは夜中なの?」

「まあ……それが鉄板だよな」


 夜中の学校、というのはわかりやすく怖い。これが早朝なんかだったら、一気に雰囲気が崩れてしまう。


(でも、よく考えたら、それもおかしいな……)


 夜中の学校で何かが起きる。そんな、なんの捻りもないただの怪談が、どうしてあそこまで流行るのか? 微々たる不審点が重なり、迫多を悩ませた。


「ふうん……じゃあ早速今日の夜、忍び込むわよ」

「え」


 八ツ屋谷怪談について思考を働かせていると、ユイノメタチノカミが突然そう言い放つ。

 相手の予定を一切考えないその振る舞いは、まあユイノメタチノカミなので仕方ないのだが、今の迫多には懸念があった。


「なあに? 怖いの?」

「いや、怖いっていうか……まあ怖いは怖いけど、もっと怖いのが別にいるんだよな……」

「なによそれ」

「夜中に抜け出すとか、母さんにバレたらぜってえ怒られる……」


 そもそも今でさえ門限破りの真っ最中だ。罪の上塗りなど進んでやりたくないに決まっている。母親という存在は何より強いのだ。


「てか、俺もう流石に帰んなきゃやばい! ごめん、ユイノメタチノカミ! えーと……まあ、頑張ってはみるけど! また明日な!」


 そして、母親の話題を出したことで、迫多はやっと今が何時か思い出した。慌ててカメラの画面の隅に表示された時刻を確認すると、やっぱり普段よりだいぶ遅い。迫多は急いで鞄を引っ掴む。

 学校の一大事はもちろん解決したいが、こんなことを親に説明しても理解してもらえるわけはない。ゆえに、今の迫多の最優先事項は帰宅であった。


「あら……家に帰るの?」

「そうそう! 今日は唐揚げなんだ」


 山を駆け下りながら、ユイノメタチノカミと会話をする。商店街の方へ向かおうとして、やっぱり近道をすることにした。


「いいわねえ」

「だろ? って……え!? は!?」


 そこで、迫多はやっとユイノメタチノカミが自身にぴったりついてきていることに気がついた。


「な、なんでお前、ここにいるんだよ!?」

「誰があそこから離れられないなんて言ったのよ?」

「うわ! 確かにそうだな!?」


 急ブレーキをかけて止まった迫多。彼はどうやらまた一杯食わされたらしい。


「暫く、よろしくね?」

「……頼む、帰ってくれ」

「お断りだわあ」


 企みが成功したことを喜ぶように、ユイノメタチノカミは口の端を釣り上げニンマリ笑った。


「この性悪カミサマめーーー!」


 迫多はこれからの受難を思いながら、夜道をひた走った。

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