二話 触らぬ神に祟りなし


 自身を神だと名乗ったユイノメタチノカミは、たしかに人間ではない。何せぷかぷか浮いているし、足も途中から透けているし、迫多も始めは見えなかった。

 ユイノメタチノカミという名も、もしかして結の目断ちの神、ということなのか? であれば、やはりこのユイノメタチノカミは神なのか?


 迫多はグルグル考えながら、それでもまだ素直に認めてやりたくなくて、胡乱な目でユイノメタチノカミを見た。


「さあ、次はあなたよ。小さな人の子、おかしな人間。なぜ私を呼び起こしたの?」


 しかし、ユイノメタチノカミはそんな視線もなんのその。全てを無視して、上から目線で迫多へ尋ねる。

 なんなら、宙に浮くユイノメタチノカミと話す時、迫多は彼女を見上げなくてはいけないので、物理的にも上から目線だった。


「なんで、って……知らねえよ。気づいたらここにいて、気づいたら写真撮ってた。……逆に、お前が俺を呼んだんじゃないのか?」


 その言葉に嘘はない。実際、迫多は抗いようのない何かに連れられここまでやってきた。そして社の雰囲気に魅入られたかのように、自然とカメラのシャッターを切っていたのだ。


 返答が予想と違ったのか、大きな灰色の瞳を瞬かせたユイノメタチノカミは、嘲笑うように言う。


「私が? あなたみたいなのを?」

「みたい、は余計だろ! ……少なくとも、俺はそう思うよ」

「ふうん……」


 だが、迫多が再度意見を伝えれば、ユイノメタチノカミは意外にもそれで納得したようだ。おもむろに周囲を見回すと、彼女は暫し何かを考え込む。


「たしかに、なんだか景色は様変わりしているし……今の私じゃろくに使命を果たせないから、無意識にあなたを利用しようと思ったのかもしれない? わあ」

「もっと言い方なかったか……?」


 そして、袖口から微かに覗く、なんの傷も汚れもない正に白魚のような手を頬にやり、さもお淑やかですと言わんばかりにおっとりと首を傾げた。

 そのくせユイノメタチノカミの言葉には相変わらずたっぷりの毒が詰まっていて、迫多はそろそろタチの悪いものを起こしてしまったことを悟り始める。


「つーかさ、使命ってなんだよ。マジで神様なのか?」

「やだ! 神だって言ってるでしょうに……私が言ったことひとつも覚えられないの?」

「ちげーって! 覚えてるけど、信じらんねえの! 大抵の人間は神様なんか出会ったことないんだよ!」

「あらそう……今は随分信仰が薄いのねえ」

「まあ、そうだな……俺も初詣とか夏祭りのついでとかでしか神社は行かないし……本気で信じてるのって、あの、なんか巫女服とか凄いの着てる人達くらいじゃないのか?」

「神職の者達程度ってことね……全く罰当たりだこと」


 ユイノメタチノカミは殊勝にため息をついた。基本は傲慢で、意地悪で、言うなれば悪女と呼んでも差し支えないような性格なのに、同時にふとした時やけに素直なものだから、調子を狂わされそうでなんだか困ってしまう。


「いや、だからさ。俺もお前を神様だって信じるには、ちょっとなんかこう、神様らしいとこを見せて欲しいんだよ。あと……使命? それも、俺を呼んだのに関係あるなら知りたいしさ」


 とはいえこのままじゃいつまで経っても話が進まない。カメラのストラップをいじりながら、もう一度本題を切り出す。


「ああ、そうそう。そうだったわあ。というか、最初にも言ったのだけれどね? 不思議なことにご興味は? って」

「っ……! まさかあれ、お前の使命を手伝えって意味なのか!?」

「ええそうよ。私の使命は、悪縁を全て断ち切り、ここを悪しきものから守ること。まあ……そうね、あなたにやってもらうのは、簡単に言えば妖魔退治かしらあ?」

「言葉足らずが過ぎる……!!」


 そして迫多は頭を抱えた。それはもう、盛大に。


(しかもなんだ!? 妖魔退治って……!)


 数刻前まで平凡に生きていたのに、こうして意味のわからない存在から、意味のわからないことの手伝いを要請されるなんて、脳が追いつかなかったのだ。適応力の高さには自信があったはずの迫多だが、さすがに今回ばかりは無理だった。


「言われるより、やった方がきっと良いわねえ?」

「は!? いやいや待て待て! まだ俺やるなんて言ってないぞ……!?」

「さ、着いて来なさあい?」

「うわっ……おいこら! 話を聞けーー!」


 悩んでいるうちに、迫多の身体がふわりと浮いた。それはどうやらユイノメタチノカミがやったようで、迫多は迫多の意志とは関係なく、さっさとどこかへ飛んでいく彼女の後を否が応でも追従させられる。

 じたばたと暴れてみても、効果は一切ない。せめて、と迫多はカメラを大事に抱えた。


 あとついでに、放り投げてそれっきりだった鞄も、花畑を通り過ぎる瞬間に回収する。


「……なあ、どこ行くんだよ」

「ちょうど見つけた妖魔のところよ」

「はあ……じゃあ、妖魔ってなんだ? 妖怪? とは違うのか?」


 これほど勝手だと、段々理不尽にも慣れてくる。空中で鞄とカメラを胸に抱き、丸まるような膝を抱えるような体勢をとった迫多は、ユイノメタチノカミへ質問をなげかけた。


「そんなことも知らないで生きてきたの?」

「そりゃ、そんなこと知らなくたって生きてこれたからな?」

「妖怪は妖怪よ。神には及ばずとも、不思議な力を持っていて、人々の信じる心で生きているわ。妖魔は……人の負の感情の塊、又は神や妖怪の堕ちた先。ってところかしら」

「ちょっと待て? さてはお前、随分なものと俺を戦わせようとしてるな!?」


 ただの人間にはなんとも荷が重いミッションだ。


(ぜってえ無理! 野球の方がまだマシだ!)


 そりゃそうだ。同じ助っ人でも、野球はまだ人間のやることなのだから。

 迫多はどうにか逃げられないものかと思案して、そこでふと思い出した。


(そうだ! こいつは何度も言えば一応聞く! ……多分!)


 ユイノメタチノカミに備わった変な素直さ。もうあれを利用するしか、迫多に残された道はない。


「ユイノメタチノカミ!」

「なあに?」

「俺! やっぱり嫌だ! 帰らせてくれ」

「………………」


 勇気を振り絞る必要もなく、言いたいことをちゃんと言えるタイプの日本人である迫多は、キッパリ意志を表明した。ユイノメタチノカミの歩みが止まる。彼女はなんてことない表情で迫多へ振り返った。


「いやなの?」


 それは、普段のあくどさが抜けた、なんともあどけない少女のような問いかけだった。

 透き通ったその声に、迫多はグッと言葉を詰まらせる。なんたって、迫多はどう足掻いても悪人にはなれないような善良な小市民なので。良心が痛んだのだ。


「い、嫌だ!」


 しかし、ユイノメタチノカミは素直さを存分に発揮した。目論見は成功している。これはあと一押しだと、今度は腕を組み、首をぷいっと横に逸らす動きもプラスして、またしても迫多は拒否の姿勢を見せた。


「………………」


 ユイノメタチノカミの返事はない。ちょっぴり怖くなって、逸らしていた首を正面に戻す。


 するとユイノメタチノカミは、瞳を歪ませにやりと笑った。


「っ!?」

「良いわよ、ええ、良いわあ。そんなに言うなら、あなたと好きな子のえにしを断ってあげる」

「は、はあ!?!?」


 その脅しは、迫多によく刺さった。というか、迫多じゃなくても思春期真っ盛りの中学二年生には、大体よく効くことだろう。


「それでもいいなら帰りなさあい?」

「ぐ、う、うぅ……!!」


 葛藤する迫多を見つめ、ユイノメタチノカミは愉悦に浸る。


 そう、先程ユイノメタチノカミが黙っていたのは、迫多に繋がる無数の縁を覗き見て、その中のどれかを人質にとるためだったのだ。


 素直なんてもんじゃない、多少融通が効こうと、やはり悪女は悪女なのである。しかも神としての権能がある分、ユイノメタチノカミというのは非常に厄介だ。迫多如きが勝てる相手ではない。


「ひ、卑怯者!!」


 そんなわけで、迫多は帰らなかった。帰れなかった、とも言うが……とにかく帰らなかった。叫んだ言葉は、紛れもなく負け犬の遠吠えだった。


「あら! あなたがお間抜けなのよお? 迫多」

「うわっ、え? しかもなんで名前知ってんだよ!」

「神様だからよ。あなた、神である証明を……ってうるさかったから。特別にね?」

「くそーーー!」


 こうして悲しいかな迫多はふわふわ連行される。明るい橙色だった空には次第に紫が入り交じり、時刻はとうとう逢魔が時に差し掛かろうとしていた。

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