ユイノメタチノカミさまの言うとおり
月浦 晶
一話 俺とあいつの縁結び
起立、礼、さようなら。そんな帰りの会の挨拶が終わったか終わらないかのタイミングで、迫多はひとり、二年二組の教室から飛び出した。
片手に通学鞄、もう片手には古いカメラを抱え、一目散に学校を出る。
「あ! おい、迫多ー! 今日もぼっちで写真かよ! 野球部手伝う気ねえー!?」
「ない! 別んやつ誘えー!」
今日の目的地である学校の裏手の小山へ向かうため、迫多が校庭を横切れば、一足先に部活動へ勤しむ隣のクラスの少年が迫多の後ろ姿へ声をかけた。それを迫多は、振り返ることもせず断る。そして、少年が悔しそうに何かを言ったのすら無視をして、裏山へ向けてただただ足を進めた。
迫多のチャームポイントと言えば、コロコロ変わる表情と、活発な印象を受けるその見た目だ。パッチリとした黒目に、控えめながらも明確に跳ねた部分が残る黒い短髪。本人としてはもう少し格好よく、いつでもバッチリ決まっていたいようだが、写真を撮るためにとニュータウン中を冒険する彼には普段の姿が一番自然で良く似合う。
そんなわけで、見た目の予想を裏切らず、元々の素質と趣味が相まって、迫多は学年の中でも上に来るくらいには運動が出来た。だからか、なんとか写真部を作りたい本人の意思とは裏腹に、運動系の部活の助っ人を頼まれることがしょっちゅうだ。今のもそのうちの一つである。
しかし、そろそろ迫多はそれに飽きていた。いくらここが人口の少ないニュータウンだとしても、試合の度に駆り出されるのは勘弁なのだ。
それに、普段は普通に接しているが、迫多は野球部の連中が好きではない。迫多に野球をさせるくせに、自分たちは迫多の趣味に付き合わないからである。あとはまあ……先程言われたとおり、迫多の写真部(仮)は今のところひとりぼっちなので、フルメンバーではないにしても一番人の多い部活である野球部には少しばかり妬みがあった。
(つーか、なんかつまんねえんだよなあ……最近)
迫多が通うのは、園津が峰ニュータウンに唯一存在する中学、
けれど最近は、なぜだか校内の空気が悪い。教師に見つからないうちに裏山へ行きたかったのももちろんあるが、単純に学校にいたくなくて、迫多は今日もつい逃げてしまった。
(はちろーも来ねえしなあ……)
迫多の一番の友達も、いつからか学校を休みがちになった。迫多が見せびらかすアルバムを一緒に覗き込み、迫多の話を真剣に聞いてくれた彼がいないと、迫多もなんだかつまらない。
ただ、迫多は彼が学校へ来ないのは、校内の雰囲気が良くないことで、ニュータウンに引っ越して来る前の中学で辛い目にあったのを思い出してしまうのだろうなと考えている。なので、無理はしないで欲しいと思う分、何も言えなかった。
「お、山道だ」
誰も見ていないことを確認し、校庭の茂みに隠れたフェンスの穴から裏山へ抜けてきてはや数分。やっと、見慣れた山道が迫多の前に現れる。この辺りはニュータウンの中でもまだ手付かずの土地で、いきいきとした自然が素晴らしい撮影スポットだ。
教師達は危険だから入らないように、とよく生徒全体へ言い聞かせているが、怖いもの知らずな中学二年生にはそんなの右から左に決まっていた。
「えーっと、たしかこっちに……」
なんなら、ろくに立ち入らず古びた道すら放ったらかしの大人たちより、迫多はこの山を知っている自信がある。
だから今も当たり前のように山道をスルーして、以前蕾の状態で見かけた珍しい花を探すため、目印も何もない木々の中を進みだす。
途中途中でカメラを構えたり、よくわからない流行りの歌なんかを口ずさみながら迫多が記憶を頼りに歩いていけば、目当ての花は丁度ふわりと綺麗に咲いていた。
「おおー!」
あれから少し期間が空いたからかその花は繁殖したようで、開けた一帯が花畑と化している。ぱあっとそれこそ花がほころぶように表情を変えた迫多は、その花畑へ向けてシャッターを切った。
――――――
そうして、幾ばくかの時が流れる。
陽が傾き、遠くの方では五時を知らせるゆうやけこやけが鳴り出した。すっかり夕暮れ時だ。
迫多もそろそろ帰らねば、母親に夕飯のおかずを減らされてしまう。名残惜しく思いながら、最後にいつものようにカメラの画面をじっと見つめ、迫多は今日撮った写真達を確認する。
「……?」
その時、不意に何か……ぞわりとした寒気が背中を走った。
呼ばれているような、誘われているような。とにかく自分をどこかに連れていこうとする、おかしな感覚が、花畑の奥からひたりひたりと寄ってくる。それは地面を伝って、足元から迫多へ染み入り、自然と彼を突き動かした。
「………………」
混乱したまま、迫多は花畑を突っ切って、今までと何かが違う、鬱蒼とした木々の中へ進む。本能が危険だと訴えているのに、好奇心は止まらない。幼さゆえの全能感が背中を押して、彼はついに一度も踏み入ったことの無い山頂付近へやってきてしまった。
山頂付近は高いだけあって、縋稔中学校やニュータウンの一部を見下ろせた。橙色に染まる世界は美しく、興味を惹かれたが、それにもかまけていられない。
何故なら、その場には何より存在感を放つひとつのものがあったからだ。
「……社?」
そう、社である。迫多の目の前に、古びた小さな社がポツンと放置されていた。それは朽ちかけた鳥居の向こう側で、その見た目とは裏腹に、やけに神秘的に佇んでいる。
ほんの少し近づいても、思い切って数歩離れても、社は変わらず確かで不思議な魅力を湛えて、ただそこにあった。
「………………」
見れば見るほど、意識と地面がふわりと歪む。なのに目は離せない。全てが薄ぼんやりしているのに、社のピントはズレなくて、ここだけクッキリ切り取られたような静寂さが全てを支配する。
だが、この時間が永劫に続くかのように思えたその瞬間。
場の雰囲気と不釣り合いなほど高らかに、そしてやけにハッキリと、シャッター音が響いていた。
それの出処はもちろん迫多の持っていた古いカメラで、当たり前ながら迫多の耳にもシャッター音はよく届く。そこでやっと、迫多は正気を取り戻した。
「っ! な、なんだよ……ここ……」
もう、あのおかしな感覚はしなかった。途端に気味が悪く感じて、迫多は山を降りようと身を翻す。
しかし、カメラの中にはまだ、社を撮った写真がある。それに気づいてしまったので、迫多の足は下山を開始する丁度一歩前でピタリと止まった。
「…………消そう!」
長考の末、迫多は今この場で写真を消す選択をする。背を向けていると怖いので社に向き直り、けれども極力社を見ないように下を見て、迫多はカメラに保存されているはずの最新の一枚を表示させる。
「っえ……」
出てきた写真は、なんてことはなかった。先程の光景が、そのまま全て綺麗に写っていた。
ただ、それだけでもなかった。
古びた社の上に、目を瞑った女が座っていたのだ。
その女はどう考えても迫多が人生で一度も出会ったことの無い、見ず知らずの女である。
中々見ない灰色の長髪は、向かって左側の横髪が細い組紐でまとめられ、向かって右側の横髪は何故か先端が鋭利にとがって尚且つ宙に浮いていた。
暗く渋い色合いでまとめられた、和洋折衷で継ぎ接ぎだらけの格好も、何かのコスプレだと言われた方がしっくり来るほど現実味がない。
そして極めつけと言わんばかりに、ほつれが酷く長さが違う黒い靴下を纏った女の足は、見事に途中から透けていた。
あまりにも信じられなくて、迫多はカメラの画面でなく目の前の社へ視線を向ける。
「うわっ!?」
目の前の現実では、画面の中だけのはずの女が、そっくりそのままそこにいた。また画面を覗けば、女は目を開いている。またまた現実世界を見てやれば、目を開けた女が近づいてきていた。
「な、なっなんだよ! お前!?」
ベッタリ塗られたペンキのような、光の当たっていない刃物のような、鈍い灰色の瞳が二つ。迫多を捉える。女はおもむろに、にんまりと笑った。
「あなた、私が見えるのねえ?」
「わっ、ちょ、おい! 俺の周りをぐるぐる回るなー!」
空を滑るように急接近してきた女は、当たり前のように宙を舞い、くるりくるりと迫多の周囲を飛んだ。それがどこかおちょくられているように感じて、迫多は相手が意味のわからない存在なのも忘れて怒る。
「やだ、怖い怖い。私が見えるならいいのよお。ねえあなた、不思議なことに興味とか。あるかしら?」
「……? 今が人生で一番不思議だけど?」
「まあ! お馬鹿さん! そんなこと聞いてるんじゃないのよ?」
「ぐっ……いちいちなんでそんな言い方するんだよ!? 大体、お前は誰なんだ!」
それから迫多は、ビシッと人差し指を女に向かって突きつけた。人に指をさしてはいけない。とは言うが、相手は人ではなさそうなのでそんなこともあるだろう。
どうポジティブに考えても迫多を下に見ているとしか思えない女は、小振袖にそっくりの形状をした服の袖をはためかせ、わざとらしく驚いて見せた。
「あらやだ、私ったら。人間は自己紹介がないとダメなんだものね?」
(そういうわけではねえけど……)
たしかに馬鹿にするような言い回しに、迫多は心の中だけで突っ込む。これを口に出したら、「なら紹介なんて要らないわね」と言われて終わりそうな気がしたのだ。
実際その予想は概ねあっている。この女は、迫多のような……否、人間全般をからかうのが大好きな性格の悪い存在なので。
「私はユイノメタチノカミ、神様よ」
ユイノメタチノカミ。一度聞いただけでは中々ストンと来ない名前の響きとは反対に、その後に続く言葉は酷く簡単だった。神様、だなんて、なんとわかりやすく超常的な単語だろう。
迫多の猫みたいなまん丸の瞳が、更に丸く見開かれた。数拍の沈黙の間、迫多はユイノメタチノカミの言葉を脳裏で反芻する。そしてとうとう、盛大に声を上げた。
「はあーー!?」
こうして、奇妙な縁がひとつ。結ばれたのだった。
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