父の最後は幸せだった。
餌食。まさにそれとしか言いようのない、蛇のように這い寄る、蜘蛛のように待ち設ける、幼馴染の広山未海の愛。
加里華は清春にとって、笑えない言葉をつい口にしてしまった。
「…みーちゃん、多分私でも許さないですよね?」
柚冬が恐れていることはあった。
(私の願いを叶えた瞬間、みーちゃんに呪われる。呪われたら最後、兄さんとは離れ離れになる。そんな叶わない呪いで、敵わない呪い)
それを恐れていた。
「そりゃあ…そうでしょ…普通にあの人怖いし…抜け道誘ってから塞ぐの大好きだし…ああ、抜け出した〜幸せだ〜ゴール〜ってホッとした時に斧持って横に立ってそうだし」
加里華にとって、未海ことミミ姉は幼少の頃から恐怖の対象だった。
「やめてください! 想像できてちょっと怖いじゃないですか!」
「いや、そんな遠くないし。ちょっとじゃないし。普通に怖いし。ちなみに黒紙にはなんて? 中身わかった?」
「ちょっとしかわからなかったんですけど…多分リペアとパッチ…は修正か変更かわからなかったです。私の予想では網か何かだと」
加里華の言う黒紙は、特別な紙だった。そしてそれはいつもと違い、血が大量に入っていて、柚冬にはわからない術式だった。
(修復、パッチまではわかったけど…複雑過ぎてわからない。みーちゃんにそれとなく聞いても内緒と言われた。みーちゃんには言わなかったけど、兄さんが他にも受け取ってないか確認しておいたけど…バレてる気がします。でもどうやら受け取ってなかったみたいでホッとしました。でもだって一応検閲しとかないと、みーちゃんの愛で兄さんが狂うかもしれないし。多分私の覗きもバレていて、折り込み済みなんでしょうけど…これも修行なんだろうけど。だいたいみーちゃんの愛って重いんですよね。自覚が足らないっていうか…兄さんはあれでも繊細なところがあるから気をつけてもらいたいんですけど…平気としか言わないし…私を信頼してくれるのは嬉しいんですけど…あくまで私のプライオリティは兄さんが1番ですし。まあ血を分けた兄妹という絆は永遠ですし、兄と私から比べたら妻にしろ彼女にしろ泡沫の夢みたいに儚いものですから…)
柚冬も大概重かった。
「うへ〜。そこまでするんだ。極めた人が執着すると怖いし。柚冬…ユユ、覚えておいて。ああいうのをヤンデレって言うんだよ。しかもまだ一度も会いに来てないんだよね? 今までの関係とか一気に蹴散らして蹂躙する気満々だし…」
加里華の話に、柚冬は顔を上げて首を傾げ、困惑を示す。
(うん? みーちゃんは村一番の愛が深い人。それに執着ではなく、あれはただのみーちゃんの呪い。つまり愛なんですが…?)
柚冬はさも当然のように、当たり前の疑問を口にする。
「ただの愛では?」
「…田舎で育ったもんね…柚冬…いえ、ユユ。何回も何回も何度でも言うけど、ミミ姉のは普通じゃないの。あれを基準にしたらダメなの。というかあの村独特の価値観がヤンだしメンだからね? 普通じゃないからね?」
「それだとふるさとがヤンデレ村になりますけど…」
柚冬は心の内で憤慨する。
(あの暖かい愛に包まれた村になんてレッテルを貼るんですか。私達の愛はヤンデレとかメン…ヘラ? とかそういう俗っぽいものじゃありません。愛は勝つ。それがあの村の掟。当然みーちゃんの愛より上回る愛があれば、みーちゃんは潔く身を引き…引き下がりますよね…? なんだか不安になってきました。そもそも器同士だとどうなっちゃうんでしょうか…?)
そうやって考えごとをしている柚冬を見て、加里華は、やっぱりこの子駄目かもと諦め半分でいつものように諭す。
「そだよ? ヤンデレ村だよ? 何言ってんの? だいたいどの家もバッドエンドじゃない」
「? みんな幸せそうな最後でしたよ? ハッピーで幸せなエンドですよ? 何言ってるんですか…」
柚冬は加里華に呆れながら故郷を思い出す。本家のお隣もそのお隣も。みんなみんなご当主は幸せそうな最後だったなーと。
(加里華ちゃんが悪いわけじゃないけど、こういうところが、価値観が違い過ぎて今でも戸惑うんですよね…)
柚冬は加里華の指導の元、兄とは適切な都会の距離をとっていた。ただ、あくまで柚冬の基準であったため、何度も何度も指導を受けていた。
先日、やっと男性機能が治ったと思ったら今度は眼帯をつけていた兄を不憫に思う。
(ああ、なんて可哀想な兄さん……)
柚冬の大好物な兄を、いつもならお世話に邁進するのだが、兄に宿る何かが、ものすごく色香を放ち、誘ってくる。そしてそれに乗ればバッドエンドなのはわかっている。
(スルーされて喜ぶような愛は解釈違いだし…私は嫌ですね。早くあの暴力的な何かを兄さんから追い出さないと…)
「あれが…ハッピーエンド…うへぇ…清兄…今のうちに遊びなよ…」
「兄さんは遊んだりしません。いつも真剣です。もげろ」
柚冬にはわかっていた。兄は多くの女性と恋に落ち、その多くは未海に呪われ別れていたということを。
実際には違うが、そう思っていた。
そして、兄、清春には、母の方針で家のことも父のことも伏せられていた。
それゆえに、清春の身にいま何が起きたのか、知らなかったのだ。
そして同時に思い出す。
(故郷のあの村では男は滅多に生まれない。だからお嫁さんは多くないといけないけど、お母さんがそれを許さなかったんですよね。私のお家は何せ立花。華を断つ立花ですから…だからお母さんは耐え切れず逃げた。父を攫って。ああ、素敵です…)
「…いつももげてんじゃん、ミミ姉のせいで。まあ…あんなフラレ方してたら中学じゃ伝説扱いだよ…ほんと悪魔だよあの人…清兄、大丈夫かな…」
「最後に愛があれば、だいたい大丈夫ですよ? カカちゃん」
だってお父さんはお母さんだけにあんなにもあんなにも愛されて愛されて呪われて。
とてもとても幸せそうな最後でしたから。
柚冬は暖かく生を終えた父の顔を思い出し、うっとりとした笑顔を浮かべた。
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