第15話

「家を出てすぐのことだから、さすがに今から戻ったら遅刻しちゃうよ。ジョギングしながら三十分はかかる距離だし」

「それは自転車通学を検討すべき距離だと思うぞ……」

「……? そうなの?」


 なんでピンと来てないんだよ。この脳筋が。どうりで道場の名前に聞き覚えが無いわけだ。普段から徒歩通学の俺からすれば、その距離はもはや生活圏の外だ。


「……というより一つ聞いていいか。別の人にぶつかるという前科を持ちながら、なんであんなスピードで通行してたんだ。最初の衝突から学びを得ていれば、避けられた事故だったんじゃないか、あれは」

「それは、その、あはは……。はい。すいません。返す言葉もございません……」


 あれでも速度は控えめなつもりだったんだけどなー、と何だか恐ろしいことを呟きつつ、穂夏はしおしおとしょぼくれる。軽い冗談のつもりだったのだが、そこまで落ち込んだ顔をされてしまうと何だか申し訳ない。


「ごめん、ごめん。俺にも責任はあったし、穂夏を責めたいわけじゃなくってさ。それよりいいのか、戻らなくて。大事なハンカチなんだろ?」


 そう問うと、穂夏は俺の目をジッと覗くようにして動きを止めた。


「な、なんだよ……」

「君って意外と優しいんだね。口調はちょっとぶっきらぼうだし、顔も結構無愛想なのに」

「……もしかして今喧嘩売られてる?」

「あはは! そんなんじゃないって! 褒めてるだけ!」


 そうしてしばらくケラケラと笑うと、穂夏は大きく息を吐いて、山の上に見える校舎の方へくるりと振り返った。


「まあ、もうこうなっちゃったら今戻るのも帰りに確認するのも大差ないしね。もしかしたら走ってる途中に落ちちゃったのかもしれないから。下校中によく確認してみることにするよ。遅刻したなんてバレたららパパ……じゃなくて師範に大目玉をくらうし」


 そう言うと、穂夏は両手でパチンと自分の頬を叩き、空手よろしくグッと拳を握って意気込んだ。どうやら彼女にとっての切り替えの合図らしい。


「よし! じゃあ行こっか!」


 穂夏はそのまま、俺の返事も待たずに歩き始めてしまう。……まあ、本人がいいって言うならいいんだけどさ。


「ほら! 翔馬! あんまりぐずぐずしてると本当に遅れちゃうよ!」


 動きだせずにいる俺の方を穂夏は笑って振り返る。その動きに合わせて、彼女のポニーテールが綺麗な三日月型の軌跡を描いた。


 思い出したように、一段と強い桜吹雪が舞う。穂夏の笑顔が太陽と花びらに輝く。


 何かの縁、か。


 穂夏の方へ一歩踏み出しながら、俺はあの和装不審者に心中で静かに感謝した。

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