《Letter Green-2》
けれどその結末は切なく哀しい(1)
————————*
初夏を迎えたロッカジオヴィネ学園の中庭には鮮やかな色彩が溢れている。
赤、白、紫の薔薇の香が柔らかな風に乗って漂い、青々と茂る木々の葉が赤煉瓦の敷かれた並木道に涼しげな陰を落としていた。
一枚の花びらが舞い、まるで誘われるようにエリアーナのたっぷりと豊かな薄紫色の髪の上におちた。
それを見たレオンが手を伸ばすが、
そして意地悪な花びらは、まさに恋の渦中にある男を
「……どうかした?」
伸ばした指先をそのままに動作を止めてしまったレオンを、目をまん丸くしたエリアーナが見上げた。アメジストの綺麗な瞳は、今日もレオンの心をひどく揺さぶる。
「ああ、いや、何でもない」
自分はまたこの美しいものに
無防備な頬に熱がのぼるのがわかる。同時に
———まったく、どうしようもないな、俺は。
「アネットの、事だが」
苦し紛れに本題を切り出した。
すぐ隣を歩くエリアーナの表情は心なしか沈んで見える——その理由は考えずともわかる。先ほどまで一緒にいた学園の問題児、アネット・モローが原因なのは明白であった。
「この時間だ、生徒会長の馬車は正門を出てしまったろう。報告は明日にしよう」
「ええ……そうね。そうしましょう」
肌寒く感じるのは夕刻が近いせい。
傾きかけた太陽はいつの間にか、くすんだレモン色に姿を変えている。
『レオン様が死ぬ理由? そんなの口が裂けたって言えないね。でも安心していいよ、レオン様はこのアタシが救うんだ』
アネットは顔色一つ変えず、むしろ不気味な薄ら笑いさえ浮かべて言い放った。
予言者でもないアネットがそんなふうに言い切る理由を聞き出したかったのだが、そう簡単に物事は運ばないのだった。
「結局のところ、何もわからぬままだな」
彼女から予言じみた『死』を言い渡されたのは、エリアーナも同じだ。
だがアネットの頭の中にエリアーナはいないようで、問いかけに応じないどころか、レオンと並んで訪れたエリアーナにあからさまな敵意の
「『魅惑の乙女』はうかない顔だな。やはりアネットの妄言が気になるのか?」
「レオン、やめて」
「その呼び名、俺はちょと気に入ったから」
「き、気に入ったなんてっ」
「エリーは『学園の貴公子』を魅了する『魅惑の乙女』なんだろう? あながち間違っちゃいない」
アネットいわくレオンは『学園の貴公子』で、エリアーナは『魅惑の乙女』らしい。
「レオンは、違和感を感じないの? 学園の……貴公子だなんて」
「学園の貴公子——悪くない呼び名だ」
「あきれた。あなたはアネットが学園で唯一、気を許している人なのよ。そのあなたがそんなふうだから、アネットはっ」
立ち止まり、ぷぅと頬を膨らませたエリアーナがすっくと見上げてくる。
そんな
レオンの想像も及ばないところで、エリアーナは夫の愛のもとで大人の女性としての覚醒を遂げている。
眼鏡をかけた地味っ子だった頃からじゅうぶん愛らしかったが、レオンが眼鏡と髪留めを取り上げてから——いや、言わば眼鏡から解き放たれた瞳や下ろした髪だけじゃなく——何というか、内面から匂い立つような女の色香をまとい始めたように思えた。
「……はいはい。悪かったよ『魅惑の乙女』ちゃん。アネットの妄言を止められるよう、
「あんまりしつこいと私だって本気で怒るわよ」
「はっ。その顔はもう怒ってるだろう?」
熱い想いをごまかせば、つい揶揄いの言葉が出てしまう。ころころと表情を変える想い人に、動揺を知られまいと
けれどこれ以上たわごとを続ければエリアーナを本当に怒らせてしまうだろう。彼女のほうこそ、不意打ちのように『死ぬ』などと宣言され、不安を抱えているはずなのだから。
「俺と初めて会った時のことを覚えてる?」
「もちろん覚えているわ。登校の初日、学園長先生のお部屋にレオンが呼ばれて、私を教場まで案内してくれたのよね」
「そうか。もう忘れたかと」
「忘れるはずがないわ。不安で押しつぶされそうになってた私をレオンが励ましてくれたんだもの。幻の蝶を見せてくれたわ」
「あの蝶……フレイアを、また見たい?」
「ふふっ、急にそんな事を言うなんて。レオンったら、どうしたの」
歩みを止めたレオンが橙色に染まりかけた空に左手のひらをかざす。
短い詠唱のつぶやきとともに、青い光がエリアーナの周囲を包んだ。
君がひどく不安そうだから。
ふと出かかった言葉をレオンはぐ、と飲み込む。代わりに魔力を集める指先に集中した。
ふわり、ふわり。
空気のキャンバスに浮かび上がる透明な『青』。
水のように透き通ったそれらは次第に蝶々の翅を形取り、夕陽を浴びて煌めく無数の蝶となる。
「……なんて綺麗なの」
あるものは空に昇って消え、あるものはエリアーナの肩に、腕に
思わず手を伸ばし、身の回りに飛び交う愛らしい蝶たちにふれようとする。だがそれらには実態がなく、エリアーナの手のひらをすり抜けてしまう。
「こんなにリアルにその姿を感じられるのに。彼らはもう、この世にはいないのね」
「百年も前に絶滅してしまったからな」
「フレイアは、嵐の夜にだけ羽化ができる。雷光の力を借りて……そうでしょう?」
「逆に彼らは雷光がなければ羽化できない。もともと希少種だったうえに、世界的に日照りが続いた異常気象のせいで、その種を絶やしたと言われている」
——————可愛いわね。
光のようにかがやく微笑みを浮かべながら——時々ふふ、と小さな声を漏らして、エリアーナは幻の蝶フレイアと戯れる。
レオンの遠い目には、
「そう。あの日もレオンは誰もいない廊下で、こんなふうにフレイアを見せてくれたの」
——————そう。
あの日は暗く沈みきった編入生の気分を晴らそうと……ただ、それだけのつもりだった。なのに俺は、君を——。
《続・2》
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