束の間の幸せ(2)



「ちっ、違います、お医者様に、しっ、嫉妬だなんて、そんな……っ」

「アルマに見せなくても、エリーが今してくれただろう? これでもう十分、治ったよ」


 ふわぁと花のような笑顔を開き、エリアーナは心底ほっとした顔を見せる。それでなくてもはち切れそうな愛おしさが、アレクシスの理性を耐え難いほどに揺さぶっていた。


「……ほんとうに可愛いな、俺の奥方は。まだ昼間だが、エリーを食べたくなった」


 針を刺した方の手がエリアーナの肩を押し、もう片方の手がエリアーナの後頭部を包む。そのまま押し倒されれば、膝の上のタッセルがスカートの上を滑り、床に落ちた。


「あのっ……こんなところで……?! もしも人が来たらっ」


 メイン廊下に面した客間の扉は大きく開いている。

 

「べつに見られても構わない、むしろ誰かに見られた方が好都合だ。俺は情婦しか愛さぬと、皆に誤解されているだろうから」


 たくましい腕がするりと太腿を滑ると、ドレスの下から覗くシュミーズがめくれて白い肌が剥き出しになった。


「でもっ、人に見られたら、は……はずかしいです」

「ならばこのまま、エリーを抱えて寝台まで行こうか? エントランスの階段を上がって、回廊を歩いて」


「それも恥ずかしいですっっ」


 すがめられた瞳が悪戯に笑う。

 昼間の回廊には使用人たちがせわしなく行き来している。アレクシスがエリアーナの動揺を面白がっているのは明白だ。


「キスしてもいい?」


 ふっ、と熱い吐息とともに耳朶に囁かれ、唇と唇が静かに重なれば、ついばむようなくちづけが続く。

 何日もかけてアレクシスにゆっくりとほどかれた身体は正直で、唇をそっと喰まれただけでエリアーナの腹の奥がきゅ、と縮まった。

 

 鼻で必死に小さな呼吸を繰り返していると、突然に花弁のような唇がむさぼられ、押し開かれたわずかな歯の隙間から肉厚な舌が滑り込み、エリアーナの口の中を満たす。


「………んぅ………」


 深いくちづけはとても幸せだけれど、まだ慣れない。息がうまく吸えなくて、苦しくて、小さな声が漏れた。

 その声さえも愛おしいと言わんばかりに、漏れた吐息ごと食べられてしまう。


 白昼の客間だ。

 アレクシスとて、本気で抱く気は無いのだろう。

 夜の寝台で見せる甘美な雄の色香はなりをひそめ、薄らと開いた薄いブルーの両眼からは、エリアーナの反応を愉しむかのように涼やかな眼差しを覗かせている。


「エリーの可愛い啼き声を、俺以外の誰にも聞かせたくない」


 たっぷりとキスの雨を落として気が済んだのだろうか。アレクシスはくつりと微笑い、互いの額と額をこつんと合わせた。


「それに俺は謝罪中の身だ。エリーが嫌がることはしないよ」


 ちゅ、と額に優しいキスを落とすと、ぽんぽんくしゃっとエリアーナの頭を撫でて、悪戯な手のひらが去っていく。


 困っていたはずなのに、このまま離れてしまうのは少しだけ寂しいような。

 それでもようやく解放された身体を起こしながら、開け放たれた扉に目をやり、ほ……と胸を撫で下ろした。

 王族の情事であれば当然のように見聞者がそばに置かれるというが……そんなのは平気でいられるはずがない。人に見られるなんて絶対に恥ずかしい!


 長椅子を起き上がってからも、アレクシスはエリアーナの華奢な肩を抱き、胸の中に包むようにして放してくれないのだった。


「魔術学園だが、母上に命じられてしぶしぶ通っているのなら、やめていいんだぞ? 母上なら説得する。俺の妻の事でこれ以上口を出すなと」


「有難うございます。でも私が学園をやめてしまったら、大切なお友達のアンがまた一人きりになってしまいます。

 それに学園は今、ある編入生のことで問題を抱えていて……私は同じ編入生として、彼女の対応を生徒会から頼まれているのです」


「生徒会、か」


 生徒会の面々にはレオンも含まれる。キスの一件以来、アレクシスがレオンを敵視しているのも知っている。


「旦那様を心配させてしまうようなことは、もう絶対にしませんから……っ」


は不可抗力だったのだろう? エリーのせいじゃない。だがあのレオンという男には何か不穏なものを感じる。奴には近付くな……もしもエリーに何かあれば、俺は自分をどう責めればいい?」


 アレクシスはエリアーナの後頭部を手のひらで包み、灰紫色の艶やかな髪に鼻を埋めた。

 エリアーナが望めばすぐにでも学園を退学させただろう。レオンは反王制組織と絡む危険人物だと断言したかったが、まだその確証がない。


 ——あれほど旦那様を心配させてしまったのだもの、そんなふうに仰るのはもっともよ。レオンと関わるのは、週明けにアネットに事情を聞くまで、それまでだから……っ。



『すごく嫌な予感がするよ……ねぇ、気を付けて……エリー……!』



 アレクシスの力強い腕に包まれながらも。

 生徒会室で守護妖精のルルが放った一言がやけに生々しく、エリアーナの胸を何度も打ち付けていた。





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