《Letter Green-1》

残酷な未来


 ————————*



「エリー? エリーってば!」


 耳元で呼ばれようやく気付いた。

 は、と顔を上げると、仁王立ちをした赤毛の友人が怪訝な表情かおで見下ろしている。


「ちょっと、どうしちゃったの? 最近なんか変よ。心ここにあらずって感じだし、妖精のお花畑にでも迷いこんじゃった?」


「アン……いやだ、私ったらぼうっとして」


 アレクシスは昨夜もエリアーナの寝室で眠った。

 そしてきっと今夜も——熱い吐息とともに愛をささやきながら、遠慮がちにエリアーナにふれるのだろう。

 これまでの冷徹な態度を思えばすっかり別人になったようで戸惑ってしまうが、突然にあふれだしたアレクシスの愛情に心からの幸せを感じている事も否めない。


「ねぇ、頬が真っ赤よ? 熱でもあるんじゃない」

「ちがうの…… ちょっと、色々、あって」


 ——はずかしくてアンには言えないけれど、私が旦那様になのは本当。


 アレクシスはその言葉通りにエリアーナを気遣い、まるで宝物の宝石を愛でるようにふれる。少しずつ溶かされていく自分を恥じらえば、アレクシスへの想いがあふれて胸がきゅんと切なくなった。


「だいたい想像はつくわよ。お屋敷の改装とか使用人の労働環境改善とか、エリーも色々あって大変なんでしょ? でもそろそろ様子を見に行かなきゃ、あのがまた何をしでかしてるか!」


「そ、そうだったわね。ちょっと待って……っ」


 机の上を手早く片付け、教場の移動があるため、午後の授業に備えて魔法書を革製の四角い鞄に入れる。


 鞄の奥に忍ばせているうさぎの縫いぐるみが目に止まったが、手のひらサイズのもふもふはぴくりとも動かないのだった。

 ルルが来なくなくなってから数日がゆうに過ぎており、こんなに長く不在が続いたのは初めてで心配になってしまう。


 ——妖精の里で無事でいてくれるなら良いのだけれど、私には、それを確かめるすべがない。


 昼休みはアンと共に編入生のアネットと食事を摂ることになっていた。

 不本意だけれど、かの生徒会長の頼みとなれば無碍にはできない。


「ちょっとあの子ったら、今度は何やってるの……!?」


 ダイニングホールに一歩踏み入れば、彼女が纏う異様な空気感を嫌でも感じ取ってしまうほど、アネット・モローは異質であった。


「『キューピットの矢』はあんたが持ってるんだろう?!」

「何なんだよ、知らねえよそんなもん」

「調べはついてるんだ、さっさと出しな!」

「だから……知らねえって!」

「あんたいったい、どんだけあたしの邪魔をするつもり?!」

「は、俺ら初対面だしッ」


 男子生徒をしつこく問い詰めるアネットに、ダイニングホールはもはや騒然となっている。エリアーナは片ほうの手のひらで顔を覆ってうなだれるアンの肩を叩いた。


「彼女めちゃくちゃ目立ってる?! やだやだ……あのなか、入っていきたくなーい……!」

「私も同じよ、アン。でもっ、私たちが止めなきゃ」


 嫌がるアンの腕を引っ張り、群がる野次馬たちの合間をぬってアネットの元へと急ぐ。エリアーナの姿を認めると、アネットはあからさまな敵意をたっぷり含ませた眼差しを向けた。


「出たな、エリー・ロワイエ……魅惑の乙女、最強の……敵ッッ!」


 がるる、と今にも噛みつきそうなアネットを、アンが必死でホールの端っこまで引っ張っていく。エリアーナは絡まれていた男子生徒に丁重に頭を下げたあと、アンのもとに急いだ。


 野次馬たちがばらばらと散っていくなか、眼鏡をかけず艶やかな長い髪を下ろしたエリアーナは、居合わせた男子生徒たちを別の理由で騒がせていたことを知らない。


「おい、あんな綺麗な子、この学園にいたっけ?」

「赤毛のアン・レオノールといつも一緒にいる子じゃないのか」

「うそだろ……あの地味な落ちこぼれの編入生?!」


 窓際の四人席にどうにかアネットを座らせると、エリアーナとアンもその隣と正面の席に着いた。アネットの敵意がおさまる様子はなく、ルビーレッドの瞳が剣呑に揺れている。


「ねぇ、アネット。どういう事なのか、私たちふたりに教えてくれないかしら。キューピットの矢って、いったい何なの?」

「それにエリーが最強の敵だなんて……いくら何でも言いがかりが過ぎるわ」


 アネットがくい、と顎をしゃくる。

 エリアーナとアンが顔を見合わせると、


「ったく、わかんないの、ここは食堂だろう?! 先ずはあたしに食事を提供する。人にモノを頼む時は相応の対価が必要だってこと。だいたい、あんたたちがあたしをこの胡散臭い魔力の溜まり場に呼び出したんだろう!?」


 聞いたこともない横柄な言葉遣いと傲慢な態度にほとほと呆れながらも、ダイニングホール併設の厨房で調理されたばかりの三つのメニューの中から鶏肉メインのプレートを選んで据え置けば、チッ、と舌打ちが飛んだ。


「そういやだ、メイン料理を指定すべきだった? ……言ったってもう遅いか」


 ごちゃごちゃと一人問答を繰り返すのは、どうやらアネットの癖らしい。


「アネット……。あなたがどうしていつもそんなにイライラしているのか、知りたいの。私たちが生徒会長からあなたのお世話係を頼まれたのは、知っているでしょう?」


「は、あたしがいつイラついてたって? 何言ってんのこのひとたち」

「何か、思うことがあるなら教えて欲しいの。あなたの事を良く知りたいのよ」


 アネットがオニオンレモンソースのたっぷりかかった若鶏のソテーにかぶりついた。咀嚼しながらくちゃくちゃ音を立てるので、エリアーナとアンは意図せず顔をしかめてしまう。


「あんたたち、バカなの? 魅惑の乙女にあたしがそう簡単に気を許すと思う?」

「だから、その魅惑の乙女って……なんのこと?」


「学園の貴公子を魅了しただろう! そのせいで彼は……命を落とす」


 アネットが言う『学園の貴公子』とはレオンのことであろう。


「ちょと待って、命を落とすって……っ、言っている事の意味が」

「アネット、あなたまさか、未来予知能力の保持者……?!」


 アンが卓上ごしに詰め寄るが、アネットは涼しい顔をしている。


「未来予知……フンっ、どうとでも言えば? とにかくあたしはそれを阻止しなきゃなんない。アイテムを集めてな!」


 言っている事はやはりよくわからない。だがもしもアネットが本当に未来予知能力者なら、レオンは——。


 フォークに突き刺した鶏肉を喰いちぎり、くちゃくちゃと音を立てながら黒髪の美少女は造作もなく言い放つ。


「そうだ、エリー・ロワイエ。あんたももうすぐ死ぬよ?」




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