発現の条件


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 王城の回廊を歩いていると、生ぬるい風に頬をなぶられた。

 国王からの呼び出しはいつでも突然であって、その理由はアレクシスの頭を悩ませるものばかりだ。


 魔術学園の学友だった頃から、王太子であった現国王は同年のアレクシスを事あるごとに頼った。


 周囲からの強い推薦を得て王宮の騎士にと望まれ、十六歳で受剣式典を終える頃には武術・体術ともに他を抜きん出ており、王城の剣豪をもうならせた。

 水と氷を扱う魔力と魔術は人並みであったものの、十歳になる頃には大人も音を上げるほど難解な数式を易々と解き、聖職者であっても読解に数年はかかる経典をわずか半年で完璧にそらんじる神童でもあった。


 『国の宝』と称される異能を持つアビス一族の娘との婚約が決まった時は、誰もがジークベルト侯爵家の揺るぎない繁栄を確信したものだ。


 そんなアレクシスが、かつて級友だった為政者に頼られるのは無理もない——それが本人の意向を完全に無視した形であったとしても。


『まぁそんな顔をするな。君に任せておけば何事ものだ。』


 アレクシスのしかめ面を見るたび、現国王ユベールは鷹揚に笑ってはぐらかす。おそらく、今日、この時も。


 アレクシスは形の良い眉をひそめたが、目を閉じて一度ふかく呼吸をし、国王の執務室の扉を叩いた。


「おお、やっと来たか! ジークベルトッ」


 執務机にどかりと座るユベールが秀麗な面輪に満面の笑顔を見せた。

 アレクシスと同じく執務室に集められた他の数名はすでに入室しており、執務机の脇に立つ者、長椅子に座る者とおのおの好きな形を取っている。


「遅れて申し訳ありません、陛下」

 アレクシスがそう言って礼を取れば、


「いや、かまわぬ。省庁の古参どもが優秀な君を離さなかったのだろう? 事情はよく知っているさ。これで役者が揃った、会議を始めよう! 知っての通りこの面々に於いては無礼講だ。報告は然り、言いたい事があったら何でも遠慮せずに言えよ?」


 ユベールの有能な部下であると同時に、幼年の頃より王城で切磋琢磨しながら共に年を重ねた五名の青年たちが集うなか、明るい声をこぼすのは呑気な国王のみである。


「それで……ジークベルト、進捗を聞かせてくれ。レオン・ナイトレイについて、王弟陛下は何と?」


 長剣を備えた騎士服に身を包み、長椅子に腕を組んで座りながら長い足を持て余している近衛騎士団長のアイザックが仏頂面で言う。腰まである黒髪を後ろに束ね、エメラルドの瞳をぎらつかせる。

 アイザックとアレクシスの他三名はそれぞれ異なる役職に就きながらも、国王ユベールの政務を陰、日向となって支える若き精鋭たちである。


「真面目な一生徒で、特に怪しい点は見受けられないと。今後は彼の周辺にも探りを入れてみるつもりです」


 レオンがエリアーナにした事を思えば腹わたが煮えるようだが、顔には出さずにぐっと堪える。兎にも角にも、今すべきは奴の行動を暴いて尻尾を掴むことだ。


「そういえばジークベルト。君の奥方の活躍で明るみになった衣装屋のアジトの奥部屋だが、我らが踏み込んだ時にはの殻でな。口封じだろうが衣装屋の店員は全員殺害されていた」


「何だと……!?」

「おかしいと思うだろう、事が早すぎるのだ。こちらの動向が奴らに漏れているとしか思えん」


「内通者がいる、ということか」

「残念だがそう考えるのが自然だろうな」


 方々ほうぼうから声が飛んでくる。

 執務机に頬杖をついたユベールは、部下たちの話に熱心に耳を傾けていたが、


「表面上はへいこらと頭を下げておきながら、心根で私に虚言を吐く愚か者が、この王城内に……それも君らの動向が知れるほど身近に居るというのだな」


 つい先程まで纏っていた陽気を一瞬で消し去ると、ユベールは凍てつく氷のように冷徹な視線を周囲に投げつけた。


「疑うわけではないが……念の為に言わせてもらう。君らはこの私を裏切ったりしないよな?」


 執務机の脇に立っていた青年がその気迫と威圧に押され、ごくりと生唾を飲む。

 普段は青空のごとくすがすがしい笑顔を絶やさぬも、彼の正義をくじく者に微塵の容赦はない。ユベールがそういう男であるのを皆が知っており、若き国王として敬うと同時におそれてもいるのだ。


「なぁ、ジークベルト。君の奥方のはどうなっている? これはいよいよ、この私にも『王の』が必要な事案だと思うのだがな」


 獲物を射止めるように強烈な炎の灯った眼差しに、アレクシスは思わず息を詰めた。

 ぞわりと寒気が背の中心を撫であげる。

 国王の近辺に反王政組織との内通者がいるとなれば、ユベールの口からエリアーナの名が出るのは時間の問題だと悟っていた。


「いいえ、妻は異能を発現しておりません。おそらくこの先も『王の眼』の発現は期待できないかと」


「発現せぬと何故わかる? 聞けば君は情婦とともに離れ屋敷に暮らし、奥方には目もくれぬというじゃないか。君ほどのな男が、何故なんだ? 私の妃がこぼしていたぞ。君の奥方はただの一度も王城の社交に顔を見せた事もない『箱入り妻』だとな」


「畏れながら陛下。私ども夫婦の事情はこの案件に関係のない事。お控えいただきたく存じます」

「おやおや、果たしてそうかな。そもそも真面目で誠実な君が愛人を囲って奥方をないがしろにするなど、ありえんだろう……! なぁ、シャヌイ、君もそう思わんか?」


 シャニュイ、と呼ばれた青年はびくりと姿勢を正す。

 燃えるような朱赤の髪に金色の瞳——そう、カイン・シャニュイは、アレクシスと同じ特異魔法省の執務官であり、アレクシスの親友である。


「ああ、いや……私は何も」


 突然に返答を振られたカインは両手をひらひらさせ、困ったような顔をしてアレクシスをちらと見遣った。


「ジークベルトが故意に奥方を遠ざけているのと、王の眼の異能の発現には何らかの関わりがあるのではと私は踏んでいる。と言うのも……『王の眼』発現の条件と思われる有力な情報を得たのだ。それはあくまでも情報の領域を出ない。だが——」


 ユベールの青い眼差しが鋭さを増し、アレクシスを睨め付け追い詰める。なのに口元には薄らと笑みを湛えている。信頼する部下の忠誠心を試しているのだ。


「君が知る事実があるとすれば、正直に話せ。我が国のため、国王のため……そして君の、アビス一族の血を引く奥方のためにも、な」


 ぴんと張り詰めた空気のなかで、固唾を飲んで見守る周囲の者たちの視線が一様に注がれている。

 ひやりと冷たいものが背筋を滴った。


 ——国王がエリーに会いたいと言い出すのは時間の問題だ。

 恐らく国王は異能発現の条件を掴んでいる。ともすれば何故エリーを遠ざけ、異能の発現を阻止するのかと問われるだろう。

 俺は……一体、どこまで誤魔化せるだろうか。


「陛下がどんな情報を得たのかは存知ませんが。妻は……エリアーナは、異能を発現していない。私が申し上げられるのはそれだけです」


 執務机の正面に堂々と立つアレクシスはユベールの目をしっかりと見据え、揺るぎない言葉を放つのだった。





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