偽りの愛に溶かされて(4)


「そうだな……酷い夫だ」


 エリアーナの背中にあてがわれたアレクシスの片腕に力がこもる。もう片方の手のひらで後頭部を包み、エリアーナの額に自分のそれをくっつけた。


「すまない。エリーを突き放した理由だが……今すぐには話せない『事情』があってね」


 ——エリーを彼女の母親のような目には遭わせない、絶対に。


「私が無能だから……異能が、ないから?」


 不安そうな瞳を見つめながらアレクシスは優しく微笑み、緩やかに首を振る。


「エリーは無能なんかじゃない。このあいだの視察でも、奴らの情報を引き出してくれただろう?」


「あれは、たまたまあの鳥さんがいたからで……。『王の眼』として国王陛下とジークベルトの家門に貢献することに比べれば、あんなこと……っ」

「エリー、聞いて? 『王の眼』のことなど気にしなくていい。そんなものがあってもなくても、俺はエリーが大事だ……!」


 額をはなすと腕の力を緩め、今度はそっと抱きしめる。体温の高いアレクシスの腕の中は熱いほどだ。


「俺の中に今まで知らなかった自分がいる。どうやら俺はひどく嫉妬深い男のようだ。

 エリーが他の男と親密に話しているのを見て気付いた。認めるよ……情けないが、俺はレオンに嫉妬した。

 偽りだったとはいえ酷い事を言った。あの男への嫉妬心と苛立ちを、あろうことかエリーにぶつけてしまった……異能を確かめるなんていう身勝手な名目とともに。怖い想いをさせて、本当にすまなかったな……大事なエリーを傷つけてしまって、すまなかった」


「……旦那さま?」


 頭の上から降ってくる雨のような感情。声色は穏やかだが——エリアーナへの愛を必死で訴えようとするアレクシスの身体と両腕が、かすかに震えている。


「今はとても許してもらえぬだろうが。この先の生涯をかけて、俺は君に我が身の愚行の赦しを乞い続けるよ」


 視界がぐるりと回って、凛々しい腕に再び組み敷かれる。先ほどの恐怖心が蘇り、ごくんと生唾を飲みこんだ。


「エリーと眠りたい。だが……嫌なら言って? もう二度とあんな無理強いはしたくない」


 真摯な青灰色の瞳が今にも泣き出しそうに揺れている。


「私はあなたの妻ですから……拒む理由などありません。でも……乱暴なのと怖いのは、嫌です……っ」

「ああ、勿論。怖がらせる事などもう二度とにしない、嫌がるような事もしない……約束だ」


 大きな両手に頬が包まれると身体が強張った。

 怖くないと言えばそれは嘘だ。いくら嫌がることをしないと言われても、怖いものは怖い。


 それでもすっかり気を落としたアレクシスをなだめるように精一杯の笑顔を向けると、目頭から熱いものがこぼれ落ちた——先に泣き出したのはエリアーナのほう。


「………………はぃ」


 こくりと小さくうなづけば、アレクシスの形の良い眉が下がり、秀麗な面輪に嬉しそうな笑みが灯った。


 砂糖菓子を喰むように優しくあまいくちづけが何度も重なる。

 長い指先で壊れ物を扱うように丁寧にふれられると、腹の奥がきゅ、と切なく疼く。

 

 なのにもっとふれてほしいと思うのは、ふしだらなのだろうか。

 エリアーナの緊張をいたわり、まるで許しを乞うように唇が喰まれる。唾液をすべてからめとられそうなほど丁寧なくちづけに翻弄されて、舌先がしびれた。


 先ほど強引に身体に刻まれたものが、優しい指先に上書きされていく——。


「愛しているよ、エリアーナ」


 心地よく紡がれる良い声に、繊細な指先に。身も心もとろとろにとろけてしまうのは——飲みすぎてしまったワインのせい? それとも。


「旦那様……私も、あなたを——」

 

 薔薇色の唇から小さく漏れた言葉は、アレクシスの耳に届くまでもなく。

 互いの熱い吐息のなかにすっかりとけてしまった。




 *




 エリアーナの異能の発現を阻止しようとしたアレクシスのみならず、エリアーナに想いを寄せるレオン・ナイトレイもまた、彼の出自に翻弄される者の一人であった。


 彼は今まさに、その瀬戸際にある。


「———クソっ、やはりそうか」


 宵闇のなか、とある施設に潜入したレオンは信じがたい光景を目のあたりにしていた。息を殺し、物陰から内部の様子を伺いながら精悍な眉を吊り上げる。


 目を背けたくなるほどに残酷な事実を凝視すれば、失望のあまり喉元から吐き気が込み上げた。

 

と繋がっていたのは、だったのか」




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