誤解です、旦那様…!(2)
「……エリアーナ」
背高く凛々しい体躯が大きな影となって見下ろしている。
周囲は木々に覆われていて薄暗く、エリアーナは相手の表情を読み取ろうと目を凝らした。
「旦那、様………?」
黒々とした影のなかで、アレクシスの瞳は見た事もないほど剣呑な光を宿していた。
「あれはいったい、どういう事だ」
——やっぱり怒ってる……私が、学園に通っていた……こと。
「ぁ……の……っ」
何か言わなければと思うのに、喉の奥がぐ、と詰まってしまう。
「レオン・ナイトレイとはどういう関係だ……! 一体いつから……ッ」
アレクシスの声色には、怒りの中にも押さえのきかぬもどかしさと悲しみが潜む。エリアーナと目を合わせる事さえ辛いと言わんばかりに視線を逸らせると、
「私の妻に馴れ馴れしくふれたばかりか、あろうことか……妻に、エリアーナに……ッ」
——レオンの抱擁をエリーが受け入れるのを見た。
異能を発現させたのか……?
奴に『愛され』、奴を『愛する』ことで——。
『まさかとは思うが、俺の預かり知らぬところでエリアーナの異能……「王の
どういった経緯で入学に至ったのかはわからぬが、異能が発現したならば学園の生徒として問題なく、辻褄もあう。
レオンがエリアーナの額に口づけるのを見た時、二人の間に分け入ってレオンをぶん殴りたい衝動に駆られた。
だがアレクシスはその衝動を毒を飲む思いで抑え込んだ。
あの場で飛び出してしまえばレオンの動向を探るという任務を放棄する事になる。どんなに口惜しくとも私情より己の責務を優先させるしかなかった。
「レオンを、愛して……いるのか?」
「ぇ…………?」
再び視線を合わせれば、アレクシスの失望と悲しみとが入り混じった声が耳朶を打つ。
——レオンといるところを、旦那様に見られていた……!?
「愛しているだなんて、どうしてそんなっ……誤解です、レオンはただのお友達で……」
「友達が軽々しく口づけるのを、君は許すと言うのか?」
「それはっ」
ぞわりと悪寒が走る、やはり書庫室での出来事を見られていたのだ。
アレクシスの瞳があまりにも哀しく揺れるものだから——エリアーナは返す言葉を見失ってしまう。
不本意でもなんでもレオンにキスされてしまったのは事実だ。
「……君は、俺の妻だ」
繊細な指先がエリアーナの顎を持ち上げる。
アレクシスの秀麗な面輪が大写しになり、わずかに開いた愛らしい薔薇の唇を求める。
唇と唇が重なる寸前、アレクシスは弾かれたように失いかけた理性を取り戻した。
緊迫がほどかれ、長い指先がすっと離れていく。
突然に距離を詰められたことで鼓動はとどろき、愛しさと切なさに息を詰めたエリアーナの想いなど知らずに。
——旦那、様……っ
「問い詰める気も失せた。今すぐ屋敷に帰れ」
覇気を失った声で呟いて、アレクシスはくるりと踵を返す。
「信じてください、私……レオンとは本当に……!」
失望を背負った大きな背中がだんだん小さくなっていく。
だけど引き止める言葉が見当たらない。アレクシスに今、どんな言い訳ができるだろう。
嗚咽を漏らしそうになって両手で口元を押さえた。力を失った両脚は土の上に膝をつく。
知らぬ間に溢れ出した涙が、エリアーナの硬くなった頬に幾筋も伝い落ちた。
*
——今日まで夫たりうる行為の全てを放棄してきた。
アルマを離れ屋敷に囲い、エリーの
いたたまれなくなって背を向けたものの強く後ろ髪を引かれた。
エリアーナは何を思い、今頃どんな顔をしているだろう。
——突然くちづけようとした俺に失望しただろうか。
足早に厩へと向かい、愛馬に飛び乗った。
ヤケになって強く手綱を引けば美しい白馬は大きく嘶き、王都の街に続く山道を駆け出した。
——俺だってエリーを愛してる……! 誰よりも強く、心から。
夜風に変じた冷たい風がアレクシスの火照った頬を撫でる。
こんなに急がずとも良かった。だが言いようのない重みに胸が押しつぶされそうで、気を紛らわせようと必要以上に馬の足を早めてしまう。
胸に重くのしかかるのは、アレクシスが生まれて初めて感じた猛烈な嫉妬心であった。
——もしもあの男がエリーの異能を発現させたのだとすれば、俺のこれまでの苦悩は……何だった……?
ふれたいと思う愛しさも、ふれられたいという願いも全て封印してきた俺の苦悶は、いとも簡単に砕かれてしまったというのか。
ましてや相手は疑惑のかかる胡散な男だ。
このまま奴に関わっていればエリアーナの身に危険が及ばぬとも限らない。
宵闇に向かって馬を走らせながら、アレクシスは心の内で叫ぶ。
—— エリーを愛せるのは俺だけだ……!
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