《Letter-Blue》

驚愕の再会(1)


 *——————————



 教場の窓際の席でエリアーナは物憂げに頬杖をつき、はぁ……と大きな溜息を吐いた。

 蕩けるようなアレクシスの笑顔を見せられ、ふれるだけとはいえ手の甲にくちづけられた昨日の夜から、困ったことに頬に昇る火照りがおさまらないのだった。


 ロッカジロヴィネ魔術学園の各教場は席を立った生徒たちが騒めき始め、昼休みを知らせる鐘の音がまだ鳴り止まない。

 由緒ある古城をそのまま学舎として使用しているらしいが、歴史の重みを感じさせる佇まいは壮麗で、煉瓦造りの時計塔が堂々とそびえる。今日のような天気の良い日には広々とした中庭で昼食をとる生徒も多い。

 白い雲が悠然と流れる様子をぼうっと眺めていると、


「エリーっ、ご飯行こーっ!」


 聴き慣れた声がして、編み込んだ赤毛を肩に垂らした女生徒が近付いた。エリアーナの数少ない友人のひとり、アン・レオノールだ。


「午後を乗り切る気力と体力を養う大事な時間に溜息なんかついちゃって。今日はどうしたの?」


 おもむろにエリアーナに頬を寄せ、「またあの怖いお義母様に叱られた?」こそりと問いかける。


「そうだ、先週話してた離縁計画はどうなった?! もしかしてが原因??」


 しいっ、とエリアーナは人差し指を口元にあてる。


「アン……。いいえ、ちがうの」


 エリアーナがジークベルト侯爵家子息の奥方だと知るのは義母の友人である学園長と同級生のアンだけだ。

 プライドが高い義母ロザンヌは、異能目的で子息と政略結婚させた嫁が無能であることを一族の恥さらしだと言う。

 エリアーナに偽名まで使わせて、せめてもの気休めにとこの魔術学園に通わせはじめたものの、『王の眼』の異能が開花しそうな様子は少しも見受けられないのだった。


「離縁計画は失敗しちゃったのだけど、お屋敷を騒がせた罰として、旦那様のお仕事に付き添うことになって」


「あー、何だか長くなりそうなお話ね。その先を聞く前にダイニングルームに行きましょ! 栄養補給の時間は限られているのよっ」


 


 *




 昼食を済ませたふたりが廊下を歩いていると、正面から嫌な顔ぶれがやってきた。常に三人の女生徒の中心にいるのはジゼル・レディー・ライラック——学園のマドンナとも称される美人だ。


「あら……廊下が陰湿な空気に包まれていると思いましたら、あなたがたお二人でしたのね」


 巻いた紫色の髪が彼女の肩でふわりと跳ねる。

 ローズレッドの瞳は大きなアーモンド型をしているが、明らかに敵意に満ちている。

 つかつかと目の前までやってくると、ジゼルはお決まりのように腕を組み、エリアーナを憮然と睨め付けるように目を眇めた。


「魔法も使えない落ちこぼれで学園きっての遅刻魔が……今日はをしていて安心しましたわ。でもその髪型、その風貌も。仮にも名門学園の生徒なのだから、身なりに少しは気を配られたらどうかしら?」


 『王の眼』を持つ異能者、アビス一族特有の髪色と瞳を持つエリアーナは、なるべく目立たぬようにと銀糸のような美しい髪を頭のてっぺんで引っ詰め、アメジストの瞳を隠すように大きな眼鏡めがねをかけている。


「落ちこぼれの地味っ子と、もう一人は赤毛にみそっかす。二人ともダサいのよ……! そうはっきり言ってやれば? ジゼル!」


 そばかすの頬を恥じらうようにアンがうつむいてしまう。こう見えてもアンは詩人で、とても繊細な心の持ち主なのだとエリアーナは知っている。


 嫌味や蔑みの言葉をいくら投げられても相手にはしない。こういったいじめっ子はどんな場所にも生息する生き物で、反応すればするほどエスカレートするものだとも知っている——それでも。

 自分の事なら幾らでも聞き逃せるが、大切な友人を貶されるのは許せなかった。

 ひとこと物申そうとエリアーナが顔を上げたとき、


「おい」


 ジゼルたちの背後でよく通る低い声がした。

 三人が振り向けば、真っ黒のラバースーツに頭からすっぽりと身を包んだ男子生徒二人と、もうひとり——漆黒のジャケットを着崩した背高い青年がジゼルたちを睨め付けている。


 細身だが適度に鍛えられた抜群のスタイル、黒に近い栗色の髪は無造作に見えて絶妙に整っており、長めの前髪から切れ長の青い瞳を覗かせる。

 要するに文句のつけどころのない美丈夫だ。


「レオンっ」


 ジゼルが甘えた猫なで声を出す。

 だがレオンと呼ばれた青年はジゼルなどまるで見えていないかのように、す、と真横を通り過ぎた。


「エリー・ロワイエ、生徒会長が呼んでる。放課後、生徒会室に来いと。アン・レオノールもだ」


 女生徒なら誰もが憧れる精悍な面立ちに甘さを滲ませた美丈夫、レオン・ナイトレイは同学年だが、成績・生徒からの人気ともに秀逸な生徒たちが名を連ねる、精鋭揃いの学園生徒会の一員でもある。

 ちなみにエリー・ロワイエという名は学園で過ごすためのエリアーナの偽名だ。

 

「ちょっと……!?」


 レオンにすっかり無視されてしまったジゼルが毒吐どくづくが、レオンの耳には入らないようだ。

 そのままエリアーナの目の前に立つと、手を伸ばして眼鏡を取り上げる。いきなり何をするのかと思えば、す、とレオンの形よい鼻先がエリアーナの鼻の間近に接近した。


「綺麗な目をしてるのに。見えないわけじゃないんだろ、なんで眼鏡なんかかけるの?」


 驚いたエリアーナが反射的に後ろに身を引けば、面白がっているように悪戯な笑みを浮かべて見せる。


「この方が可愛いのに。せっかくの綺麗な顔、なんで隠すの」

「か、揶揄わないでください。それに眼鏡を返して……っ」


「いや返さない、これは俺が預かっとく。終礼後に生徒会室だ、急げよ」

「なっ……?!」


 エリアーナの眼鏡を懐にしまいこむと。

 レオンは振り返り、冷ややかな青い眼差しをジゼルたち三人に放り投げた。


「視力の矯正が必要なのはお前らじゃないのか? 相手を攻撃してるときの自分たちの顔、眼鏡かけてよく見てみるんだな」




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