思いがけない『罰』(2)


「使用人たちの意見書だ。家令からうまや番までほぼ全員分が揃っている。君に預けるから、ざっと目を通しておいてくれ」


 アレクシスはきちんと紐留めされた厚みのある書類の束をエリアーナに差し出した。


「私も君と同じ事を考えていた」

「……私と、同じこと?」


「二年前に祖母が他界して女主人が母の代に変わってから、雇って数ヶ月持たずに暇を取る者があとを絶たなくてね。最近は辞めていった者達から悪い噂が広まって、募集をかけても人が集まらないという有様だ」


「色々と、原因があると思うのです。こんな立派なお屋敷なのに、お日様の光も入らないような暗い場所環境に一日中いれば誰もが気が滅入るでしょう。それに……楽しい時に笑う事さえも禁じられているなんて」


「君は使用人の雇用環境を見直すべきだと言ったな。母上は私が説得する。いずれはジークベルト家の女主人になる者として、君にこの屋敷の全般的な改善を命じる。もしも満足のいく結果が出せたら、君が望んでいた菜園と厨房への出入りを許すと約束しよう」


 エリアーナの丸い目が大きく見開かれ、輝いた。


「菜園で野菜を育てて、厨房で調理しても良いのですか?」

「好きにすればいい」


 ——このお屋敷で、お料理……っ!


 冷え切っていた胸の内側が一気に熱くなる。

 離縁は叶わなかったけれど、無能嫁だと罵りを受ける肩身の狭い身としてやり甲斐のある仕事と責任を与えられたのは進展があったと言うべきだろう。

 それにうまくいけば厨房に入ることだって許されるのだ。


「君に与えられた仕事をこなそうとするメイドたちの表情には血が通っていた。あんなに生き生きとした彼らを見たのは初めてだ」


 アレクシスの冷徹な眼差しに一縷の和やかさが灯り、わずかに口角が上がったように見えたのはエリアーナの気のせいだろうか。


 ——旦那様が仰るように、縫い物を任せたメイドさんたちは何だか楽しそうでした。


「ただし、残りの部屋の改装を問題なく終えるのと、使用人たちの労働条件の改善案を提示して母上を納得させることが条件だ」


「お屋敷の改装は私が始めた事です。最後まで責任を持ってきちんとやり遂げます。ですが……労働条件の改善案、でしょうか?」


 これはさすがに経験のないエリアーナには難しそうだ。


「ああ。そこに記した私の立案をもとに、あの頑固な女主人を唸らせるような良案を君の考えを交えて練ってみるのだな」


 ——それなら、私にもどうにかなるかも?!


「は、はいっ……精一杯やってみます!」


 エリアーナはアメジストの瞳を輝かせ、アレクシスから手渡された書類をそっと胸に抱くのだった。


 突然に、沈黙を守っていたエプロンのポケットがふん! と鼻をならした。勿論アレクシスには聞こえていない。


(お屋敷の改善はいいけど、エリーの今の状況。離縁どころか状況悪化を通り越して、ロザンヌ様の説得? そんなの無理に決まってる! っていうか作戦は大失敗、最悪の結果になってるじゃんか!)


 アレクシスの前で守護妖精と話すわけにはいかないので、代わりに心の中で呟いた。


 ——ルル、お願い……今は黙ってて。結果として良いこともあったのよ?

 無能嫁だと言われる私にも出来ることがあるかも知れないの。そう思えただけで、このお屋敷に私がいる意味がある気がして嬉しいの。


 思いがけない提案にエリアーナは頬を緩ませたが、アレクシスはいつもと同じ冷淡な眼差しを崩さない。


「母上から預かった君の『処罰』についてだが——」


 そうだ、罰の事はまだ聞いていなかった。

 エリアーナはこくりと息を呑んだ。


「明日は休日だな?」

「……はい。日曜日なのではお休みです」


 眉をひそめたままアレクシスが言を継ぐ。


「——グリムロック。君もその名くらいは聞いた事があるだろう」

「はっ、はい、勿論です。王都を騒がせているテロ集団ですよね?」

「ああ、その通りだ。奴らのアジトの一つを暴いたのだが、確証を得るために秘密裏に視察をしろと国王直々に命令されてね」


「こっ、国王陛下、直々に……?!」

「現国王は私のかつての学友だ。旧友のよしみで厄介ごとはすぐ私に押しつけるのが彼の常套手段、今回もその一つだ」


 アストリア王国の前国王は数年前に崩御し、二十三歳の王太子が王位を継いでいる。

 二十三歳と言えばアレクシスと同年であるから、学友だったというのにはうなづける。


「そんな……危ない場所に、旦那様が赴かれるのですか?!」

「突入するわけじゃない、視察だけだ。危険は無いよ」


「危険が無いだなんてなぜ言い切れるのですか。それに、あの……その事と私の『罰』はどう関係が?」

 尋ねる声がつい尻すぼみになってしまう。


 ——まさかその敵のアジトに、旦那様の身代わりに行かされるとか……!


 密偵スパイに扮装した自分とアジト潜入後の想像を膨らませたエリアーナが恐々と青ざめていると。


「母上が望む『処罰』とは趣旨が違っているかも知れないが。一緒に来て欲しいんだ、私の、妻として」


「へぇ?」

 何を言われたのかすぐには理解ができず変な声が出てしまった。


「あの……っ、どう言うことなのか、説明してくださいませんか?」


 しどろもどろのエリアーナをアレクシスは表情を崩さずに見つめている。


 ——社交の場に《私の妻として》出席してくれ、とかならわかるけれど……テロリストのアジトと《私の妻として》は、いったいどんな関係が?!



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