揺れる想い


「あの……っ、どう言うことなのか、説明してくださいませんか?」


 しどろもどろのエリアーナをアレクシスは表情を崩さずに見つめている。


 ——社交の場に《私の妻として》出席してくれ、とかならわかるけれど……犯罪組織のアジトと《私の妻として》は、いったいどんな関係が?!


「視察するのは民間人が出入りする王都の商店だ。君とは単なる一夫婦として振る舞い、客を装う」

「なる、ほど……。でも、どうしてそれが『罰』なのですか?」


 エリアーナが丸い瞳で見上げるが、アレクシスは困ったふうに視線を脇に逸らせた。


「私と出かけるなんて、君は……いや、だろう?」


 ——あんな大掛かりな策略を練ってまで離縁したいと思わせるほど、俺はエリーにのだから。


 アレクシスが心根で密やかに落胆したのをエリアーナは知るよしもない。


「いやだなんて、そんなっ。私にお断りする権利はありませんから」

「嫌がる事を強要しいるなら、それは『罰』になりうるからね」

「そう、かも知れませんが……。でも、で良いのでしょうか?」


(エリーったら、どこまでお人よしだよ?! バツなんか、軽けりゃ軽いほどいいんだから!)


 と、ポケットのうさぎが茶々を入れてくる。


「それに……怪しまれないために民間人の夫婦を装いたいのなら、私ではなくアルマ様とご一緒なさらないのですか?」


 ふと言い放ってしまい、はっ、と口元を押さえた。

 それは単純な疑問であって、当然、嫌みを言うつもりなどなかった。なのに嫌みじみた言葉が出てしまったのを激しく後悔する。とたん、アレクシスの眉が不機嫌に歪んだ。


「あっ、あの、ごめんなさい! 私ったら余計な事をっ……」

「聞こえなかったのか? 私は君に同行しろと言っているんだ」


 突然に愛人の名を出されて気を悪くしたのだろうか。その語気も、纏う空気すら強張った。


「明日の朝、十時。エントランス前で待っている」


 アレクシスは矢継ぎ早にそう言うと、ばつが悪いのか、エリアーナひとりを残して執務室を出て行ってしまったのだった。



「ルルっ……。私、旦那様のこと、また怒らせちゃった」


 待ってましたとばかりにうさぎがエプロンのポケットから顔を出す。


(さあね。でも悪いのは、エリーっていう奥さんがいながら愛人なんか囲ってるアレクシスなんだからさ! ふはーっ。このなか、すごく窮屈だったよぅ)



 ——まさか旦那様と一緒に出かけることになるなんて。それもテロ集団のアジト……!

 何だか怖いけれど、視察のお仕事を手伝うだけ。それに『罰』がこの程度で済むなんて、むしろ感謝しなくちゃいけないわ。


 もしも義母のロザンヌから処罰を言い渡されていたら——。何をされていたかと思うと、おそろしさにぞっとして背筋が粟立った。


「お屋敷から出られるのは嬉しいけれど。お出かけのあいだずっとあんなふうに不機嫌な顔をされたら、私の心が折れてしまいそう……っ」



 *



 早朝から奮闘してひどく疲れていたはずなのに、その夜は気持ちが昂ぶってほとんど眠れなかった。

 カーテンを空けて朝日を浴びると、眠い目をこすりながらクローゼットに向かう。


「えっと……何を着よう」


 ——詳しく聞けなかったけれど、民間の商店って、何のお店なのかしら。


 凶悪な犯罪組織のアジトだから物騒な武器とか弾薬とか売っているのを想像したが、そんな店に民間の夫婦がそろって入るのは寧ろ不自然だろう。


「きっと普通のお店よね。王都の街を歩くのだし、ドレスよりもワンピース……? そういえば、旦那様が何色が好きなのかもよく知らないわ」


 さほど多くはない衣装を慎重に選びとるうち、自然と鼻歌を歌っている事に気が付いた。ジークベルト家に嫁いでからというもの、歌が口をついて出たのなんて初めてだ。


「私ったら、浮かれたりなんかして——…」


 なにやってるんだろう。

 ふと、そんなふうに思った。


 今回の外出は夫から与えられた『罰』なのだ。

 鉄仮面のように無表情で不機嫌なアレクシスとともに過ごす時間など、どうなるものかは簡単に予想がつく。


 ——それでも。

 旦那様とのお出かけは初めてだもの。浮わついた気持ちになるのは仕方ないわよね……?

 

 外気にあたろうとシュミーズドレスのまま窓辺に向かえば、爽やかな朝の風に灰紫色の長い髪がさらさらと靡いた。


「アレクシスさま。あの日、私は……」


 エリアーナはアレクシスと出逢った日に想いを馳せる——国王陛下から騎士の剣を賜るアコレードの式典で、その悠々たる美しさに目を奪われた。



『エリー、よく見ておきなさい。彼はアレクシス・ジークベルト。今日からお前の婚約者だ』



 木から落ちたところを助けてもらった。

 光を受けてかがやく銀糸のような髪。そして腕から赤い血を流しながらもエリアーナを抱えて微笑む、青灰色の瞳の煌めきに幼心を攫われた。


『泣かないで。僕の可愛いエリアーナ』


 ——声変わりも済んだ十六歳のあなたに、十歳の少女だった私は、はじめての恋におちたの。


 心地よい風が頬を撫でる。

 懐かしい想いに心を委ねながら空を仰げば、生まれたての太陽が眩しくて。エリアーナは瞼を閉じて、細く静かに微笑んだ。


 ——そして今も、今までもずっと、あなたが好きです。


「異能を持たない無能な妻だと、あなたにどれほど疎まれていようとも——」




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