秘めたる想い
*
軽い朝食のあと出掛ける用意を済ませて階下に降りれば、階段ホールから戸外に繋がる双扉の両側にメイドたちが五人ずつ、エリアーナを待ち構えていたように立っていた。
黒と白のお仕着せを整然と着こなし、髪を丸く後頭部に結えるさまはまるで印を押したように同じで、動かなければ石の彫像が並んでいるようだ。
「行ってらっしゃいませ、若奥様」
十人もいるというのに、頭を下げる角度や口ぶりまで揃いに揃っているなんて——機械仕掛けの人形みたいで、ちょと怖いくらい。
エリアーナの実家、辺境伯の父が構える小さな屋敷にも数名のメイドたちがいる。みんなにちゃんと個性があって、笑顔に溢れた人間らしいあたたかみがあった。
使用人たちが無機質で人間味がないのは、この由緒正しき家門であるジークベルト侯爵家に君臨する義母・ロザンヌの厳しいしつけによるものだ。それは、結婚してからひと月もたたぬうちにエリアーナ自身が身をもって知ることになった。
近くに義母がいないことを確かめてから、向かって左側、一番手前のメイドにこっそりと耳打ちをする。義母のロザンヌはこの時間、遅めの朝食を摂っているらしかった。
「……お義母様が見ていらっしゃらない時は、お見送りをして下さらなくてもいいのよ?」
メイドは少し頭を下げただけで表情も変えず、まばたきすらしない。
「わたくしたちの仕事でございますので」
「そうかも知れないけれど、毎朝こんなふうに大勢で集まって。メイドさんたちも忙しいでしょうし、みんなにとって時間の無駄だと思うの」
「わたくしたちの仕事でございますので」
「私なら、裏口からこっそり出かけてもいいのだし」
「わたくしたちの仕事でございますので」
——前から何度も訴えているけれど、
若奥様と呼ばれる立場であっても、要望が聞き届けられる事は無い。ジークベルト侯爵家の屋敷でエリアーナの発する言葉の威力など、夫の愛犬のひと吠え以下だ。
*
広大な庭園の中心に位置するロータリーで馬車に乗り込もうとしていたとき、運の悪いことに愛犬を連れたアレクシスと鉢合わせた。
愛人と住まう離れ屋敷から歩いて本邸に戻るところのようで、シャツ一枚にブレーといったラフな格好だ。
それでも長身の体躯のせいでじゅうぶんサマになっており、清潔な白いシャツはこざっぱりとして、むしろ爽やかさを感じさせる。
整った顔立ちの仕上げをするように、艶のある薄灰色の髪をゆるやかな春風になびかせていた。
——旦那様はいつでも眩しいくらい輝いている。
今朝も離れ屋敷で、愛するアルマ様の抱擁を浴びてこられたのでしょうね……?
エリアーナの心の声など聞こえるはずもなく。
涼しい顔をしたアレクシスは二頭立ての馬車を見据え、目を眇めて冷ややかな視線を向けてきた。
「出かけるのか?」
エリアーナが魔術学校に通っていることを、夫は知らされていない。
義母から伝え聞くところによれば、エリアーナは『貴族令嬢のための良妻賢母養成学校』の生徒らしい。
——魔術学校に私を通わせていること、旦那様には知られたくないみたいね。
無理もないわ……期待していた能力が無かったこと、旦那様はもう諦めているのだから。恥さらしだ、何をしても「無駄だ」と反対するに決まっているもの。
「……お飾りの妻がどう言う心づもりだか知らないが。花嫁修行など学んでも無駄になるだけだろう」
——わかっています。
異能の発現どころか花嫁修行すら無駄だって。
私があなたの妻として手腕を発揮する日など、訪れはしないのだから。
「お友達もできましたし、通い始めたらすっかり楽しくなってしまって」
「……まぁいい。夫の務めを放棄した私がとやかく指図をする筋合いはない。せいぜいその講座とやらに励むのだな」
アレクシスは少し目を細めただけで、鉄仮面のようにほとんど表情を変えないのだった。
「では、旦那様……っ、もう行かねばなりませんので……ご機嫌よう」
夫に精一杯の作り笑いと軽いカーテシーを投げてから、逃げるようにして馬車に乗り込んだ。
馬車の車窓からチラリと覗けば、夫の身体は早くも本邸に向いている。
その
整えられた後頭部がふたたび振り向くことはなく、エリアーナと遭遇したことさえまるで無かったかのようだ。
冷淡な夫の態度とは真逆に、アレクシスの愛犬——艶やかな黒毛のドーベルマンは主人にリードを引かれながらも名残惜しそうに目をかがやかせ、ちぎれんばかりにしっぽを振っている。
——ああ、マルクス。あなたは今朝も可愛いわ。
(
頭の中に低いトーンで響くように伝わる感情は、ドーベルマンのマルクスが頭の中に訴えかけてくるものだ。
(大好きだよ、エリアーナ! 次は撫でてね……!)
車窓ごしに振り返ると、やはりマルクスが馬車に向かってしっぽを振っている。アレクシスがそれを
「私もあなたが大好きよ……! マルクスっ」
神様は、エリアーナの家系が持つ『人の嘘偽りを視読する能力』—— 『王の
唯一できることと言えば、鳥や動物たちの声を聴くことだけだ。
思いがけず遭遇してしまった夫との冷ややかな会話を思い出せば、胸の奥がぎゅうと掴まれるように苦しくなる。
今向かっているのが魔術学校ではなく、本当に『良き妻になるためのお稽古』ならよかったのに。
夫に愛され、愛する夫のために立派な妻になるべく学びを重ねられたら、どれほど幸せだったろう。
——
魔術学校・ロッカジオヴィネ学園に集うのは、純粋に異能や魔力を磨こうとする者たちばかりではない。
魔術を持つ者たちはそもそも世界の異端児で、魔術学校は変わり者の巣窟だ。
そうして練り上げられた異能や魔力は、権力者たちの手によって私利私欲のために《利用》されることがほとんどなのだから。
——お心遣いは有難いのですが、お義母様。
学校に通っても、ジークベルト侯爵家が望むような能力は発現しません。
私は、異能持ちの嫁として家門のお役には立てません。
何よりも……。
アレクシスさまと、目を合わせるのが辛いのです。
お義母様に慈悲のお心があるならば、こんな役たたずの嫁になど……もう『離縁』を申し付けてください——!
ぎゅ、と目を閉じて唇をかみしめる。
エリアーナの胸の内にふつふつと湧き上がる『離縁』への想いは、日増しに高まるばかりだった。
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