『クロード・ロジエ』の秘密(1)
*
ダイニングルームで一人きりで摂る夕食のあとは、眠るまで自室にこもりきりになる。
日中も自由な外出は許されておらず、いわば広い屋敷の敷地内に軟禁状態。唯一、塀の外に出られるのが魔術学園という《魔窟》に通うためだけ。
——何だかとっても疲れました……。
湯浴みを済ませるとようやくホッとして。身体中に温かな血液が巡るのを感じながら、窓際の書卓へと足を運ぶ。
朝から不機嫌な夫の顔を拝まねばならなかった不運の連鎖か、学園の朝礼の時間に遅れたエリアーナは悪臭に耐えながら最悪な一日を過ごしたのだった。
——よりによってトロールだなんて。ブロブリンの方がずっとマシだったわね。
まずは罰としてマダム・リーズの魔法で首から上に変身術をかけられた。どす黒い緑色をしたトロールの頭部は悪臭を放ち、クラスメイトたちにまで迷惑をかけてしまった。
意地悪いジゼルとその崇拝者たちには『悪臭を洗い流す』という名目で頭から大量の水を浴びせられたし、指導教師たちからもあからさまに嫌な顔をされた。
エリアーナは魔法が使えないので、衣服や髪が濡れたってどうする事もできない。
——アンに乾かしてもらえなければ、帰りに馬車の座面を濡らして御者のアルバートさんに迷惑をかけてしまうところだった……!
ここでは語り尽くせないけれど、他にもまだいろいろとあるのだ。
——親愛なるクロード様。
手のひらの下に敷いた、まだ真っ白な便箋をじっと見つめる。
伝えたい気持ちは押し寄せるほど溢れて来るのに、一行目に綴る言葉が思い当たらず静かにペンを置いた。
夜風が窓際のカーテンを揺らし、卓上の一輪挿しに揺れる白薔薇の花びらが一枚、はらりと舞い落ちる。
「……どう書くべきかしら」
書卓に頬杖をつきながら、長いあいだ頭を悩ませた。
すらすらと滑るように文字を綴れることもあれば、書く内容によってはひどく時間がかかることもある。今夜は後者だ。
——私の下手な文章でネガティブな事を書けば、また心配させてしまうかもしれない。
夫に愛人がいる事や、結婚してからエリアーナが自由のきかない孤独のなかで苦しんでいることを、手紙の宛名の人物『クロード・ロジエ』はよく知っている。
世間的に忌み事とされる離縁を止めようとするのか、それとも同情して後押しをするのか。
——きっと大丈夫。
クロードなら、私の想いに賛同してくれるはずだもの。
淡い桃色の便箋はエリアーナのお気に入りだった。
便箋と言っても、ごく小さな筒に入れることができるギリギリのサイズの薄い紙。一通に書ける文字だって限られている。
——離縁したいだなんて打ち明けたら、真面目なクロードは驚くでしょうね。
それでも心から信頼するクロードだからこそ、正直な想いを打ち明けられる。
エリアーナはペンを握る指先を持ち上げた。
=================================
親愛なるクロード様。
エリーは、結婚する前のもとのエリーに戻りたいです。
旦那様と顔を合わせるのが辛いのです。
お屋敷にいても、私にできることは何もありません。
義理の両親に離縁を申し出て、牢屋のようなこのお屋敷を出たいと思います。
==================================
いつもなら余白まで惜しいほど文字を書き並べるのに、ずいぶん紙が余ってしまった。だけど今夜はこれが書きたいことのすべてだ。
魔法鳩が運ぶ手紙でやり取りするだけの関係だけれど、『クロード・ロジエ』と名乗るどこの誰かも知らない者の言葉に、エリアーナは何度も励まされ、支えられてきた。
——クロード。
私の鳩があなたのお部屋の異空間に迷い込んでから、もう何年経つでしょう。
私は十七歳になって、婚約者と結婚をした。あなたは幾つになったのかしら……。
出会った頃は学生だと言っていたけれど、あなたも私と同じように歳を重ねているはずだもの。
結婚もして、子供がいるかもしれないわね?
クロードはあまり自分の事を語らない、私生活の事も。
——そういえば私、あなたのことを何も知らないわ。
(続・2)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます