第29話 しばし待つがよい
ナコイ中央資料館。
外国貴族の別荘を町が買い上げ改装した。好事家であった貴族は本国へ引き上げる際、数々の置き土産を残していった。現在ある展示品や蔵書の半数ほどがそれである。
図書室に入ってすぐ、眼鏡をかけた職員が座っていた。仕立ての良いスーツに身を包んだ、三十代前半ほどに見える女性だ。
ただし、実年齢は見かけどおりではないだろう。肩上で切り揃えた銀髪から魔人族の特徴である尖った耳が覗いている。
気だるげに本を傾けるその女性に、献慈は声をかける。
「あのー……」
「……むぅっ!」
本が閉じられたはずみで、胸のネームプレートが目に入った。
(ノーラ・ポッキネン……ここ司書さんか)
「……おぬし……今、見たな?」
「え? 見たというか、見えたというか……」
「何と破廉恥なッ!!」
声を荒げる司書。献慈はただちに反論する。
「違いますって! む、胸を見ていたわけじゃ……(なぜか背後からものすごい圧力を感じる……!)」
「あぁ、そっちはべつに構わぬ。だがこの本はちと少年には刺激が強いでな」
「いや……どっちも見てませんから。念のため」
司書は本を机の下に仕舞い、姿勢を正した。
「さて、用件を申すがよい」
「ユードナシアやマレビトに関する本の閲覧をお願いしたいのですが」
「マレビトとな?」
「さ、最近本で知りまして、もっと詳しく調べようかと」
「……承知した。しばし待つがよい」
司書が机上の目録をめくりだすと、室内の空気が張り詰め、献慈は鼻の奥がツンとなるような感覚を覚えた。
目録を手に立ち上がった司書は空いた手を本棚の群へ向け、淀みなく詠唱を紡ぎ出していく。
「Ena tizit: ZELSU iinchu FYNEW melkono'e zelpi MAREBITO enou'e Eudenacia...fegaing!」
あちこちから鳴り出すカタコトという音に息を呑むも束の間、本棚から何冊もの本がひとりでに飛び出し集まって来た。
司書はそれらを手際良くキャッチすると、何食わぬ顔で献慈に手渡す。
「四冊だ。……あぁ、つい横着をしてしまった。許せ」
魔人族は魔術に長けた種族だ。ひょっとするとこの程度は朝飯前なのかもしれないが、献慈には勝手がわからない。
「い、いえ。ちょっと驚いただけなので……」
「そうなの。私たち西洋の魔術には疎くって」
さり気なく
「……
「はい……?」
「通称・CML、今の詠唱に用いた魔法言語だ。これは魔導具や魔導機の根幹を成す
「そ、そうだったんですね。これは不勉強でした」
「よい心がけだ。この機会に憶えて帰るがいいぞ。まず呪紋の技法が生まれる経緯についてだが――」
(何だか長くなりそうだな……)
残念ながら献慈の予感は当たっていた。
司書は眼鏡をくいと押し上げ、得意げに語り始めた。
「そもそも
「は、はぁ……」
「母音や音節自体を省略する略式詠唱の手法は理論上詠唱時間を極限まで短縮可能とする反面、突き詰めると人体の構造上発音が不可能になるため、この背反を解消する手段を求め学界では――」
「そうですか……」
「苦心の末、失伝寸前だったルーンの技法を復活させ、その応用で呪紋を銀盤の表面に転写する試みが為されたのが今から一世紀前になる。これこそがNWOBHM、すなわちNew Wisdom Of Barbaric Heretical Magicと称される歴史的発見の――」
「なるほど……(助けて……)」
「――であるからして……おっと、そういえばおぬしらは別の用事があるのだったな」
何分ほど続いたか、司書は思い出したように話を切り上げた。
献慈、そして澪も解放感に表情を和らげる。
「(やっと終わった……)いえ、とても興味深いお話でした」
「気に入ってくれたか。ではもう少し話の続きを――」
(なにィいいいぃ――ッ!?)
「――と思ったが、この辺りで止めておくとしよう」
(助かった……)
献慈たちは閲覧机へ着き、ようやく本来の目的に取り掛かった。
元の世界へつながる手がかりを求め、手分けしてそれらしい箇所を探すが――
(十八世紀あたりか、東欧の……こっちは中東っぽいけどかなり昔だろうな……イベリア半島、いや南米……アフリカの可能性も……)
マレビトたちの口から語られたユードナシアの記述こそ数あれど、あちら側へ渡る方法まではどの書物も教えてはくれなかった。
(いくら読んでもマレビト自身のことしか書かれていない。ユードナシアにつながる証拠が、彼らの証言以外何一つ記されていない)
確認できたマレビトは十人前後、それぞれ別の時代と場所からトゥーラモンドへ転移して来ていた。
その身一つで、何も持たず、ただし全員が何らかの異能を有して。
(俺とまったく同じだ。でも、だとしたら……)
マレビトたちが故郷へ帰ったという話は一つも伝えられていなかった。
一時間ほどで閲覧を終え、ふたりは席を立った。
司書に本を返却し、退出する間際であった。
「最初の一歩だもん。次を当たってみればいいよ。ね?」
「うん……」
「次」があることに安堵している自分がいる。
「次」がある限りは――
(……まだ一緒にいられるんだ)
「この後は真っ直ぐ組合に行く? それとも別の所でお昼にしよっか?」
「そうだな……」
後ろからコツコツとヒールの音が近づいて来た。
「おぬしら、組合にツテはあるのか?」
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