第28話 夏風に踊る長い黒髪

 ナコイはイムガイ国有数の港湾都市である。

 異文化の流入も盛んで、区画によって西洋風だったり南国風だったりする街並みを多人種・多国籍の人々が闊歩していた。


 港という性質上、力仕事に向いた鬼人族は数が多い。

 ほかにも主として西洋に住むリコルヌ族や、人里には珍しいエルフ族、漂泊の民である魔人族の姿さえ見受けられる。


 ちなみに、上で挙げた四つの種族に最大多数のヒトを加えたものを、トゥーラモンドでは五大種族と呼んでいる。




(五大種族……獣人は含まれてないんだな)


 道端の柳の下、けんは本をめくりながら、昨日出会ったりょうたちに思いを巡らせていた。


 事実、獣人種はヒトにとってなじみある異種族の筆頭である。

 だがその形態や文化は多種多様にわたっており、一括りにはできない。タヌキびとのイェイェノット族、キツネびとのフォクストロット族など、それぞれが少数種族という位置づけだ。


(少数派……マレビトは、俺は、どこに属する人間だ……?)


 石段を降りて来る足音に献慈は顔を上げる。


「ごめんね、待たせちゃって」


 鳥居の裏からみおが姿を見せた。

 ナコイ神社は氏神である龍神・名賀ながうじおみのかみを祀る社だ。御子みこほうじ参りの挨拶で訪ねた帰りであった。


「大丈夫だよ。俺も戻って来たばっかだし」

「そう? ……献慈はこんな合間にまでお勉強かぁ」


 覗き込む鳶色の瞳が、献慈の顔と本との間を行き来する。

 夏風に踊る長い黒髪が、本を仕舞おうとした献慈の手の甲をくすぐった。


「そんな大袈裟なもんじゃないよ」

「本読んでるとき、いつも真剣な顔してる」

「変かな?」

「ううん。いいと思う」


 てらいなく答える澪の言葉を、献慈は心の内で反芻する。


(いいと思う、か……いやいや、意識しすぎだろ。大した意味じゃないって)


 港を離れた住宅地を貫く遊歩道。ふたりとも荷物は宿に預けて来た。


(澪姉は知的な男性が好みだったりするのかな……なんて)


 隣をちらりと窺い見る。

 緩くまとめた髪に花飾りが可憐に映える。袴の帯にはつくしとひまわりの根付が並んでいた。


 ――綺麗……だよ、澪姉。


(よくあんな大胆なこと口にできたよなぁ……断じて嘘はついてないけどさ)

「どうしたの? 服乱れてた?」


 身繕いをする澪の後ろ姿が、献慈の目を釘付けにした。


「そうじゃなく――――ぅッ!?」


 両手で押さえた袴の生地に、澪の豊満かつ張りのあるヒップラインがぴっちり浮き出てしまっていたのだ。


(こっ、これは…………ッ!!)


 溢れ出る感動。それは例えるならば、直線的で凛々しい立ち姿とそこから大きく逸脱した曲線とのギャップが生み出す静中動のコンポジションが、ただそこに在るだけで空間の支配者たりえる完全無欠のゲシュタルトを提示しつつも、あたかも日常の中に非日常を見出だすというエロスの本質に迫らんとするプリミティブなパトスを観測者の内宇宙へと想起させる、いわば美のイデアのミメーシスそのものであった。


 一言で表すならば――


「美しい……」

「えっ? あ、ありがと。ずっと真面目な顔してるから何かと思っちゃった」


 芸術鑑賞です――とは言えるはずもない。


「こ、この後の予定を考えてて……」

「予定も何も。すぐそこでしょ」


 道の向こうに建つ立派な洋館こそ、ふたりの次なる目的地であった。

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