第15話 小競り合い

 カッパはけんを目にするなり、害意をむき出しに襲いかかる。

 そう、これは試合ではないのだ。


(考えてる暇なんてない……!)


 夢中で振り回した杖は狙いを外れ、カッパの腿をしたたかに打ちつける。


「ウッ! グ、グェ、グ……グェ、グ……」

「あっ、ごめ……じゃなっ、と、とどめを――」

「……カカッタナ!」


 無防備に近づいた献慈を、球状の液体が迎え撃つ。


(うめき声じゃなくて……詠唱だったのか!)


 瞬時に腕で顔を覆う。ぶつかった液球が弾け、物が焼けるような音と煙を上げた。驚いて見やれば、上衣の袖がぼろぼろに溶けている。


「強酸ドロドロォ! 服ダケ溶カスゥ!」

「服だけかよ!」

「嫌ガラセダ! 人間メ、自分タチバカリ偉ソウニ服ナンカ着ヤガッ――」


 勝ち誇っていたカッパが突如動きを止め、地べたにぱたりと倒れる。

 後ろから姿を現したのは、はたしてかしわであった。


「待たせたな。ケガはないな?」

「……あ、はい」


 見渡せば、カッパたちはこぞってほうほうの体で退散しようとしている。

 ここに伸びている一体を残して。


「こいつ、どうしよう……」

「捨て置け。じきに息を吹き返す」

「そうですか……で、改めてさっきの話ですけど――」


 献慈が切り出そうとした刹那、


「グェエエ――――ッ!!」


 カッパの悲痛な鳴き声。今しがた連中が去って行った方角からだ。


「……! あの魔物は――」


 川岸に広がる光景が献慈の目を見開かせた。

 水柱を噴き上げ荒れ狂う一体の巨獣――魚と蛇が混じったような姿の魔物が、手負いのカッパたちを蹂躙していた。


「あれはミヅチだな」


 柏木が進み出る。牛馬を上回る巨体を目の当たりに動じる様子もない。

 献慈には彼ほどの胆力も見識もなく、進むことも退くこともままならない。


「……カッパよりもだいぶ強いというか、凶暴というか……」

「そうだな」

「このままだと……」

「……ああ」

「…………」


 カッパたちの悲鳴が、だんだんと弱々しくなっていく。


(俺は……間違ってるのかな)


 前へ傾きかけた肩を、大きな手が押さえて止めた。


「ミヅチの息には毒気がある。不用意に近づくな」


 返答の間も与えず、柏木は一人土手を駆け下りていった。


「たしだしに いざまうけなむ たけはやの みたまふるひて あたくだくべう」


 詠唱に呼応して柏木の足取りが力強さを増す。人間離れした跳躍から撃ち出す衝撃波は、


「〈松風まつかぜ〉!」


 直撃したミヅチの巨体が揺らがせる。すでに標的へ肉薄していた柏木は、


「――〈わき〉」


 目にも留まらぬ連撃を叩き込む。このまま押し切るかに思えた最中、尻尾での反撃は、


「〈蜉蝣かげろう〉」


 空を切る。再び宙高く逃れていた柏木は、真下のミヅチめがけて渾身の一撃を放つが、


「……奥義・〈ばしら〉――!!」

(あ…………っ!?)


 強すぎる威力に耐えかねた杖は木屑となって砕け散ってしまった。

 ようやっと追いついた献慈の前で、苦痛にのたうつ蛇身は早瀬に呑まれ下流へと消えていく。


「惜しかった……ですね」

「いや、加減を誤ったオレの失策だ。それより……早く治してやったらどうだ」

「……行って来ます」


 献慈は杖を柏木に預け、カッパたちの方へ歩み寄った。


「何ヲスル気ダ」


 問われはしたが、阻む者はいない。たった今ミヅチを退けたことに加え、献慈の弱々しい物腰がカッパたちの警戒心を緩めたのだろう。

 献慈は倒れたカッパにそっと触れる。


(ヌメッとしてる……のはともかく、何かそれっぽい詠唱とかしたほうがいいかな)

「ドウシタ?」

「♪~プェインッ! プェインッ! ケラッ! ケラッ!」

「ヌゥオッ!?」

「じ……呪文です」

「驚カセルナ。モウ少シデ張リ倒ストコロダッタゾ」

(うぅ……次からは黙っとこ……)


 治療は滞りなく完了した。息も絶え絶えだった患者が元気に飛び跳ねる様を見て、仲間たちも喜びの声を上げている。

 だが全員が全員、献慈たちの行為を素直に受け入れていたわけではない。


「出シャバッタ真似ヲ……我々ニ恩ヲ売ルツモリカ」

「そのとおりだ」


 柏木のふてぶてしさは、かえってカッパの不信を解いたようだ。


「……厚カマシイ奴メ。言エ。何ガ望ミダ?」

「供え物については見逃そう。だが今後村に忍び込んで盗みを働くのはやめろ。その代わり貴様らも何か神饌みけをよこせ」

「神饌……水神ヘノ捧ゲ物カ」

「形さえ示せれば氏子も同然だ。そうなれば同胞同士くだらん小競り合いを続ける道理はなかろう。貴様らにとっても悪い話ではあるまい」

「……ワカッタ。コノ話ハ一旦持チ帰ルトシヨウ」


 カッパたちは一斉にその場を引き上げ始めた。

 そこへ、


「――オーイ! オレヲ置イテ行クナ!」


 祠の前で伸びていたカッパがキュウリの束を抱え、斜面を滑り降りて来る。


「オォ、無事ダッタカ!」

「チャッカリ頂イテ来ヤガッテ!」

「デカシタゾ!」


 互いの無事を喜び合うカッパたちを遠目に、献慈の頬は自然と緩んでいた。


「上手くいくといいなぁ」

「いかんだろうな。この程度で丸く収まるのであれば先人たちも苦労はしていない」

(またこの人はそうやって……)


 


 この一件より後、祠の前にはキュウリと入れ替わりに川魚が置かれることが度々あったという。

 やがて付近が野良猫たちの溜まり場となり、ミグシヒメに猫の守護神という神性が加えられるのもまた別の話だ。

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