第4話 ごはんですよ

「ごはんですよー。さ、召し上がれ」


 おにぎりと漬け物、玄米茶が座卓の上に並べられた。

 みおの口元にご飯粒が付いていないのを密かに安堵しながら、


「いただきます――」


 いざ手をつける段になってけんはふと思い出す。

 ヨモツヘグイ。

 黄泉の国で煮炊きされた食べ物を口にした人間は二度と現世に戻ることができないという逸話だ。


(……考えすぎだな。夢でもなければ、ましてあの世でもないんだし)


 心優しい澪の親切をどうして無下にできよう。何より、実感をもって訴えかける空腹の要求には抗えない。


「……うまい!」

「よかったぁ。イムガイの食べ物、もし口に合わなかったらどうしようかと思って」

「美味しいです、本当に。日本のともそっくりで……その、イムガイっていうのはこの村の名前ですか?」

「ううん。フォズ・イムガイって国の名前。ここはワツリ村。神社とか温泉とかいろいろあるんだ。明日にでも見て回ろっか」

「明日……」

「うん――あ、帰って来た」


 玄関から物音がしてしばらく、部屋のふすま戸が開く。

 現れたのはほかでもない、澪の父親である。


「おや、元気にしていたかね。身体の調子はどうだい?」


 温和そうな顔立ちに口ひげが似合う、白髪交じりの中年男性。歳は四十半ばといったところか。白い上衣と紋入りの袴を身に着けている。


「はい、おかげさまで。えっと……申し遅れました、自分は入山献慈といいます」

「わたしはおお曽根そね臣幸おみゆき。娘から聞いているかもしれないが、ワツリ神社で神主を努めている者だよ」

「そんなかしこまらなくても平気。お父さん、こう見えて結構ちゃらんぽらんだし」


 娘の手厳しい物言いも、大曽根は笑って受け流す。


「ハッハッハ……まぁ、うちはこんな感じだよ――っと、そうだった。献慈君に着替えを何着か見繕ってきたから、ここに置いておくよ」


 大曽根は包みを脇に置くや、献慈の食べ終えた盆を持ち去ろうとする。


「えっ、あ、あの! つ、漬け物、美味しかったです!」


 何か言わなくては――献慈は頓珍漢な言葉を口走るも、大曽根の反応はおおらかであった。


「それはありがとう。君の事情はそれとなく察しているよ。先のことは落ち着いてから考えなさい。それまではこの部屋を好きに使ってかまわないからね。――さて、わたしは夕飯の下ごしらえをしてこようかな」


 ふすま戸が閉まり、床板のきしむ音が遠ざかってゆく。


「お父さんも私も、いちおう神文カムナヤの神に仕える身だから。あなたも人助けに貢献するぐらいの軽い気持ちで甘えちゃって」

「は、はい……お気遣い、ありがとうございます」


 今はそう返すのが精一杯だった。


「それより、お外も暗くなってきたし、きゃんどる点けないと」

「キャンドル?」


 澪が天井に手を掲げると、その動作に反応するように照明が室内を照らした。


「うん……何? そんなに珍しい?」


 フックに吊るされたランプの中に、ドーナツ状の小さな発光体が納まっていた。正式にはメロウキャンドルといい、こちらでは一般的な照明機具らしい。


「いえ……思ったんですけどこの家、トイレとか水道も全部センサー式なんですね」

「せんさー? もしかして魔導器の仕組みをご存知でない? よぉし、お姉さんが教えて進ぜよう!」

「お、お願いします」

「そうだなぁ、まずはさっき言ってた精霊についてだけど――」


 澪いわく、この世界には抽象精霊という、目には見えない霊的な生き物が至る所に漂っており、各属性に応じた魔法元素を排出しているのだそうだ。

 この元素を動力として利用しているのが、現世界での電化製品に相当する魔導器である。


 例えばコンロには火、水回りには水、炊飯器には熱、冷蔵庫には冷の元素が使われている。無論、照明に取り入れられているのは光の元素だ。


 献慈も一通り納得はしたが、解消されていない疑問が一つある。


「なるほど。ところで操作はどうやって?」

「操作? それはこう……こうして、こうやれば」


 澪の手振りに応じて照明が明滅を繰り返すが、傍で見ている献慈にはまるで要領が得られない。

 せめて動きを真似ようと、献慈が意思を働かせたその時だった。


「こうして? こう――あっ!?」


 どうにも形容し難い、されど確実に存在する、不可視の実体同士が触れ合う感覚――それは献慈がカッパに襲われた際に体験した、第六感的知覚に通ずるものがあった。


(霊感……霊気…………霊体……とか?)

「どうしたの?」

「いや、多分……こう、ですよね」


 おぼつかない〝手つき〟で感覚を探り、慎重に〝スイッチ〟を切る。

 実にあっけなく、照明が落とされた。


「うん。ちゃんと操作できたじゃない。えらいえらい」


 まるで幼児のような扱いだが、実際そのとおりなのだろう。魔法が日常に寄り添うこの世界で、きっと人は物心つく時期より魔導器との付き合い方を学ぶのだ。


「そんな、このぐらいは――」


 ふと見渡した、薄暗い部屋。

 オレンジ色に染まる澪の頬が、献慈の目を、心を奪った。

 胸をざわつかせるこの感情の意味を、献慈は知っている。


「なぁに? ――あ、見て見て。綺麗な夕焼け」


 西側に面した窓から差し込む、夕陽と、そして、


「さな……だ……さん……」

「献慈くん?」


 気遣うよう身を寄せる澪の着物からほのかに薫ずる芳香が、くらい水底に沈んでいた献慈の記憶を鮮明に呼び覚ました。


「俺……あの直前、どこで、何をしていたかって――」

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