第2話 橘の香り

「――グェッ」


 木刀がカッパの脳天を直撃する。地に突っ伏した被害者のひび割れた皿は、威力の程を物語っていた。

 誰あろう、霹靂の騎手の再来である。


「ケガはない?」


 考えるより先にけんは「はい」と返事をする。


「ならよかった。あとは下がってて」

「わかりまし……(あれ?)」


 岩陰へ退避しながら、献慈は女性との会話が成立している違和感を覚えずにはおれない。

 いや――それどころかカッパたちの言葉ですらも。


「不意打チトハ卑怯ナリ!」

「武士ノ風上ニモ置ケネーナ!」

「ソウダソウダ! 名ヲ名乗レ!」


 浴びせられる罵声に苛立ちをあらわにしつつ、女性は律儀に応じる。


「み……おお曽根そねみおですけど!」

「我々ハ、河童デアル!」

「キュウリ泥棒に改名しなさい!」


 口先での応酬もそこまでだった。澪は打ちかかりから返す刀で、あれよという間にカッパ二体を叩き伏せてしまった。


「武器ヲ使ウトハ卑怯ナリ!」

「力士ノ風上ニモ置ケネーナ!」

「ソウダソウダ! 相撲デ勝負シロ!」


 残る三体が性懲りもなく煽り立てる。


「私、お侍でもお相撲さんでもないからぁ!」


 散り散りに逃げ惑うカッパたちを、澪は真っ赤になって追いかけ回す。

 だが地の利がどちらにあるかは明白だ。川面を踊るように滑走する三体を相手に、澪は早くも翻弄されつつあった。


「んもぉ~! こうなったら――」


 木刀を片手で振り被ろうとする澪に、献慈は一旦気を取られかける。


(あの構えって……いや――待て、マズい!)


 先に倒されたカッパの一体が密かに起き上がり、澪を不意打ちしようとしていた。

 今大声で知らせたとして、澪の注意を逸らすのは危険だ。


(だったら……俺がやるしかない!)


 手にしたキュウリを放り投げると、反射的に飛びついたカッパに大きな隙ができた。献慈はここぞと、落ちていた流木を拾い上げて突進する。


(夢の中ぐらいカッコつけさせてくれよ――!)


 ここが自覚のある夢、明晰夢の中であるならば、ある程度思いどおりに振る舞うことは可能なはずだ。

 都合よく意識に浮かんだカンフー映画のワンシーンを、献慈はそっくり再現してみせる。


「喰らえ、〈鹿ろっ狼乱ろうらん〉ッ!!」


 華麗なる棍術の連続技――確かに動きこそ完璧だった。


(こんな身軽に動けるなんて! 軽々と……軽く……軽い……?)


 献慈は調子に乗りすぎていた。初撃の時点で流木が折れ飛んでいたことに気づかぬほどに。

 虚しき乱舞を終えた時、献慈をねめつけていたのは、黙々とキュウリをかじる無傷のカッパであった。


「食事ノ邪魔ヲスルナー!」

「――ぁご……ッ!」


 怒りのビンタを下顎に喰らい、献慈は砂利の上へ無様に転倒した。


(痛い……何これ、マジで痛いんすけど……!)


 生々しい痛みに悶えながら、献慈は四つん這いに身を起こす――その体勢が、図らずもカッパに対し致命的な急所を晒しているとも知らずに。


尻子玉デザート、頂クゾ!」

「ふっ……ふぁあああぁ……っ!?」


 怖気立つこの感覚を正確に言い表すのは容易でない。それはまるで、自分が今まで持っていることを気づかずにいた未知の器官へと、これまた未知の物体を出し入れされているかの心地であった。


(や……ぉ、嫌だ……こんな、悪夢――)


 意に反して四肢の力が抜け、意識が遠のいてゆく、その寸前。


「――グェエエッ! 不味ゥッ!!」


 何かが引き抜かれる勢いで、献慈の体が横向きに転がる。


(うぅっ……何が……どうなった……?)


 苦しげに後ずさりしてゆくカッパの後ろには、ぐったりとしたお仲間たちがあちこち転がっている。

 その中を堂々と進み来る、澪。


「弱い者いじめとは――卑怯なり!!」

「アガッ……ギギ……」


 横薙ぎの一太刀が最後の一体を討ち果たした。

 白目を剥いて倒れたカッパには目もくれず、澪は献慈のもとまで走り寄って来る。


「どうして……どうして飛び出して来たりしたの!?」


 覗き込む眼差しに、上ずった声に、悲痛な思いを感じた気がして。


「ごめん……なさい」

「……ううん、助けようとしてくれたのはわかるよ。でもホラ、私こう見えて結構頑丈だし。少しぐらい殴られたってへっちゃらだから」

「……関係、ない」


 気がつけば、献慈はうわ言のように口走っていた。


「えっ……?」

「強いとか、弱いとかの問題じゃない……女の子が、傷つけられるの……黙って見過ごせない」

「…………」


 澪は、驚きとも戸惑いともつかぬ表情を浮かべ固まってしまった。

 言いつけに背いたうえ、年上の女性を女の子呼ばわりしたのだから当然かもしれない。


(あぁ……また俺、間違えたんだな……)


 ケガと疲労と失意とが、献慈から弁解する気力を奪い去る。

 気まずい静けさに割って入ったのは、こちらを呼ばわる男性の声だった。


「――澪! あぁ、ようやく追いついた」


 林の方角から足音が、声が、みるみる近づいてくる。


「いやはや、まさか本当に結界を抜けて……その子は無事なんだな?」

「……え? う、うん。お父さん、早く治療してあげて」


 不意に持ち上げられた献慈の後頭部が、何か柔らかいものの上に収まった。


(……ん? …………んんっ!?)


 逆さに見下ろす澪の横で、男性が朗々と祝詞のりとを詠み上げる。


「つゆばかり くみてよかるや みなもとの ましみづさして つくろわうずる」


 負傷した顎へ触れようとする男性の手のひらが、淡い光を帯び始める。

 ひんやりと清々しいような、温かくて安らぐような、神秘的な輝きの中へ、献慈の痛みは吸い込まれるように消え去ってゆく。


(魔法……!? あぁ、そうか……これは夢なんだっけ……)

「ケガは大したことはないが、霊気を吸い取られているようだね。無理はせず少し眠ったほうがいい」

「大丈夫。お父さんも私もあなたの味方だから、安心して」


 言われるまでもなく、献慈の疲労は限界であった。


(夢の中で寝ると、どうなるんだろうな……まぁ……どうでも、いいか……)


 疑問は閉じゆく瞼の向こう側へ、泡沫のごとく溶けてゆく。まどろみの中、鼻先に漂う柑橘の香りだけが鮮烈に残り続けていた。


(……この匂い……何だったっけ、かな……)




 橘の 匂ふあたりの うたた寝は――。




  *  *  *




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