青いニンゲン

湖池あひる

第1話

 青春小説が苦手だ。正直に言うと、青春映画も漫画も苦手だ。あおはるっていったい何だ。みんなで汗を流すこと? 友達と海へ行くこと? それとも。

 そこまで考えて、急に思考が停止した。私のたったひとりの友人が、本を読み終わったようだった。彼女の名前はユウと言って、みんな彼女をゆっちゃんと呼ぶ。クラスで可愛がられているようでなによりだ。

 私たちは、もう誰もいない夕方の教室に二人で居た。西日がさして、ユウの頬に反射して、まるでこの世の光が全てこの部屋に集まっているような気がしていた。汚れは全部ガラスが吸い取ったようだった。学校の窓はこうして汚くなるのだろうか。初めてこの学校に来た時は汚さに目を疑った。県内で一二を争う、歴史ある学校だと知ってはいたがあんまり汚かった。なんだか人の心の中も汚く見えた。『形あるもの、磨き、こころ、磨く』掃除ロッカーにはられたそのポスターでさえも汚かった。ユウはどうしてそんなにもきれいでいるのだろうと疑問に思って、聞いたことがある。

「ちゃんとお手入れするのが大事なのよ」

ユウは大和撫子のように、上品で女性らしい言葉遣いをしている。そういうところも好きだ。やばいとか、まじまんじとか、ついていけない。

 私は目の前のユウに話しかけた。ユウは教室の隅に腰掛けていて、私はその前の席にまたがっている。私たちの定位置である。

「ねぇ、今日はなんの本を読んでたの?」

「タイトルを読めばわかるでしょう? ハナの苦手な青春小説よ、貸そうか」

ユウが意地悪そうに微笑む。

「遠慮しとく。現実で手一杯だもん」

私はユウの瞳に映る自分を見つめた。

「ハナ、友達はできたの」

「私に? できるわけないじゃん」

教室の中は暗かった。日直が電気を消していってしまったから。教室は私たちにはいつも広すぎる。私が辺りを見回して、終わる頃には誰もいない。ユウしかいない。

「ねぇハナ」

ユウが私を諭すように言った。

「そろそろちゃんと、友達を作るべきよ。私とつるんでちゃだめ」

「どーして。私をシカトする人と仲良くするなんてムリだからね」

「だって」

ユウは怒ったようだった。そして言葉を発する。

「だって私ロボットなのよ?」

「知ってるし、そのくらい」

犬型見回りロボット『ユウ』。彼女はそういう名前だった。学校に何年前かに導入された。主な仕事は生徒の安全管理、という名目の監視だった。あまり良い言葉ではないけれど、言ってしまえば、この学校はガラが悪かった。ユウは先生に許可を得て学校を歩き回って、問題をそのきれいな瞳に刻み込む。ユウの活躍もあってなのか、学校は少し落ち着いて、ユウは愛玩動物になった。情報科教諭が担任であるこの二年三組で、ペットとして生きている。ロボットは生きていない? 私には分からない。

「私とばかり話していたら、クラスの子に笑われちゃうでしょ」

ユウは自虐的に呟いた。私は約一か月前にこの学校に来た。もうクラスのコミュニティーは出来上がっていて、私はその輪に入ることは出来なかった。私はユウが好きだから、笑われたって構わないと思っていた。

「ハナ、あなたは私の跡を継がなきゃいけないのよ、ちゃんとわかっているの?」

ユウが言った。明日には近所の幼稚園に連れていかれるのだと。

 現実での問題が減ったいま、ユウの仕事は無く、維持費だけがかさむ。逆に、インターネット世界では問題が増え続けている。ネットいじめ、デジタルタトゥー。私の中には、その言葉がプログラムされている。

 私たちはロボットだ。ヒト型監視ロボット『ハナ』。私にはそういう物騒な名前がある。私に課せられた役目は、クラスに混ざり、生徒のインターネットトラブルが起きないように監視すること。見た目も音声も全て人間にそっくりらしく、転校生として招かれたときも皆、ヒトだと信じて疑わなかった。ただ、私には友達を作ることが出来なかった。みんながどうしたら私を好きになるか分からなかった。感情表現をプログラムされているものの理解することは難しい。ロボットであるユウとは信号でやりとりしている。

「ユウの跡とか、そんなの知らないよ。ユウがいなくなったらどうしよう」

「弱気になっちゃダメ。今は一瞬しかないって先生がよく言うでしょ」

「知らないよ。だってロボットだから」

一瞬、私が言葉を繰り返したその時、風が強く吹いて、窓がガタガタ揺れた。それは私を責め立てるようで、辛かった。ユウの瞳にまた、文字列が流れていく。私の苦手な青春小説。私はユウを少し横にずらして、机に突っ伏した。もう一度、一瞬とつぶやいて、今度は野球部の怒号が聞こえた。私はその爆発する声で思い出した。

「ユウ、花火って知ってる?」

「はなび? 知っているわ。とってもきれいらしいわね」

「うん、私も見たことない。どうして花火は夜だけなんだろうね」

ユウは学校の完全下校時刻を過ぎるとサーバーを落とされる。電気代を節約するためだろう。私も同じように、完全下校時刻を過ぎればヒトとして動くことはなくなる。私本体のプログラムだけ動き、インターネットを泳ぐことになる。意識も感情も、夜にはない。私たちの世界には夜が無い。

「見てみたかったわ」

ユウが文字列を瞳から消した。

「幼稚園はどんな感じなんだろう」

「楽しいといいね」

沈黙した。部活動の音が響いていて、その中で微かに、ユウの情報処理の音がする。私はその音がしない。寂しい。悲しい。そういう感情をようやく『感じた』。ユウに感情がプログラムされているのか、私は知ることができない。

「寂しい?」

私は聞いた。

「ええ、そうね。花火が見たかったわ」

ユウの白い肌に手を伸ばす。一瞬、一瞬だ。花火は一瞬で消えてしまうらしい。一瞬だった。ユウと私が友達だったのは。いや、ユウは私を友達だと思っていたのだろうか。彼女の人格は、私が作り出した偶像に思えて仕方がなかった。まるでヒトだと思った。私はどんどんヒトになっていく。時計の針が進むように、それは抗えるものではなかった。ユウが私の元を去るのではない。私がユウから遠のいている。それでも、ユウが私の友達であったと、信じていた。ユウはもうそろそろサーバーを落とされるだろう。いつもより早い。

 情報処理の音が止まる。

 野球部の怒号が聞こえる。私はユウを置いて立ち上がった。そろそろ充電室に戻らないといけない。私が教室のドアを開けようとして、突然開いた。クラスメイトの女子がテニスのラケットとリュックを抱えて、汗だくで立っていた。忘れ物したの。彼女は少し掠れた声で言った。私の右横をすり抜けて机の中を探り、今度は左横をすり抜けた。しなやかで、凛とした背中が目に入った。もうすぐチャイムが鳴る。

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